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愛、エロス、セクシャリティとパートナーシップ

<チャネリング・メッセージ>

 先のクラスにおいて約束したように、この多くの人の魂を捕らえてやまないテーマについて、お話しましょう。

 まず最初に、人間存在には生来備わっている、本能的といってもよい、あるニーズがあることを認識してください。魂のレベルにおいてはそれは「愛する」ニーズ、そしてそこから、「愛の対象になるものを持つ、見つける」ニーズです。

 生物学的なレベルにおいては、それは自己の遺伝子を地上に存続させ続け、血統を絶やすまいとするニーズであり、これは生殖本能、すなわちセックスのもっとも物質的、本能的側面と見ることができるでしょう。

  ここで、人間においては生殖本能と性的ニーズは単純に同一のものではないことに留意してください。すなわち、満ち足りた性的経験をするということは、人間 においては、必ずしも必然的に生殖に結びついている必要はないのです。もちろん、愛に満ちた性的関係が「子供を生み出す」というコミットメントの上に結ば れ、愛とエロスによって結び合わされたカップルの間に、充実した性行為を通して受精、受胎が起こる時、これは「愛」がそのもっとも精神的なレベルからもっ とも肉体的、物質的なレベルを一つに結び、生まれくる魂のための器が準備されるのを可能にするのであって、これほどすばらしいことはありません。このこと についても、これから生まれくる子供たちの親となりたいと望む人々のために、語りたいことは多くありますが、それはまた追ってのこととしましょう。

  さて、先のクラスでも申し上げましたが、愛とパートナーシップのテーマについて十分理解するためには、実に広範囲にわたり視野を広げることが必要であり、 究極的にその理想の形を実現するためには、いわば自己成長の完成が人生の教育の終了点であるとすれば、もっとも高い形のパートナーシップの形成とは、その 先にあるレベルの取り組みである、そのように申し上げてもよいほど、多くの困難と挑戦を克服することが要求される道のりでもあるのです。もちろん、そうで あるがゆえに実りも多く、充実感を得られる道のりとすることも可能である、というのも事実です。

 そうしてパートナーシップ、とり わけて男女間の結婚ないし永続的な愛を軸とするパートナーシップの道のりに足を踏み入れるにあたり、理解する必要のある点として、はじめに触れた愛とエロ スの神秘、そして性の役割、ということがあります。同性同士や友人間のパートナーシップにおいてはもちろん、性的関係は目的ないし道程の一部ではありませ ん。友人間においてエロスに近似する深い友愛が経験されることもありますが、この場合のエロスは当然、愛とセックスのつなぎ役としてではなく、魂同士の思 慕と敬愛へと昇華されるべきものです。

 愛とは、その純粋な形においては、もっとも普遍的であり、すべてを超越し、溶かし、包み込 む、パワフルな力です。そしてハートを通して経験される愛は、同時に限りなく個人的なものであり、愛するものの魂をひたすらに見つめ、それと一つになろ う、永遠にともにあろうとする、燃えるような衝動を内在します。この燃えるような衝動はエロスという形で火をともされ、やがて長期にわたる関係を通して、 深い愛へと成熟していくものです。

 そして性本能は、やはり物質的なレベルにおいて抗しがたい普遍的な力であり、すべての人の細胞 に埋め込まれた本能の力をもって、もう一つの生命、異性と、肉体のレベルにおいて一つになり、融合し、新しい生命を生み出したいという、強く、ある意味で は盲目の衝動を込めています。この衝動は肉体に健康なつながりを持つ人においては比較的明確に経験され、肉体につながりの弱い人では抑圧され、無意識の中 に追い込まれており、そうしてそこからしばしば、本人にコントロールの効かない形で、あるいは認識されない形で、行動化されたり、妄想のような形で経験さ れるものです。妄想はもちろん、物質レベルに形をとらないだけで、エネルギーレベルでの「行動化」です。

 恋愛とは、エロスの力を 仲立ちに、この二つのレベルのパワフルな生命のほとばしりを経験することを余儀なくさせるものであるがゆえに、ある人はそれに焦がれ、追い求め、時には恋 愛の初期過程のみを中毒的に繰り返し、そうしてまたある人は、それに近寄ること自体を拒むか、これらの力が自分の中で燃えさかり始めると感じたとたん、身 を引いてしまいます。自分がそのどちらであるかを内省してみてください。もちろん、このいずれも、バランスを欠いたあり方です。

  前者はもっぱら魂の傾向性として感情の力の強い人に当てはまり、後者は知性の力が感情性よりも発達している人に当てはまります。また、未成熟な魂はしばし ば、このパワフルなエネルギーの流れの非個人的な側に身を置き、自己と自我のコントロールを手放してしまうことを好みます。これももちろん、健全な、成熟 した魂のあり方ではないのです。成熟した魂の経験する燃えるような、同時に無私の愛は、未成熟な魂が経験したがる寄生的な形での一体化とは異なるのです。 無私の愛とは「私」を持たぬことではなく、「私」すなわち十分に発達した自我の力を有し、自己の境界を備えながら、あえてそれを手放す勇気を持つ時に発揮 されるものです。

 そういう意味で、多くの女性、とりわけて従属性をその社会的にしつけられた習慣とし、また自己保存機能の一部として用いることを身につけている女性たちは、真の意味で、水瓶座時代において要求されるような意識的な形で、「無私の愛」を知っているとは言えないのです。

