09. 恋愛 結婚 パートナー関係

伝統的な「式」とエネルギー

 第5チャクラの話の途中だが、またちょっと寄り道をする。

 講座などで話をしていて、「風呂の水を共有することは感情のエネルギーを共有すること」とか、必ずどよめきが起きるトピックが幾つかあるが(笑)、その一つ。

 すべての「式」(典礼、式典、儀式)は、もともとエネルギーを動かし、まとめ、操作するためにある。

 だから本来は、目的や意図の設定、場所選び、手順、さまざまな象徴的要素の配置、式を受ける人や参加する人のエネルギーをどう動かし、まとめ、方 向づけるかなどについて熟知した専門家がいて、式を組み立て、当日の采配を通してエネルギーをもっとも効率よく、最良の方向に導く。

 古代ではこういったことは当たり前だったが、現代では、こういった形で式を組み立て執り行うことのできる専門家は少なくなっている。式を組み立てるための知識と、エネルギーを制御するための訓練の両方を学べる場所が、ほとんど存在しなくなっているからだ。

 日本での一般の祭祀や冠婚葬祭にしても、エネルギーのレベルで何が起きているかはまったく感知の外で、形式的に手順を踏んでいるだけのことが多い ように思う。(チャペルでの挙式用にバイトの欧米人をニセ牧師として雇うとか、神社がバイトの女の子に巫女をやらせるとか、エネルギーについて理解してい たらあり得ない。)

 聖職者としての仕事には本来、さまざまな式の組み立てと取り扱いが含まれる。そして外的な「組み立て」「取り扱い」方法だけでなく、エネルギーのレベルでどういうことが起きるか、それはなぜかを理解し、それを制御することができなければいけない。

 伝統的な聖職者の訓練の大きな部分は、このエネルギーの制御能力を鍛えることにあり、訓練に何年もかかるのはそのためである。北米先住部族のメディスンマン/メディスンウーマンや、チベットのラマの訓練についても同様だ。

 教会の典礼が、信者ですらない日本人も含め多くの人を惹きつけるのは、教会では伝統的に、荘厳できらびやかな儀式のパワーが理解され、しばしば効 果的に用いられているからだ。北米先住部族やチベットなど古代の伝統を残している文化では、さらに根源的な形で儀式のパワーが理解され、実践されている。

 

結婚式でオーラに何が起きるか

 なぜ式の背後にあるエネルギーについて理解することが重要なのか。それは、理解されているといないに関わらず、すべての式では、参加した人のエネ ルギーが一定の目的のために動かされ、影響を与えるからだ。とくに意識的な理解をもって制御されない場合、式は無意識に、自動的にその機能を果たす。

 例えば結婚式の目的は、二人の人間とその一族を結び合わせること。結婚式に出席したすべての人のエネルギーが、この目的のために集中され、二人の オーラ(エネルギー・フィールド)をしっかりと結びつける。参列者が50人なら50人分のエネルギーが、200人なら200人分のエネルギーが、二人の上 に注がれ、二人の人生を結びつけるために使われるわけだ。

 式が美しいもので参加者が非常に感動したりすれば、そのパワーはさらに倍増する。

 そして出席者のお祝いの気持ちとともに、「二人は結婚した」「二人は夫婦だ」「夫婦は決して別れてはいけない」「一度結婚したら添い遂げるもの だ」といった、日本人の集団深層意識の中の結婚についてのイメージ(=エネルギーの形)が、二人のオーラの中にしっかりと刻み込まれる。

 よい意味でも悪い意味でも、これが結婚式のパワーである。結婚前の恋愛関係の間なら別れてしまったかもしれないような不一致や難しい状況に直面し ても、何とか別れずにやっていくことができるのには、このエネルギーの枠組みの力(=式に参列した人たちのエネルギーの支え)が大きい。

 逆に、虐待や暴力があってどう考えても別れるべきなのに、「結婚」という枠組みを破るのがタブーに感じられ恐ろしく思われる場合にも、この枠組み とそこに込められた集団深層意識のエネルギーが関係する。(もちろんそれがすべてではなく、「共依存とエネイブラー」といった本人自身の心理的な問題も存 在するが)。

 式によって作り出されるエネルギーの枠組みは、よく働けば祝福と支えであり、否定的に出れば一種の呪縛だ。だからそれを最大限ポジティヴな力として働くように形をまとめ、方向づけるのが、聖職者という「式のプロフェッショナル」のあるべき役割なのだ。

