06. 時代 社会 世界

民族の歴史的アイデンティティと戦後の日本

 観光地の周辺に住んでいる人なら誰でも知っているが、外から訪れて来る人には「わくわくするリゾート」であっても、住んでいる人間にとってはそこは、ごく普通の生活の場である。

 「太平洋の楽園」ハワイとて異ならない。

 ワイキキという人工的なリゾート地区から遠ざかれば、ホノルルはごく普通の大都市だし、朝夕の通勤ラッシュだってある。私の住むダウンタウンでは、パトカーと救急車のサイレンが聞こえない晩はない。

 そしてハワイにはその歴史上、ハワイに住む(住まざるを得ない)ことが、「自分」というものを重く縛る、過去からの呪縛であるように思われる人たちがいる。

 アパート(「賃貸マンション」)の大家は、日系三世の老夫婦だ。ハワイの日系アメリカ人はもちろん英語が母国語で、日本語はまずできない。

  しかしアメリカ本土で20年近く暮らした私の耳には、ハワイの日系の人たちの英語は、まるで日本人の英語のうまい人がしゃべっているような「日本語訛り」 がある。単語や言い回しの選択もちょっと独特で、本土のネイティヴスピーカーなら使わない、むしろ日本語が母国語である人ならこんな表現をするなという言 葉遣いをする。

 物腰も、穏やかながら静かに抑えたような感じの人が多い。本土から来た白人アメリカ人は、それを閉鎖的と感じることが多いようだ。

 ある日、夫人がオーブンの故障を調べに来た。そしてリビングの本棚に目をやり、そこに並んでいるたくさんの日本語の本に気づいた。

 リビングに立ってじっと背表紙を見つめているので、自分が訳した本を手渡すと、「これはこっちから開くの? どういう方向に読み進むの?」と訊きながら、一生懸命、文字を目で追おうとする。

 その様子はなんだか寂しそうだった。

 夫人は言い訳するような口調でぽつりと言った。「戦争でね... 収容所ができて、学校もみんな閉鎖されてしまったから...」。

 第二次大戦中、すべての日系アメリカ人はアメリカ政府の手で「敵性国民」として収容所に入れられ、日本語を教えていた学校も閉じられてしまった。その歴史から、今でもハワイの日系アメリカ人たちは癒えていない。

 だが、こんなふうに自分たちのルーツを人工的に断ち切られてしまっているのは、ハワイの日系人だけではない。戦後の日本人もそうなのだ。

 臨床心理学で知られる典型的な「トラウマ症状」の一つに、トラウマ(精神的外傷)の原因となった経験を無意識のレベルに抑圧し、まるでなかったことのように振る舞うというものがある。

 本人の言動は、そのトラウマ経験によって明らかに制限され、場合によっては深刻な心身症的症状が出ている。だが、本人の意識の中では、その原因となっている経験の記憶だけがぽっかり空白になっている。

 日本の被爆経験は、その典型的なものだ。思い出すことが耐えられない、それをまざまざと思い出したりしたら自分は粉々に崩れてしまうと感じるようなトラウマ経験は、意識の底に押し込めて忘れてしまおうとする。それは人間の普遍的な心理防衛のパターンだ。

 しかし忘れたふりをするだけでは、トラウマ症状はなくならない。傷を隠した防衛状態から攻撃的に加害者を攻めるだけでも、解決にならない。

 もとになった経験を見つめ、嘆き悲しみ、その上で初めて手放し、あるいは許すこと。それが必要なのだ。

 戦後の日本は、戦争の悲しみと慟哭の過程を通過することを許されなかった。今の日本という国は、PTSD(心的外傷後ストレス後障害)の症状に苦しんでいる。

 戦中・戦後初期の世代はしゃにむに、それこそ死ぬほど働いて、めざましい経済復興を成し遂げた。しかし喪失された価値観を回復することも、新しい価値観を創造することもできなかったのは、今の若い世代を見れば明らかだ。

 戦中・戦後初期世代には、自分たちの内的空虚さや人生への不安が、戦争前後の苦しい経験に関係していることが、どこかでわかっている。

 だが新しい世代の若者には、何の手がかりもない。ただ彼らは両親の中に、人生についての確固たる価値観を見なかった。

 親の中に見て育たなかった価値観を、後から教育を通して教えるのは、不可能ではないにしても困難な仕事だ。

 同時に戦争のトラウマだけは、細胞レベルの記憶の転写として、また家族と民族に共有される集合無意識を通して、若い世代の中にも受け継がれている。

 子供たちの体と魂が限りなく混乱しているのも、あまりに当たり前と言えば当たり前だ。

 そして口先の説教では、こんな子供たちを変えることはできない。自分の生き方を通して見せてやる、それ以外にない。人生は生きるに値する、生きることには理由があるのだということを。

(2002年、ホノルルにて)

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「未来からの生還者」ダニオン・ブリンクリーとのインタビュー