  このテーマが壮大なものである、ということの意味はここにもあります。すなわち、よりよいパートナーシップを作り出そうとするなら、まずは自己の内面に目 を向け、自らの魂の癒しと成長、そして成熟を第1のステップとしなければならない。このことは以前、アヴェナも申しました。すなわち、未成熟な女性の魂あ るいは肉体に引き寄せられるのは未成熟な男性であり、真に成熟した男性を求めたいと思うのであれば、まず自らの心と肉体を成長させよ、と。

  ロマンチックな「ソウルメイト」の夢に憧れる人は、自分自身で難しく時間のかかる自己成長の道のりを踏まずとも、どこからかすばらしい相手が現れ、その愛 によって自分が変容され、手をとって高い精神性と愛に満ちた永遠の幸せに導いてもらえることを無意識のうちに願っています。これはより高い魂の視点から は、あり得ないことだと気づいてください。それは比較的幼い魂の夢見るおとぎ話であり、ある意味では母胎回帰の欲求を異性のパートナーに投影しているに過 ぎないのです。

 恋愛、結婚、男女間のパートナーシップに、多くの人々が焦がれてやまぬのは、そこでのみ経験されうる神秘のゆえに 他なりません。それは、男女間の成熟した愛と性の関係を通して、もっとも個人的、人間的な要素と、もっとも普遍的、宇宙的な要素が一つに合流し合う経験と して、そうしてまた、人間のもっとも物質的、肉体的、本能的側面と、もっとも霊的、精神的な側面とが出会い、互いに抱き合うことが可能になる。霊性、魂と 肉体、物質が真の意味で一体となることが二人の人間の間で起こりうる、というその神秘においてです。

 アルケミーの伝統において、魂の統合の過程が、男性的要素と女性的要素の結合ないし「結婚」として象徴されているのには、深い意味があるのです。

  もっとも望ましい形でパートナーシップが実現されるためには、個々人が自分自身の内において、この「聖なる結婚」とも呼ばれる、男性性・女性性、肉体と霊 性といった対極の要素を統合し、その中から新たに生まれいずる魂と肉体の統合状態を経験し、体現しなければならないのです。これが起こる時、人の内には、 アルケミーにおいては「溶鉱炉」と呼ばれ、またその他多くの神秘主義の流れを汲む伝統において「聖杯」と表現された器(うつわ)が形成され始めるのです。 これは単に心理学的、象徴的な表現ではなく、この器の存在はエネルギーレベルにおいても経験されるものです。

 パートナーシップとは「見つける」ものではなく、築くものです。そうして築いていく過程の中にこそ、成長の機会があり、エロスが愛とセックスの架け橋となり、恋愛がゆるぎのない愛として成熟することが可能となるのです。

  そうしてまた同時に、私の言葉を、「完璧なパートナーに恵まれるために自分を磨く」というような短絡的な形で理解される方があるとすれば、それもまた見当 違いである、と気づいてください。パートナーシップとは、それ自体が目的であるものではないのです、それがどんなにすばらしく、理想に近い形のものであっ たとしても。

 ここでお教えしておきましょう。あなたにとっての真の「ソウルメイト」、すなわち「双子の炎」としても知られる、あ なたが女性であるならあなたの魂と完璧な対をなす男性存在(あなたが男性であるなら女性存在)は、決して同時に肉体レベルでの転生を選択することはないの です。ユングはそのアニマとアニムスの概念においてそのような存在を予感しました。その存在はあなたが肉体を持っている間はエネルギー世界の側(ユングの 概念においては「自己の内的次元」)にあって、あなたを見守り、時の流れを経てあなたが自らのもとに還って来るのを待っているのです。「ソウルメイト」 「魂の伴侶」という言葉があなたの胸の内にえもいわれぬ思慕をかき立てるとすれば、あなたはこの存在のことを思い出しているのです。けれども同時に、この 「完璧な魂の片割れ」、プラトンが語った「もとは一つの魂であり、やがて二つに分かれた存在のその一方」とは、物質世界においては手をとり合わぬことに なっているのだと知りなさい。これを知らぬ時、人はこの、手に入るべくもない「理想の恋人/伴侶」への思慕と憧れに突き動かされ、その影を地上の異性に投 影しては、相手の魂ではなく「理想の存在」の幻影をのみ相手の上に見、そして当然のごとくに夢破れ、また新しい異性、すなわち自らの理想の投影先を求めて 彷徨することになります。それはギリシャ神話のナルキッソス、水鏡に映った自分の姿を恋人として追い求めようとした青年の物語とも似ています。あるいはす でに結ばれた配偶者や恋人をこの「理想の存在」とつき比べ、不満足にその伴侶との時間を過ごすことになるのです。

 繰り返しましょ う。男女間のパートナーシップとは、それ自体が目的とはなり得ません。それは経験の枠組み、もっとも高く挑戦に満ちた経験を与えてくれる枠組みではあって も、あくまで一つの「場」であり、「通り道」なのです。真の目的は、その枠組みに意識的に、コミットメントをもって入ることによって可能になる経験を通し て、あなた自身がいかに自己の魂を蒸留し、輝く光のエッセンスとして自らの内にため、内なる宇宙に持ち帰るか、ということにあるのです。人の魂がアルケ ミーの変容プロセスの器である、というのはそのよう意味でもあります。

(ケレウス、1996年)

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