 結婚に比べて離婚のプロセスが圧倒的に長く、難しいものになるのも、二人を結びつけている多数の人のいわばエネルギーのロープを少しずつ切りなが ら、自分を相手から引き離していく過程になるからだ。また集団無意識によって自分の中に刻み込まれた「結婚に失敗したら社会的な敗者」といったイメージの 圧力も大きい。

 

離婚式の必要性

 ここで私の以前からの持論だが、結婚式を行うなら、離婚する時には「離婚式」も行うべきなのだ。法的な手続きや社会的形式だけでなく、エネルギー 面できちんと処理を行うなら、二人のオーラ・フィールドを分離させ、再び独立した個人として互いに新しい人生を歩んでいくことがはるかに楽になる。

 あらゆる努力をした上でなお離婚をするのが最良の選択だと決断したなら、結婚式のエネルギー的枠組みを外し、式を通して二人を結びつけた多数の人たちのエネルギーを与えてくれた人たちに返すべきだ。それによって自分もエネルギーの枠組みから解放される。

 そして過去の結婚生活自体が難しいものだったとしても、成長の機会としての結婚の経験に感謝して、最後に相手を祝福して手放すことができれば、離 婚の経験を暗く惨めなものにしてしまうのを防ぐことができる。むしろ離婚という形で一つの関係を終え、そこから自分自身について学べることを学び、これか ら先の人生に生かそうと決意することで、離婚も成長の一つのステップ、ひいては「参入儀礼」に変えることができるのだ。

 そして自分一人でそういったステップを踏んでいくことが難しい時に、専門の援助者の手を借りることができれば、どれほどいいだろう。(離婚に伴う心理的なプロセス自体は、もちろん心理療法を通して扱っていくことが可能だし望ましい。)

 子供がいて離婚するような場合にも、離婚式のような形を通して否定的ではない別れ方ができれば、子供たちへのインパクトは弱められる。そしてきちんと別れれば、必要に応じて新しい形で関係を結び直すことも容易になる。

 離婚式といったことが実際に可能でない場合でも、最低限、結婚式に出席したすべての人に対して離婚の事実を報告し、これまでの支えに対する感謝と ともに、これからよりいっそうよく生きてく決意のようなものを書面でもいいから伝えることをしておけば、エネルギーの整理と呼び戻しにつながる。

エネルギーの海 スピリット通信』2009年7月29日号(vol. 26)

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チャクラ・コード、エネルギーの絆

人間関係に対する異なるエネルギー的アプローチ
チャクラ・コード=エネルギーの絆

 これまでの記事などからもわかってもらえると思うが、私は、人間関係については、空間とエネルギー・フィールド(オーラ・フィールド)を介した直接的なパターン伝達と、共振・共鳴作用の視点から扱うことを専門にする。

 これに対し、私のパートナーは、関係性エネルギー療法(人間関係ヒーリング)の専門家だが、人間と人間、チャクラとチャクラを結ぶエネルギーのコード(チャクラ・コード)を通して理解し、扱うのを専門とする。

 これはどちらが優れているとか正しいとかいったことではなくて、同じ現実を異なる角度から理解しとり組むための、2つの異なる通り道といった感じで見れてもらえばよい。

 事実、人間関係には器・空間として表現される側面と、絆(コード)・結びつきとして表現される側面がある。

 複数の異なるアプローチから現実を見る経験は、ヒーリングの学び手の「人間」そのものに対する理解を深め、またヒーラーとしての適応力と柔軟性、器(うつわ)の深さを育てる。

 




チャクラ・コードとは何か

ディーン・ラムスデン

 関係性エネルギー療法では、10個のチャクラによって人間の成長と進化の段階を示す。そしてこの地図に基づき、人が胎児としての幼い自己から大人としての自己へと成長するにしたがい、それぞれのチャクラがどのように順を追って発達していくかを示す。

 この成長を可能にする心理エネルギー構造の主要なパーツは、チャクラのコードである。へその緒は、誕生以前に我々を母親につないでいる。チャクラ・コードは、この母親へのつながりを、へその緒という肉体レベルでのコード(絆)が切られた後も、長く維持させる。

 コードはまた母親以外の人々との間にも結ばれる。特定の人々が我々にとって重要な存在になる時、その人々との間に、目に見えないつながりであるチャクラ・コードが築かれる。