 最初にダニオン・ブリンクリーの名前を聞いたのは、「Encounters」というテレビ番組でだった。

 雷にうたれて黒焦げになって「死亡」した1975年の臨死体験の際に、向こう側の「光の存在」から百以上の予言を与えられ、それらがどんどん現実になりつつあること、またその体験の際に与えられた指示に基づいて、すべての人間が「霊的世界の実在を経験できる」ヒーリングセンターを建設中であることなどが紹介されていた。

  しかし私の興味を強く引いたのは、その体験や予言の内容よりも、彼の人柄そのものだった。見た感じは、とにかくありとあらゆる霊的なことには縁の遠そうな、むしろ陽気なビジネスマンといったタイプ。

 だが、けばけばしい感じや力んだところが微塵もなく、「軽やかで、かつ力強い確信」とでも表現できるような ものを漂わせていて、とにかく「信じれらる人間」という感じがした。

 それから何か月か彼の本を探したのだが、見つからず、諦めかかっていたところに『パワースペース』からファックスが入った。「ダニオン・ブリンクリーという人について何か知っていますか?」さっそくテレビで見たことについて書き送ると、返ってきたのはインタビューの依頼だった。

 電話で首尾よくインタビューの許可をもらい、1994年12月末、ヴァージニア州北部の私宅から高速を120キロで飛ばして8時間半のところにあるサウスカロライナ州の彼の家を訪れた。

  ドアをノックすると、現われたのは熊のような体格の大男で、「やあ、よく来てくれた!」とおもむろに抱きしめられた。英語にはbear hug(「熊のような力で抱きかかえる」)という表現があるが、まさにそれ。まるで十年来の知己に出迎えられたようだった。

 彼からの提案で、到着した夜には一緒に夕食をとることになっていた。

 電話でのインタビューの許可は非常にスムーズに取れたので、彼の方でも日本向けのインタビューをやりたくて仕方なかったのだと思っていたのだが、身振り手振りのにぎやかな会話の途中で彼は言った。

 「日本からはこれまでインタビューの申し込みが3件、講演の招待が4件来たけど、全部断ってきた。でも君はこれまで連絡をとってきた日本側の人間と違ってた。この人間とならうまくやれると感じたんだ」

 牡蛎が大好物だという彼は、皿に盛られた3ダースの生牡蛎を次々とたいらげながら言った。

 「君は実にいい聞き手だ。僕には君が頭の中で考えていることが全部聞こえるんだよ」

 臨死体験者の経験の中には頻繁に、自分の家族や他の人間が頭の中で考えていることが全部声として聞こえてきたというものがある。そして少数の人間はその能力を、蘇生した後も持ち続けるが、彼は明らかにその一人らしい。

 翌日のインタビューの前に私が鞄から取り出したフラワーエッセンスを見て、ダニオンは目を輝かせ、「見せてくれ」と手を伸ばした。「フラワーエッセンスを知っているか」と訊くと、「もちろんだ!」という答えが返ってきた。

  「雷にうたれて医者に見離されたこの体をここまで回復させるまでには、ホメオパシーから漢方までありとあらゆるホリスティックの治療法を試した。フラワーエッセンスはその中でも最高の治療方法の一つだ。

 生命というのは基本的にエッセンス----精妙なエネルギーなんだよ。肉体よりも目に見えないエネルギーの部分の方が重要なんだ。

 人間にとっては、よく死ぬことと同じくらい、体を調和させて健康を維持することが重要だが、そのためにはこういったエッセンスを 使っての健康管理は大切だ」。

 それから少し前にNIH(米国国立衛生研究所)に設立されたOffice of Alternative Medicine(従来の西洋医学以外の治療法について研究を推進する委員会)の活動について触れ、「こういった活動がNIHのような公式機関でも始められるのは、いい兆しだ」と語り、彼自身その活動に協力していると付け加えた。

 この後、用意してきたアウトラインに基づいて、質問に答えてもらった。

質問「臨死体験者には特別な使命があるのか?」

ダ ニオン「地上に生きている人間はすべて一人残らず使命をもって生まれて来てるよ。人間というのは、地上に生まれて、あるプロジェクトを成し遂げることで、 宇宙の霊的拡大に貢献し、同時に自己の霊的成長を遂げるできる、そういう仕組みになっているんだ。

 人間は地上に生まれてくる前にはすばらしい力を持った霊的存在であり、死んだ後にはまたその状態に戻る。僕はそのことを知っている。

 ある人々は僕が他の臨死体験者とは違う特異な経験をしてきたために、特別な人間と見なしたがる。しかし、実際には他の人間も僕と同じような経験をしてきているはずだと思う。

 ただ僕の場合はつねにベトナム戦争での経験やCIAの仕事を通して、苛酷な状況下であらゆる情報を集めて組織だてる訓練ができていたために、こういった経験をよりうまく伝えることがで きるのだと思う。

 臨死体験について重要なのは、それが『起こる』ということだ。

 臨死体験を通してこれほど多くの人々が同じような経験をして、パワフルな、愛に満ちた霊の世界についての情報を携えて、永遠の生命についての知識を持って帰ってくるという事実は、我々自身に、自己の生活について考え直すことを迫るだろう。