 ヒーラーの目には、これらのコードは、エネルギーのつながりを送り出したり受け取ったりする透明な繊維のように見える。横から見ると、ちょうどクラゲの触手のようだ。この流れは両方向性であることもあれば(お互いに支え合うような健康な人間関係の場合)、片側がエネルギーを奪われるだけの一方的なものであることもある。

 ポップスのラブソングなどは、そうと知らずにこのつながりについてふれている。このつながりは、それが切れた時にもっともはっきりと感じられるのだ。60年代にダイアナ・ロスはこう歌った「あなたはわたしを宙づりにしたまま」。これは一方的で不健康になってしまった恋愛関係を示している。

 コードの加齢も、関係性エネルギー療法の考慮点である。年を経たコードはしばしば、未解決の感情やつらい記憶の蓄積で汚れている。それは手入れされなかったり使われない宝石がさびで覆われるのと同じだ。さびたチャクラ・コードは、修復または完了させることがずっと必要なままの古い人間関係に我々を縛り付けることで、生命力を制限する。コードをきれいにすることで、そして自己成長に取り組むことで、我々は過去を手放し、現在へとフルに足を踏み入れ、自分自身のためにより望ましい未来を創造することができるようになる。


コードを切る、もつれたコードをほぐす

 ヒーラーによっては、コードを切ることを提唱する人もいる。確かにある種のコードは排除してかまわない(下記に示すジャンク・コードなど)。

 しかし他者との間に結ばれたコードの多くは、我々のチャクラ・システムに深く関わり、体の中にまで入り込んでいる。両親へのコードや離婚した配偶者へのコードを切ることは、我々を深い「見捨てられ感」へと投げ込み、現在の感情の痛みをかえって悪化させるかもしれない。

 私は、感情の痛みから逃避するためにやたらにコードを切るのではなく、思慮をもってコードの剪定や掃除をし、心理療法などの自己成長の取り組みを行ってコードを感情的に浄化することを勧める。

 このやり方をすることでコードはパワーダウンし、チャージを失い、我々に対する影響力をなくすが、我々はなおその関係から自分の人生にもたらされた滋養やレッスンを手元に残すことができる。

 ケン・ウィルバーの言葉を借りれば、我々は関係を「超越し、自己に含め」、そして過去は我々の精神的進化の一部となるのだ。我々は人間関係から(それがすでに終わってしまったものであっても)、強さ、慈愛、知恵を引き出すことを学べる。

 この取り組みは、すでに亡くなっている相手との間にも可能だ。コードはしばしば、相手が向こう側の世界にわたった後も、長く我々の体につながったまま残るからだ。 

 もつれたコードはよく見られる。関係性エネルギー療法のプラクティショナーの最初の仕事は、チャクラ・コードのもつれをほぐし、エネルギーを与えることだ。どのチャクラで作業をするかは、クライアントの持ち込んできたテーマにより示される。

 海に浸かった後のぬれた長い髪の毛を指で梳くのを想像してみよう。もつれたコードをほぐすのも、ちょうどこれに似た作業だ。


もっとも普遍的な5種類のチャクラ・コード

1 ジャンク・コード

 これは「ジャンク(ごみ)メール」、つまり「迷惑メール」と同じだ。ジャンク・コードは、誰かがこちらのことを探ったり、何らかの形で支配しようと試みてうまくいかなかった時、低位のチャクラに一時的にひっかけられる。

 私がこれをジャンク(ごみ)コードと呼ぶのは、相手がこちらを探るのをやめた後も、このコードはチャクラの表面にひっかけられたまま長く残るからだ。原因不明の疲労感があったり、個人のバウンダリを確立するのに苦労しているクライアントに、しばしば過剰なジャンク・コードが見られる。

 古典的な例は、セールスマンや電話セールスが、こちらが買いたくないものを買わせるためにひっかけてくるものだ。その場から立ち去った後も、よく説明できないが、なんだか相手に影響されたような、あるいは侵犯されたような感じが残る。

 ジャンク・コードははずすことがもっとも容易なコードだ。それはコードの末端の小さな「釣り針(フック)」で、チャクラの表面に軽くひっかかっている。ヒーラーは自分のエネルギーの手でこのフックをはずし、コードの送り手に送り返すことができる。

2 トランジショナル・コード(一時的コード)