 それから、臨死体験者がもたらす知識として重要なのは、『パノラマ的人生のレビュー』の 経験だ。苦痛に満ちた死の経験をくぐり抜けた後、そこにはすばらしい安らぎの感覚が訪れる。トンネルをくぐり抜けて光の中に出、そこで光の存在に出会う。

 そしてこのレビューで、自分の人生を振り返り、自分が感じたすべての感情を感じ、自分がこれまで行ってきたすべての行為を目のあたりにするんだ。自分と関係のあった自分以外のすべての人間や動物にもなり、その感情も経験するんだよ。

 これは僕にとっては特につらいことだった。1つのいいことに対して20の悪いことをしてきた、そんな人生だったからね。

 これは死の後、すべての人に起こることなんだ。このことはぜひ読者に知って欲しい。

 すべてのものが自分の一部であり、自分はすべてのものの一部である----死んだ後にはそのことを、生きている間にはとうてい可能だとは信じられなかったような形で経験させられる時が来る。

 その経験を経て還ってきた後では、隣人を自己のように愛し、自分に欲することを他人に施す、それがごく自然なことになる。誰かがそうしろと言うんじゃない、そんなふうにならざるを得ないんだ。

 たとえば病院や養老院でホスピスの仕事をする時、自分の目の前にいる孤独な人、空腹の人、十分な服もなくて寒がっている人、その人を心から暖かく迎え、友達として手を差し伸べること。どんな壮大な出来事も、その力においてはこの経験に勝ることはない。定期的にこういった人々の元を訪れ、その人生最後の時に彼らのことを気遣うこと。

 死後のレビューで、 この体験を再経験する時、自分を満たすパワーには、どんな物質的な力も、105ミリ砲もナパーム弾もかなわない。これは愛だ。そしてその時、自分が宇宙の共同創造者だということ、こんな愛を体現する霊としての能力をもって生まれてきていることを知るんだ。

 臨死体験者が他の人間と違っていることがあるとしたら、そのことを身をもって知っているということだ。どんな恐怖も嚇しも圧力も、僕らをこの認識から遠く引き離すことはできない。死というのは、物質世界で人間をコントールする最大のメカニズムだが、それは僕らには効果はない。

 そして僕のセンターが人々に与えることができるのはこの経験----臨死体験を経た人間が経験してきたのと同じ経験を、臨死体験のない人間に与えることができるんだ。」

質問「センターの第1の目的がホスピスだということは、延命至上主義の西洋医学はその方針を改めるべきだという考え?」

ダ ニオン「10万パーセント、その通り。アメリカでは医療費全体の70パーセントの金額が人生最後の6か月を平均19日延命するために使用されている。これほど馬鹿げたことはない。

 僕は過去17年間病院でホスピスを、養老院で12年間ボランティアをし、130か140人の人の死を看取ってきた。そのうち40人は僕の腕のなかで息をひきとった。平均して2、3か月一緒に過ごした。その中の一人は僕の母だった。

 延命措置の恐ろしさを見るにつけ、感じた----僕は戦後生まれたベビーブーム世代だが、現在、39〜52歳のこのベビーブーム世代が、両親を亡くす時期に来ている。そしてそれに直面する準備ができていないんだ。これが、僕が本を書くことにした動機の一つだった。

 苦しい戦争の後に無我夢中で国や産業を再建し、家庭を築き、物質的成長に目を奪われて、そのあげくにいつのまにか自分たちが霊的存在だということを忘れてしまった。

  これは僕らの戦いだ----親たちが尊厳をもって安らかに、よろこびをもって死んでいけるようにすること。人間が自然に生きられるよりも1日でも人工的に延命をすることは間違っている。大間違いだ。遥かな過去から未来永劫、そうだ。

 なんでそんなことが言えるかって? それは僕が自分自身「向こう側」に行ってきた人間だからさ。

 これは現在、世界が取り組むべき最も重要な問題だ。僕が臨死体験から得た最も重要な知識は、人間の人生で最も大切なのは、人生の最後の5日間のクオリティオブライフだということだ。

 死の経験自体には恐れるべきことはなにもない。死の過程というのは本当にものすごく組織的で秩序だってるんだ。日本人はきっとみんな気に入るぜ(笑)。

 西洋医学は、東洋の哲学や死についての自然な考えを受け入れないことで誤りを犯した。そして臨死経験者の知識を受け入れないことでさらに誤りを犯した。アメリカだけで千三百万人の経験者がいるんだぜ。この人間みんながみんな頭がおかしかったり幻を見てるわけがない。

 これは数字として、近代医学がその人々の経験を事実として受け入れ、人々が自然に死ぬのを許されるべきだという考えを受け入れるのに十分な基礎のはずだ。

 死の瞬間というのは家族とともに過ごされるべきだ。それは「お別れ」の時であり、過去と悲しみとトラウマ(心の傷)からの回復の時間だ。家族間での解決されていない問題や出来事を振り返り、それについて話し合う時間だ。

 患者がもう1日余分に生きるかもしれないという望みに、近代医学は患者を呼吸機につけ、薬浸けにする。そんな状態の中で心臓はかろうじて動いているが、患者は死人同然だ。そしてその過程で人々は親しい人と別れを言う機会を失う。

 親しい人がこの世を去り、向こう側に還っていく。それは静かなお祝いの時でなければいけない。それは深いよろこびの時間であるべきなんだ。そして一緒に過ごした人生の中で、お互いに腹の立ったこと、 悲しかったこと、楽しかったことを一緒に語り合う時間なんだ。

 それをせずに家族を残して去った場合、本人はその精神的重荷をそれから長い長い間、背負うことになる。それは本当は起こってはならないことだ。」

 『Unlimited Human』誌のインタビューの中でダニオンは、延命措置というのは患者にとって本当になにがよいのかということよりも、単なる死にたいする恐怖に基づくものだと指摘している。これはすべての人間が無意識のうちに抱いている漠然とした恐怖である。

 そしてアメリカの医療システムでは、医療費全体の70パーセ ントが延命措置、すなわち助からない患者の生命を19日延ばすだけのために使用される。そのために患者は不要な苦しみを耐えさせられ、残った家族は膨大な 医療費の負担にあえぐことになる。

 このために彼は、「Living Will(自分が治らない病気にかかった場合には、判断能力のあるなしに関わらず延命措置を施さないで欲しいという意思表明書)」の強い支持者でもある。

質問「霊の世界と物質世界の関係をどのように理解しているか?」

ダ ニオン「物質世界は霊の世界の非常に限定された延長だ。宇宙にはたくさんのレベルの世界が存在しており、物質世界はその1つだ。

 その中では、そこでだけ通用するあるルールが、我々の精神的成長に適用される。物質世界以外にもいくつものレベルの世界があって、僕はそのうち少なくとも4つを経験している。

  物質世界は霊的世界の延長だが、しかしこの世界に生まれることによってしか可能でないことというのがある。この世は非常に具体的な、構造立てられた、「物質的な」世界で、我々は霊的目的を持って生まれてくる。そしてこの地上のある種の浄化に貢献するんだ。

 それは単なる浄化じゃなくて、ある種のクォリティ、 エッセンスを生命に賦与する過程なんだ。人生は単なる科学じゃない、人生は芸術だ。

 我々は外的には物質的肉体を持っているため、人生を科学的に扱おうとする傾向がある。人間を霊的視点から見るより、社会的パターンとか心理学的パターンとかによって、社会経済的パターンによって見ようとする。

  しかし物質世界というのは霊的世界の物質的「顕現」なんだ。同時に霊のレベルでは、物質レベルから相互賦与的にある種のエネルギーを得る。それは物理学的な原因と結果の関係のようなものじゃない。むしろ、「与えることで受け取る」というような相互的なものなんだ。

 この密度が濃くてスローなレベルを通過することで、霊的エネルギーはさらに精密に分割され、霊的レベルの拡大に使用されるんだ。この複数レベルにおいて、エネルギーは絶え間なく広がり、宇宙を形成し続ける----太陽系、霊的宇宙、はるかな可能性。終わりなく展開し続ける偉大なる存在。哲学的だろ(笑)?

 人生は芸術だ。 そして人生における力とは哲学だ。

 死後のパノラマ的レビューで最も重要だと悟るのは、自分が行為として何をしたかじゃなくて、どんな動機でそれをしたかが重要だということなんだ。我々に必要なのはまず霊的、精神的パターンを修正すること、それによって物質世界が変わるんだ。

 それからこの2つの世界がつながるのは「呼吸」によってだ。呼吸----それが、あの世がこの世とコミュニケートする手段なんだ。

 これは本当は次の本に載せる内容なんだが、呼吸を通してエネルギーは8つの副鼻腔に入り、異なる種類のエネルギーに分割されて、人間の霊体に吸収、統合される。呼吸なしには我々は物質世界のものに触れたり関係することはできない。

 呼吸するからこそ、この世界を経験し、感じることができる。呼吸は我々がなぜこの世界にいるかを霊的に理解するための鍵だ。」

質問「13の光の存在をどのように受けとめているか? 今も彼らと通信があるのか?」

ダ ニオン「彼らが与えてくれたものが自分の中に残っているのを今も感じることはできるが、直接の連絡はない。彼らは向こう側の世界で、ある一連のできごとについて責任を持っている存在だが、我々が自由意思を持っているために、そのできごとをコントロールすることはできない。

 彼らの 見せてくれた予言のヴィジョンについて、世間に知らせるつもりはなかったんだ。『予言者ダニオン・ブリンクリー』なんて肩書きをつけられるのはごめんだっ たからね。

 ただ20年前、臨死体験のリサーチが開始されたばかりの頃、レイモンド・ムーディやケネス・リング、エリザベス・キュブラー=ロスといった研究者に僕の経験を語ったことがあり、それが実現し始めて、彼らがそれを広めだしたんだよ。

 本を書くつもりだってなかった----それ以外には現代医学に人々が安らかに死ぬのを助けるように圧力をかける方法がないとわかるまではね。

 予言について最悪の点は、それが実現し続けているという点だ。

 われわれは急激に目を覚させられることになるだろう。それが我々自身が準備しつつあることなんだ。

 これまで経験したことのないような戦争が起こる。地球が大規模な変化を経験しているとき、我々が戦争をしていると----戦争というのは貿易戦争だってその一部だ----地球の変化をスローダウンさせる。その結果、変化が来るときには急激に来ることになる。