 これは、他の人間とのつながりを探る時に、素早くつながれたりはずされたりする「触手」コードだ。これは自分を相手に対して方向付ける働きを持ち、相手から情報を受け取ったり、相手に送ったり、ミーム的な思念体を送るのに相手に集中したりするのを可能にする。

 触手コードが触れるのは、相手が客観的でこちらに興味をもっているが、個人的また
は永続的な関係を結ぶことに興味がない場合だ。

 我々は皆、道を尋ねたり、劇場でパフォーマンスを見たり、講演を聴く時、これを経験している。それは受動的だが、方向性のある形で他者につながる方法であり、こちらや相手の個人的バウンダリを侵犯しないものだ。

 トランジショナル・コードは長く残らないので、はずす必要はない。

 しかし、長時間にわたり、あるいは人々から非常な好奇心に満ちた注意が向けられる時、我々のチャクラは過剰にチャージされる。この時、我々は人前であがったり、話すのを恐れたり、恥ずかしく感じたりする。

 自己の欠点も含めて他者から「見られる」ことに耐えることを学ぶのは、個人が「力ある人」になるために必須である。これを身につけることで、大切なものを守るために立ち上がったり、意図を言葉にして述べたり、変化を求めることが可能になるからだ。

訳注
「ミーム」という概念についての説明  

3 アタッチメント・コード(つながりコード)

 相手からの個人的な接触を受け入れたり、こちらから接触を行う場合、アタッチメント・コードが送られる。これはチャクラの内部構造深くに届き、相手との永続的ないし半永続的なつながりを形成する。

 この典型的な例は、両親、兄弟姉妹、子供、その他の家族の一員などと結ぶ絆だ。これらのコードはまた、長期的な配偶者やパートナー、また感情的または性的に絆を形成した相手にもつながれる。これらのコードは健康なエネルギーと不健康なエネルギーの両方を相手に送り、また相手から受け取り、意識の多くのレベルで我々に影響を与える。

 この例は、転移という心理学的概念にも見られる。

 例えば、ある人が自分の仕事に依存していたとしよう。この人は、過去に自分が権威(自分より力ある存在)との間に結んだ依存関係と似た形で、自分の上司にコードをつなぐだろう。

 別の例は、ある人が、過去に自分の父親がどんなふうに自分を扱ったかを思い出させるような振る舞いをする男性に会ったとしよう。その人のこの男性に対する態度は、自分の父親に対する未解決の感情で色どられるだろう。成長期に父親と口論したのと同じような形で、相手と自分が口論するのを見るかもしれない。これは、この人が相手の男性に対して「転移」していることを示す。アタッチメント・コードが過去を持ち込むことで、現在の経験を歪めているのだ。

 正常に機能していないアタッチメント・コードを癒すには、我々は自己成長のプロセスに取り組まなければならない。習慣的な思い込みや人生のパターンを内省、分析し、不健康な行動に対する替わりの反応を模索するのだ。

 アタッチメント・コードはチャクラを通り、スシュムナー管深くに入ることもあり、臓器のまわりに巻き付くことさえあるので、それを取り除くことが必要な場合もある。

 これに替るアプローチは、新しい経験をコードに「グラフト(移植)」し、コードを実質的に「再プログラミング」し、その経験を本人にとって、損失ではなく、役立つものとなるように適合させることだ。チャクラコードのグラフトは有毒または不健康なアタッチメント・コードの影響を大幅に減らし、その人間関係を書き換えることも可能になる。


4 ヘリテージ・コード(遺産コード)

 我々の肉体が祖先からの遺伝子を受け継いでいるように、我々のチャクラにも、過去の家族の成員から受け継がれた、未解決の、あるいは習慣的な人間関係コードが含まれている。

 しばしば我々は、何世代も前にさかのぼる家族の人間関係パターンを、自分自身が繰り返しているのを見る。親である人は、自分が、自分の母親が自分に話しかけたのとそっくりに自分の子供に話しかけているのを聞くかもしれない。

 家族の人間関係パターンはヘリテージ・コードに含まれ、人が人生で行う選択に、無意識のレベルで影響する。

 これらのパターンに意識的に気付くことで、そしてヘリテージ・コードを再パターン化することで、過去を癒し、新しい形で選択を行い始めることができるようになる。

 配偶者との関係が機能不全であったり、家族に共通の同じパターンを繰り返す傾向が自分にある時、また家族の状況によって縛られ支配されるパターンがある時などに、ヘリテージ・コードのヒーリングは有用である。

 ヘリテージ・コードのヒーリングは、テクニックとしてはアタッチメント・コードのヒーリングと似ているが、重要な違いがある。それは、関係するパターンが、おそらく、その人の家族と文化のマトリクス(鋳型)に深く結びついているということだ。このため、このコードの修復や再プログラミングはずっと難しい。

 しかし、ヘリテージ・コードにゆっくりと継続的に変化を起こし、同時に現在のアタッチメント・コードに取り組むことで、家族に結びついた過去のしがらみをゆるめ、個人が慢性的な家族のパターンを超えるのを可能にすることができる。

5 セルフ・コード(自己コード)

 人は他の人間にコードをつないで、関係を模索したり、相手の現実を経験したりする。人はまた自分自身にもコードをつないで、自己の「ウィットネス(観察者)」としての機能を働かせる。これは健康な大人として必須の機能である。

 しかし多くの人は、健康なセルフ・コードを育てることを支えてもらってきていない。これは、子育てがあまり健全でない手本に基づいてなされた場合や、アルコール依存症の家庭のように機能不全の家庭で育てられたことなどによる。

 共依存的行動は、こういっているのと同じだ。「私は私の現実を、自分が誰であるの感覚(セルフ・コード)を通してではなく、あなたから(人間関係コードを通して)与えてもらう」。事実、このような人は、セルフ・コードの発達が不適切であることで、「自分」よりも「相手」を重視し、一方的な関係をもとうとするかもしれない。

 セルフ・コードとの取り組みは、リレーショナル・エネルギー・ヒーリングの重要な要素である。それは自己とのコンタクト能力の回路を強めることで、心理療法的取り組みによる成長を非常に強く支える。

 これらのコードは、関係性コードの中から出て、自分自身のチャクラの先端部(通常、チャクラの端)に埋め込まれれているのが観察される。



まとめ

 関係性エネルギー療法のコンテクストで行われるコード・ヒーリングは、クライアントの成長と癒しを助けることができる。これはクライアントとヒーラーが、特定のコードやそれに関係する臓器に保持されたエネルギーの分裂、葛藤、あるいはその他のネガティヴな影響を手放すことで達成される。

 関係性エネルギー療法では、人生を阻害したり否定する問題が解決されると、チャクラの自然な成長が再開されると考える(修復的ヒーリング)。これにより、クライアントの人間関係におけるニーズが、健康な状態にリセットされる。

 多くの場合、この結果、クライアントの人間関係が変化し始める。ある関係は、終りを迎えるかもしれない。この新しいパターンは、新しいオプションないし新しいタイプの人間関係を可能にするだろう。

 変化と変容とは、個人がより自分自身に力を与え、選択に基づいて生きられるようにと進化していくことだ。リアクション(反動的反応)はリスポンス(応答、感応的反応)に取って代わられ、衝動や中毒的パターンは選択によって取って代わられる。

 それによって我々は、自己の人生のゴール、そして魂の憧憬に向かって、よりいっそう成長していく。過去の痛みを手放し、創造的でエキサイティングな現在を全身で受けとめることができるようになる。そして自己の進化が展開していく過程に、意識的に参加するのを学ぶことができるのだ。

<Copyright 2006 Dean Ramsden. All Rights Reserved/ディーン・ラムスデンが全版権を所有(翻訳 王由衣)>

 上記のような形で人間関係のヒーリングにエネルギーの側面から関わっていくのが、「関係性エネルギー療法」だ。

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愛、エロス、セクシャリティとパートナーシップ

<チャネリング・メッセージ>

 先のクラスにおいて約束したように、この多くの人の魂を捕らえてやまないテーマについて、お話しましょう。

 まず最初に、人間存在には生来備わっている、本能的といってもよい、あるニーズがあることを認識してください。魂のレベルにおいてはそれは「愛する」ニーズ、そしてそこから、「愛の対象になるものを持つ、見つける」ニーズです。

 生物学的なレベルにおいては、それは自己の遺伝子を地上に存続させ続け、血統を絶やすまいとするニーズであり、これは生殖本能、すなわちセックスのもっとも物質的、本能的側面と見ることができるでしょう。