 13の光の存在とはコンタクトはないが、別の霊的存在とはコンタクトがある。彼らは危機の前にメッセージを伝えにやってくる。死んだ人々や彼らの親戚の霊、ガイド(守護霊)の姿も見る。向こうの世界とはコンスタントにコンタクトがある。なにしろ向こうとはほんの一呼吸の距離なんだからね。

 ただし向こう側とコンタクトを持つには、この次元に留まったままではできない。意識がこっち側につながれてる間にはできないんだ。

 向こう側で経験する、あんなにもすごい愛、強さ、力、正しさ、栄光、そんなものをすべてこの肉体に持ち込むことはできない。体を離れて経験している間でさえかろうじて耐えられるほどなんだ。

 けれど、死後 のレビューの間には、これらの高い霊的世界に触れるんだ。超越----自分がすべてのものを意識し、すべてのものが自分を意識する。それはまさにパラノマ 的な知識だ。

 たった一目ですべてのことが理解される。自分が海の一滴であり、その分子、原子構造が理解されると同時に海の壮大さが、その中に含まれる全存在が同時に経験できる。今でもできれば早く向こうの世界に還りたいと思ってる。

 すべてのものが自分の一部であり、自分がすべてのものの一部であることができる、自分が回りの世界を知るのと同じように回りの世界も自分を知る。自分のすべての力と強さを分かち合い、同時に限りなく自分自身であることができる。回りの世界はそのすべての力と強さを自分と分かち合い、自分はその膨大な知識の海のなかに存在することができる。

 そこでこそ初めて本当に「自分」であることができるんだ。自分が本当に誰であるかを知ることができるのは、その状態においてだけだ。あの経験なしには、自分を知り始めることすらできない。

 想像もつかない----自分自身がいかに力あふれる偉大な霊的存在か。あの経験なしに「自分が誰か」知っていると思ってるやつがいたら、そいつはノータリンだ。大方の人間はこの経験なしに自分が誰か知っているつもりでいるが、そいつらは馬鹿たれだ。この肉体だけが自分だと思っているやつがいたらそいつも大馬鹿だ。

 ここにいるのは自分という霊的存在のほんの一分なんだ。大部分はこの世界には入らないんだ。そんなことはできない。あんなすごい力と愛をこの肉体のなかに持ち込んだりしたら、肉体が爆発してしまう。

 人間がその人生の半分を 眠ってすごすのはどうしてだと思う? その間は体を出て、他の仕事をしてるのさ。他の次元にやらなきゃならない仕事があって、それをやってるんだよ。僕はそのことを感じている。

 そしてほんの数日で、その次元に入るためのをトレーニングを与えることができる。それは眠りに入る寸前と目覚める寸前の意識の状態と類似している。

 僕のベッドを使えばその経験を引き起こすことができるんだ。人生のなかで暗礁に乗り上げていると感じている人、愛する人を失って絶望にうちひしがれている人が、あのベッドを使うことで、霊的世界に触れることができ、自分の人生をもう一度自分の手に取り戻す ことができるようになるんだ。

 その仕組みについては本当のところ、わからない。けれどそれはとにかく数えきれないくらい起きてきた。

  この記事を読む人に伝えて欲しい。僕はこの記事を読む日本の人たちを一人一人、心から愛している。彼らの顔も知らないし、会ったこともないけれど。彼らは 僕という一枚の布の一部であり、僕は彼らという布の一部だからだ。

 我々が別々に離れているというのは幻に過ぎない。それは物質的経験を可能にするための幻なんだ。僕らが「別々に」生まれてこなければ、お互いに関係し合うことはできないからね。それによって人は自己と、自己の内の自己と再度一つになることを学ぶ。

 「君は神に会ったのかい」と訊くやつらがいる。そんなこと知るもんか! 神に会うことにどんな価値があるっていうんだ?

  神を見たければ鏡を見ればいい。呼吸をすればいい。他の人間に対する愛を感じればいい。そうすれば神と一つになれるんだ。それ以外に神を見ることなんてなんの役に立つ? 僕は自己の外にある神を見ることになんて興味はない。

 「神様の援助」という人間がいるけれど、人間が存在すること自体が「神様の援助」なんだ。人は救われるのを待つために生まれてきたんじゃない。誰かが罪から救ってくれるのを待つんじゃない。自分自身が救うのさ。

 僕は世界政府も国粋主義も信じない。けれど個人の価値、そしてコミュニティ間の協力の大切さを信じる。人間が個人として協力し合い、より良い世界を築く力をもっていることを、全身全霊をもって信じている。

 1975〜89年の間は、世界は破滅に向かっていると思っていた。ソ連の崩壊を含め、与えられた予言は確実に実現していた。しかし89年の心臓マヒ以来、もう一度向こうの世界に還って来てから、僕はもっと人間を信じるようになった。