  ここで、人間においては生殖本能と性的ニーズは単純に同一のものではないことに留意してください。すなわち、満ち足りた性的経験をするということは、人間 においては、必ずしも必然的に生殖に結びついている必要はないのです。もちろん、愛に満ちた性的関係が「子供を生み出す」というコミットメントの上に結ば れ、愛とエロスによって結び合わされたカップルの間に、充実した性行為を通して受精、受胎が起こる時、これは「愛」がそのもっとも精神的なレベルからもっ とも肉体的、物質的なレベルを一つに結び、生まれくる魂のための器が準備されるのを可能にするのであって、これほどすばらしいことはありません。このこと についても、これから生まれくる子供たちの親となりたいと望む人々のために、語りたいことは多くありますが、それはまた追ってのこととしましょう。

  さて、先のクラスでも申し上げましたが、愛とパートナーシップのテーマについて十分理解するためには、実に広範囲にわたり視野を広げることが必要であり、 究極的にその理想の形を実現するためには、いわば自己成長の完成が人生の教育の終了点であるとすれば、もっとも高い形のパートナーシップの形成とは、その 先にあるレベルの取り組みである、そのように申し上げてもよいほど、多くの困難と挑戦を克服することが要求される道のりでもあるのです。もちろん、そうで あるがゆえに実りも多く、充実感を得られる道のりとすることも可能である、というのも事実です。

 そうしてパートナーシップ、とり わけて男女間の結婚ないし永続的な愛を軸とするパートナーシップの道のりに足を踏み入れるにあたり、理解する必要のある点として、はじめに触れた愛とエロ スの神秘、そして性の役割、ということがあります。同性同士や友人間のパートナーシップにおいてはもちろん、性的関係は目的ないし道程の一部ではありませ ん。友人間においてエロスに近似する深い友愛が経験されることもありますが、この場合のエロスは当然、愛とセックスのつなぎ役としてではなく、魂同士の思 慕と敬愛へと昇華されるべきものです。

 愛とは、その純粋な形においては、もっとも普遍的であり、すべてを超越し、溶かし、包み込 む、パワフルな力です。そしてハートを通して経験される愛は、同時に限りなく個人的なものであり、愛するものの魂をひたすらに見つめ、それと一つになろ う、永遠にともにあろうとする、燃えるような衝動を内在します。この燃えるような衝動はエロスという形で火をともされ、やがて長期にわたる関係を通して、 深い愛へと成熟していくものです。

 そして性本能は、やはり物質的なレベルにおいて抗しがたい普遍的な力であり、すべての人の細胞 に埋め込まれた本能の力をもって、もう一つの生命、異性と、肉体のレベルにおいて一つになり、融合し、新しい生命を生み出したいという、強く、ある意味で は盲目の衝動を込めています。この衝動は肉体に健康なつながりを持つ人においては比較的明確に経験され、肉体につながりの弱い人では抑圧され、無意識の中 に追い込まれており、そうしてそこからしばしば、本人にコントロールの効かない形で、あるいは認識されない形で、行動化されたり、妄想のような形で経験さ れるものです。妄想はもちろん、物質レベルに形をとらないだけで、エネルギーレベルでの「行動化」です。

 恋愛とは、エロスの力を 仲立ちに、この二つのレベルのパワフルな生命のほとばしりを経験することを余儀なくさせるものであるがゆえに、ある人はそれに焦がれ、追い求め、時には恋 愛の初期過程のみを中毒的に繰り返し、そうしてまたある人は、それに近寄ること自体を拒むか、これらの力が自分の中で燃えさかり始めると感じたとたん、身 を引いてしまいます。自分がそのどちらであるかを内省してみてください。もちろん、このいずれも、バランスを欠いたあり方です。

  前者はもっぱら魂の傾向性として感情の力の強い人に当てはまり、後者は知性の力が感情性よりも発達している人に当てはまります。また、未成熟な魂はしばし ば、このパワフルなエネルギーの流れの非個人的な側に身を置き、自己と自我のコントロールを手放してしまうことを好みます。これももちろん、健全な、成熟 した魂のあり方ではないのです。成熟した魂の経験する燃えるような、同時に無私の愛は、未成熟な魂が経験したがる寄生的な形での一体化とは異なるのです。 無私の愛とは「私」を持たぬことではなく、「私」すなわち十分に発達した自我の力を有し、自己の境界を備えながら、あえてそれを手放す勇気を持つ時に発揮 されるものです。

 そういう意味で、多くの女性、とりわけて従属性をその社会的にしつけられた習慣とし、また自己保存機能の一部として用いることを身につけている女性たちは、真の意味で、水瓶座時代において要求されるような意識的な形で、「無私の愛」を知っているとは言えないのです。