  すべての人間は「救い主」だ。一人残らず。救ってもらうために待っているんじゃない。救うためにここに来てるんだ。できるだけ多くの人間が早くそのことに 気づけば、世界はもっといい場所になる。

 教条主義の宗教にはうんざりしてる。人間が地獄に落ちると説教するやつらにはうんざりだ。この世紀の終わりに誰かが来て僕らを救ってくれると考えるやつらにはあきあきだ。人間が唯一救う必要があるのは、そして救うことができるのは自分自身なんだよ。」

質問「これまでに人間が成し遂げたことによって、予言されていた道筋を変えるような変化はあったか?」

ダ ニオン「うん。2004年から2014年の間に、地球に非常に強力な霊的エネルギーが降りてくる----還ってくる。その時期が来るんだ。

 宇宙というのは非常に秩序だっている。それは愛に基づいている。愛はあいまいなものではなくて、まぎれもない力だ。

 すべてのものは愛を基にして形作られている。その流れには満ち潮と引き潮のようなリズムがある。愛が流れ込み、後退し、それによって反応が起きる空間が与えられ、それからまた帰ってくる。

  このエネルギーが地球に還ってくることで、地球はその力のために引き上げられ、人間の意識は否応無しに持ち上げられる。人間は一層意識的になり、意識の成長が起こる。

 このことは2度目の臨死体験を経験するまではっきりわからなかった。それまでは人間は確実に破滅に向かっていると思っていた。それを止めたいと思って人々に予言について語ってきたが、それが人々の集団無意識の中の恐怖を膨らませるだけだとわかって、5年前から止めた。人々には愛と生と希望を信じて欲しいからだ。

 しかし世界は確かに浄化の時期を迎える。そして日本はこれを大変象徴的に表している。

 アメリカ、ドイツ、日本。この三国は自己の中心から離れ過ぎてしまった。どれも先進工業国、大変勤勉な国だ。しかし我々は霊的中心に戻ってこなければいけない。この3つの工業大国が霊的中心に戻ってくることができれば、世界の他の国がそれぞれの霊的中心に戻ってくる道が開ける。

 日本がここまで工業国として成功することができたのは、神道や精神性、文化といった伝統的な精神的バックグラウンドのおかげだ。この精神的な人々による、よく統一された、秩序だって構造だった精神的基盤なしには、日本はここまで工業的に発展することはできなかった。そのことを僕は非常に素晴らしく思っている。

 アメリカは宗教の自由の上に建設された国だ。宗教の国であり、そこに帰っていくべき原点がある。ドイツは宗教と視野の交差点にいる。この三国を霊的価値観に沿わせることができれば、これから起こる混乱を防げる。

  次の2年間、経済はダメージを受ける。日本は気を付けろ。経済や不動産、株、そして誰に金を貸すかに気をつけなければいけない。できれば金を貸すのは止めて、今ある借金は取り立てることだ。借金のある人はそれを返すことを考えるべきだ。仕事を止めて、一息つけ。休暇を取れ。

 香港、シンガポール、マレーシア が競争に参入するにつれ、日本が気を付けていないと、その安定性、精神性を失うかも知れない。これは怖いことだ。起こって欲しくない。

  同じことがアメリカにもドイツにも言える。我々は自分の持ち場を守って、協力して働かなければならない。世界を安定したものにしなければならない。そうしなければ、戦争が起こる。97、98年には戦争が起こる。数百の小さな戦争、それが世界的規模に広がる。

 それは今もう、始まっているともいえる。友好国同士がお互いに裏切り合うような貿易戦争、産業スパイ、これらも新しい戦争の一形態だ。」

質問「幾つぐらいのセンターを建設する予定か?」

ダニオン「アメリカの3個所に建設する予定だ----それまで生きることができればね。自分の健康から言って、少なくとも2個所の建設は完成できると思うが、3つめを建てるまで生きられるかどうかわからない。

  世界に対する人々の信頼は破壊されている。人々は政府や政治家を信じなくなっている。日本でだってそうだ。もう政治にはうんざりと感じているだろう。君が電話をしてきてから日本の政治を注意してみてるが、最近首相に据えられたジイさんは社会主義者だっていうんだろう(笑)?

 政治家どもはなんとか秩序を取り繕おうとしているが、それはうまくいかないよ。日本人もそれに気づくだろう。日本の国民を騙すことはできるかもしないが、それは一定期間の間だけだ。

 人々は気づく----精神的成長こそが世界の大国としての立場に秩序よく戻ってくるために払わなければならない代価だと。

 現在の日本が混乱しているのは、そのことにまだ気づいていないせいだ。日本の文化は深い精神性に基づいており、そしてその精神的要素から離れてしまったら、どんなに金持ちになろうが、酒を飲もうが、その空虚さを満たすことはできないんだ。

 我々ベビーブーム世代はやがて、自分たちのことを振り返り、アメリカにそのことを気づかせるだろう。アメリカも日本も、国民は政治の現状にもうほとほといやになっている。もう十分だ。そいうところに行き着きかけている。そしてそれはいいことだと思う。

 センターについては、2個所は95年中に建設を終わる。3個所目を作るほどは長くは生きたくないと思ってる(笑)。だが生きることになれば、残りの人生をかけて建設を続けるだろう。

  これらのセンターは、この世界に対する我々の信頼を再確立させることができると思う。このセンターは通常の医学の代替になるか、それと両立するものになる。

 センターのシステムにはカラーセラピーとアロマセラピーが最も重要な一部として使用される。音楽、マイナスイオン、電流も使用されている。

 しかしこの2個所か3個所の建設の後には、このプロジェクトを継ぐ人間が出てくるはずだと思う。僕と同じヴィジョンを見たのが自分だけのはずがないからな。」

質問「本で触れられている精神的資本主義ということについて----」

ダ ニオン「我々すべてが毎朝目を覚す時、物質的獲得に意識を向けるのと同じくらい霊的価値に注意を向けて1日を始めることが非常に重要だ。

 僕には毎朝目が覚めた時、自分自身と同じくらい、ホスピスで面倒を見ている人のことが大切だ。精神的資本主義とは、チャリティとボランティアの精神に基づく。それは人々が 精神的中心に戻ってくるための方法だ。

 これが真に実現されれば、いずれ税金や社会福祉制度なんて不要になる。人間がお互いに愛をもってお互いを支え合うようになるんだ。

 95年には僕はあるプログラムを準備している。それは人々に、このセンターで働きつつ、精神的に成長できるようにするプログラムだ。

  僕が一つ驚いていることがあるんだがね、どういうわけか精神的な道を求める人間はいつもみんなスッカラカンで、金を持ってない(笑)。なぜか? 我々は無意識のうちに、何か重要なことをなしとげるには物質的に何も所有できないはずだと信じているんだ。

 僕はそんなことは信じない。ある程度の物質的快適さは必要だと思う。精神的資本主義の目的はただ一つ、朝目覚める時、生活のための仕事以外に、自分が愛し、気遣える何かがあること。それによって、神と精神的生活が1つに融合できるようにすること。

 自分の場合で言えば、パノラマ的人生のレビューを経た後、自分が人々を助けられるとわかった。自分の経験を通して、人々の死にたいする恐怖を取り除く仕事を始めて、精神性とライフワークが融合し始めた。

  生活のためにやる仕事と、他の人を助ける仕事が融合し始めた。この本、それからホスピスについて教えるトレーニングプログラム。

 僕には、死にいく人々を助けるのを通して、人が直感力を発達させるのを助けることができる。僕には保証できる----霊的な世界が存在すること、人間は人間の心を読む力があること、自分の運命を作り出す力があることを証明できると。それを教えることができる、ホスピスの仕事を通してね。95年の目的はそれだ」

質問「ホスピスのトレーニングプログラムのようなものを作るわけ?」

ダ ニオン「そうだよ。そして人々にセンターで働かいてもらい、第2の仕事として来る場所を与えるんだ。精神的な仕事をね。グルやスワミを求める人が多いけれど、僕はすべての人間が自分自身のグルなりスワミになるべきだと思う。それが最も重要なことであり、センターはそのトレーニングの場所なんだ。

  ホスピスの仕事については、僕は本当に熱狂的だ。どうしてかって? いったん死を恐れなくなれば----死と直面し、そしてその仕組みについて理解すれば、人は恐れることをしなくなる。誰ももうその人間を恐れさせることはできなくなる。そうすればその後に人生に残されるのはただ「成長」だけだ。

 他の人に死と直面することを教えることができるようになれば、他の方法では得られない精神的な洞察を得ることができる。突然、今まで耳にし、あるいはやってきたことついてより多くのことを知覚できるようになる。

 他の人に死に直面するのことを教えるのを教えるのは精神的資本主義の一環だ。これによってその人間の人生が、一つに融合する。その仕事こそ本当の仕事なんだ。

 僕はビジネスマンとして成功していて経済的余裕がある。そしてそのおかげで、ボランティアとしてホスピスの仕事にかける時間が作れる。でもこの家を見てくれよ。まるで1950年代だ。小さなテレビとラジオ、それに山のような本以外、他の人間が金さえあれば買うだろうようなガラクタはここにはない。

 精神的資本主義とは、先進国、そして発展途上の第三世界にも目をむけることだ。たとえば中国は現在大量の百万長者を出しているが、彼らが精神性を学ばなければ、いずれ人々は飢え死にするだろう。

 ホスピスの仕事を通して僕はバランスの取れた形で生活を立てることを覚えた。そして自己の中心が融合しつつある。同じことはすべての人に可能だ。」

質問「ラビ・バトラ教授の提唱する経済理論をどう思うか?」

ダニオン「彼の理論はなかなかいいと思うし、彼が予測しているような経済の大変化は実際起こるだろう。あるとき突然、3、4日の間に現在の経済は崩壊して、 我々は1からやり直さなければならない時が来る。

 その方向を我々は選んだのだ。だからお互いに責め合うのではなく、協力して、現在のような経済システムではない、安定した堅固な精神的な経済を作り上げなければならない。

 現在の経済は嘘の産物だ。それは一部の非常に裕福なやつらの気まぐれな頭のなか以外には存在しない。やつらがそれをコントロールしてるんだ。だからそれが潰れることになんの残念さも感じない。