  このテーマが壮大なものである、ということの意味はここにもあります。すなわち、よりよいパートナーシップを作り出そうとするなら、まずは自己の内面に目 を向け、自らの魂の癒しと成長、そして成熟を第1のステップとしなければならない。このことは以前、アヴェナも申しました。すなわち、未成熟な女性の魂あ るいは肉体に引き寄せられるのは未成熟な男性であり、真に成熟した男性を求めたいと思うのであれば、まず自らの心と肉体を成長させよ、と。

  ロマンチックな「ソウルメイト」の夢に憧れる人は、自分自身で難しく時間のかかる自己成長の道のりを踏まずとも、どこからかすばらしい相手が現れ、その愛 によって自分が変容され、手をとって高い精神性と愛に満ちた永遠の幸せに導いてもらえることを無意識のうちに願っています。これはより高い魂の視点から は、あり得ないことだと気づいてください。それは比較的幼い魂の夢見るおとぎ話であり、ある意味では母胎回帰の欲求を異性のパートナーに投影しているに過 ぎないのです。

 恋愛、結婚、男女間のパートナーシップに、多くの人々が焦がれてやまぬのは、そこでのみ経験されうる神秘のゆえに 他なりません。それは、男女間の成熟した愛と性の関係を通して、もっとも個人的、人間的な要素と、もっとも普遍的、宇宙的な要素が一つに合流し合う経験と して、そうしてまた、人間のもっとも物質的、肉体的、本能的側面と、もっとも霊的、精神的な側面とが出会い、互いに抱き合うことが可能になる。霊性、魂と 肉体、物質が真の意味で一体となることが二人の人間の間で起こりうる、というその神秘においてです。

 アルケミーの伝統において、魂の統合の過程が、男性的要素と女性的要素の結合ないし「結婚」として象徴されているのには、深い意味があるのです。

  もっとも望ましい形でパートナーシップが実現されるためには、個々人が自分自身の内において、この「聖なる結婚」とも呼ばれる、男性性・女性性、肉体と霊 性といった対極の要素を統合し、その中から新たに生まれいずる魂と肉体の統合状態を経験し、体現しなければならないのです。これが起こる時、人の内には、 アルケミーにおいては「溶鉱炉」と呼ばれ、またその他多くの神秘主義の流れを汲む伝統において「聖杯」と表現された器(うつわ)が形成され始めるのです。 これは単に心理学的、象徴的な表現ではなく、この器の存在はエネルギーレベルにおいても経験されるものです。

 パートナーシップとは「見つける」ものではなく、築くものです。そうして築いていく過程の中にこそ、成長の機会があり、エロスが愛とセックスの架け橋となり、恋愛がゆるぎのない愛として成熟することが可能となるのです。

  そうしてまた同時に、私の言葉を、「完璧なパートナーに恵まれるために自分を磨く」というような短絡的な形で理解される方があるとすれば、それもまた見当 違いである、と気づいてください。パートナーシップとは、それ自体が目的であるものではないのです、それがどんなにすばらしく、理想に近い形のものであっ たとしても。

 ここでお教えしておきましょう。あなたにとっての真の「ソウルメイト」、すなわち「双子の炎」としても知られる、あ なたが女性であるならあなたの魂と完璧な対をなす男性存在(あなたが男性であるなら女性存在)は、決して同時に肉体レベルでの転生を選択することはないの です。ユングはそのアニマとアニムスの概念においてそのような存在を予感しました。その存在はあなたが肉体を持っている間はエネルギー世界の側(ユングの 概念においては「自己の内的次元」)にあって、あなたを見守り、時の流れを経てあなたが自らのもとに還って来るのを待っているのです。「ソウルメイト」 「魂の伴侶」という言葉があなたの胸の内にえもいわれぬ思慕をかき立てるとすれば、あなたはこの存在のことを思い出しているのです。けれども同時に、この 「完璧な魂の片割れ」、プラトンが語った「もとは一つの魂であり、やがて二つに分かれた存在のその一方」とは、物質世界においては手をとり合わぬことに なっているのだと知りなさい。これを知らぬ時、人はこの、手に入るべくもない「理想の恋人/伴侶」への思慕と憧れに突き動かされ、その影を地上の異性に投 影しては、相手の魂ではなく「理想の存在」の幻影をのみ相手の上に見、そして当然のごとくに夢破れ、また新しい異性、すなわち自らの理想の投影先を求めて 彷徨することになります。それはギリシャ神話のナルキッソス、水鏡に映った自分の姿を恋人として追い求めようとした青年の物語とも似ています。あるいはす でに結ばれた配偶者や恋人をこの「理想の存在」とつき比べ、不満足にその伴侶との時間を過ごすことになるのです。