 経済のかなりの部分は、再度バーターシステム(物々交換に頼るようになるだろう。しかし僕らはパワフルな世代なんだ。自らの魂の中心に戻り、新しいシステムを再建するだろう。だから既存のシステムは潰れればいい。

 そして人々がお互いに力を合わせて、持てるものを分け合って、再建を開始しなければならない、そういう状況が来る。

 そのことについて僕はきわめてうれしく思っている。金なんてのは死んだ人間の顔が印刷されてるだけの紙切れだ。それがこの世界を支配している。それが全部燃やされたってかまうもんか。

 人間というのはパワフルな霊的存在だ。創造主によってこの世界をよりよいものにするだけの能力、洞察、希望を与えられてるんだ。どっかのアホウが紙切れを印刷できるからって、それがどうしたっていうんだ?

 経済制度の崩壊は必要なんだ----我々の足を止めさせ、自分たちが何をやっているかを見させ、環境汚染や飢饉に目をむけさせるために。そしてその時には通りの向こうの友人、海の向こうの友人に目を向け、経済を再建しなければならない。正直さ、信頼性、公平さ、オープンさをもって。それが可能だと信じる。

 僕自身、そのための備えはしている----食料、燃料....。カネも金(きん)に変えてる。崩壊がいつ来たって構わない。むしろ待ち遠しく待ってるほどだ(笑)。

 特定の国に対して偏見があるわけじゃない。僕はすべての人のことを愛している。人々はお互いからすばらしいことを学び、教え合える。だからそうしようじゃないか。

 それなのに人々は、死にしてもほかのことにしても、社会経済的視点からだけ見ようとする。しかし向こうの世界では、僕らの精神的成長の遅滞をほおっておくことはしない。手を打つよ。僕らが経済に興味を持ち過ぎて、それを向こう側から是正することが必要になって来ているんだ。

 人間の側からはある程度までしかコントロールできない。ある限度を越えたらあとは「黙れ! お前たちはもう十分馬鹿な真似をしてきた。お前たちのやっていることはエコシステムを破壊して、 霊的世界にもエネルギーレベルででの悪影響を与えてきた。もう十分だ」ってね。

 このことについて、今でも時にトランス状態に 入っていろんなヴィジョンを見る。それは臨死体験の時のヴィジョンとは違う。いろんなできごとについての「映画」を見る。人々が僕のことを頭が変だと思おうが構わない。

 昔の僕を知っている人間なら、僕に対して「頭がおかしい」などと言えば頭に銃弾を撃ち込まれたことを知ってるだろう。

 今、僕のことを嘘つきとか頭がおかしいとか言うやつには、にこにこ笑って「あなたはラッキーですね」と言うだけだ。相手はしかし「何をにたにたしてるんだ」と食ってかかってくる。そんなときには、「僕が考えていることを知ったら、あなたは一層腹をたてますよ」と答えてやるのさ(笑)。昔だったら頭を叩き割ってやってるよ(笑)。

  僕の姿勢は、ある知識から来る。それは愛だ。愛というのは弱さじゃない。愛というのは力だ。それにまさる力はない。困難をくぐり抜けて僕が現在の仕事をするのは、それが正しいことだからだ。

 自分について人に知ってほしいことが何かあるとしたら、こういうことだ。

 ある夜、霊の世界が、誰か立ち上がれと呼びかけた。それが天国に入れるという褒美のためではなく、また地獄に落されるという恐れのためでもなく、ただそれが正しいことだからというその理由で、僕は立ち上がった。

 その時、僕がやったことは、他の誰かの行為とは一切関係ない。そしてそれは僕自身の内のことだ。自分のためにやったことなんだ。それで十分だ。人は僕の人生を振り返って僕が何をしようとしたのかを考えるかも知れない。人はそこから成長できるだろう。それだけで満足だ。」

   会話の中で、彼は繰り返し、日本という国によせる愛情と尊敬、そして日本という国の果たす役割の重要さについて語った。そして「このことは絶対、読者に伝えてくれよ」と念を押した。

 「日本はその真の中心である精神の伝統に帰られなければいけない。今の日本は非常に混乱しているが、日本人が望めば、それは可能なんだ。

 そして混乱した日本の人が自分自身を回復する助けとなるものがここ、アメリカ南部にはある。日本でのコセコセした、あるいはプレッシャーに満ちた環境を離れて、ここに来てしばらくの間ゆっくり過ごせば、自分自身を回復することができるよ。そういう要素がここにはあるんだ。」

 その後、3月にはセンターの前段階が完成するので、その時には必ずまたやって来いと念を押されて、センターを後にした。

 (ちなみにこの時のインタビューのことはダニオン・ブリンクリーの2冊目の著書で短く触れられている。)(1994)

(『パワースペース』誌は1996年に無期休刊となっているため、著作権は執筆者に返還される旨お知らせいただいています。よって上の記事の著作権は執筆者本人に帰属します。王由衣(C)1994)

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