 繰り返しましょ う。男女間のパートナーシップとは、それ自体が目的とはなり得ません。それは経験の枠組み、もっとも高く挑戦に満ちた経験を与えてくれる枠組みではあって も、あくまで一つの「場」であり、「通り道」なのです。真の目的は、その枠組みに意識的に、コミットメントをもって入ることによって可能になる経験を通し て、あなた自身がいかに自己の魂を蒸留し、輝く光のエッセンスとして自らの内にため、内なる宇宙に持ち帰るか、ということにあるのです。人の魂がアルケ ミーの変容プロセスの器である、というのはそのよう意味でもあります。

(ケレウス、1996年)

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女性よ、自らを癒せ

<チャネリング・メッセージ>

 娘たちよ。

 愛について、セクシャリティについて語りたい、そこに癒しをもたらし たいと望むのなら、まず自らの内を見よ。なんじ、自らを受け入れて在るか? 女としての肉体、感情、知性の美を受け止めて在るか? 外面的な価値基準にて 自らを貶めてはなきや? 自らの望みよりも他者の望みにて自らを定義するにあらずや、自らの美を形作るにてあらずや? 男らと対等の価値持てるものとして の力を放棄せるにあらずや? 

 異性との関係を見る前に、まず自らを見よ。関係の不満足さに目をやる前に、まず自らがいかに自己を否定し、従属的在り方に依存せるかを気づけ。どれほど女性本来の本質的な美と力とを押し殺し、生命の豊かさを無為に流出させてきたかを気づけ。

  自らの足で一人の人間として立つことを望まぬ者には、それが男であれ女であれ、満ち足りた愛の関係は訪れえぬ。今この時代においてなんじの魂を真に満たす は、他者との対等なる関係結ぶこと以外からは生まれえぬもの。また男らと対等の立場から自らの生を生くことなしには、成り立ちえぬもの。関係の不満足さを 配偶者や恋人に帰する前に、今一度自らの魂、感情に目をやるがよい。親に満たされなかった思いを配偶者や恋人に満たさせようとしても、それはうまくはゆか ぬ。配偶者や恋人と接するに、自らがどれほど子供のようにふるまいてきたかを省みるがよい。

 自らの肉体に目をやれ。一度衣服を脱ぎ鏡の前に立ちて見よ。つま先から髪の先まで、一個所でも受け入れられぬ部分があるなら、それはなにゆえかを問うてみよ。

  なんじの肉体は神聖なるもの。なんじの魂は神聖なるもの。なんじの知性、感情は神聖なるもの。そは女神の器にて、なんじは自らのうちに女神の萌芽をいだい きてある。芽吹かせよ、この萌芽を。豊かに育て、花開かせよ。なんじの肉体は麗しき花。そは色、形の違いにかかわらず、一つ一つが他に比ぶものない美を持 つ。またその美を理解し愛でる、ふさわしき配偶者を持つ。

 あせるではない。社会により押しかぶされた年齢の枠など置き去るがよ い。真に意味を持つはなんじ自身の内なる年齢。それが熟さねばならぬ、真に愛しまた愛を受け入れるには。40、50歳の肉体を持ちながら心は10歳の少女 にとどまる者もこの国には多い。これでは成熟した愛を育てることはできぬ。

 であるから、あせるのではない。時間をとりて自らの肉 体、感情を女神の器にふさわしく育てあげよ。心が成熟する時、肉体も真に成熟を迎える。そうして初めて、真にセクシャリティについて語ることができる。肉 体は心なしには成熟することはできぬ。そうして両者の成熟なしには真の女性として性を表現し顕現することはできぬ。なんじが真に成熟を迎えたならば、なん じの魂の芳香に誘われ、そのような質を見分けることのできる、なんじにふさわしき恋人、配偶者も訪れようもの。

 娘たちよ、まことに、社会の定義にて生きることを止めよ。男らの目のために生きること、偽りの香で自らの魂を包み隠すことを止めよ。従属し保護さることのみを生き方とすることを止めよ、女性としての真に満ち足りた生を望むのであれば!

— アヴェナ(1996年)

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