10. お金と仕事 夢をかなえる 自由に生きる

お金についての話、リンダ・グッドマン『Star Signs』

 リンダ・グッドマンの占星術解説書『Sun Signs』と『Love Signs』は、合わせて6000万部売れている。切れ味のよい語り口と、ストレートな人間愛を感じさせる文章が、アメリカの大衆に受けていることは間違いない。

  グッドマンは、ポピュラーな占星術家・執筆家としての顔以外に、秘教系の研究者としての顔も持っている。『Linda Goodman's Star Signs』は占星術の本ではなく、いろいろな精神的・日常的テーマについて、いかにも彼女らしい自由闊達さで書き下ろされている。

 トピックは お金との関係、転生輪廻とカルマ、運命と自由意志、数秘術、レキシグラム、色彩療法によるダイエットから果ては若返り法に到るまで広がり、まとまりがない と言えばまとまりがない。しかし、他では得られない知識やノウハウがちりばめられている点、そしてそれが秘教系の教えを学んだ人間の視点から語られているという点で、興味深い1冊になっている。

 「人は永遠に生きるべく生まれついており、すべての死は、何らかの形の自殺である」と言い放つ過激さがいかにもグッドマンらしい。

 アメリカ文芸ギルド推薦図書。

抜粋抄訳

 「お金には、ほとんどの人が悟ることのない奥義がある。人がその力の秘密を受け入れ、実際に使うようになる時、お金は驚くような形で増える。

 しかしお金の秘密を学ぶことと、その秘密についての知識を使いこなすことは同じではない。お金に関する宇宙の法則は、不可思議に矛盾している。一生懸命働いてお金を稼ぐことは、お金を生み出す方法ではない。

 事実、お金の奥義はあまりに単純すぎて、それを実行に移すためには、その試みの中で、大きな知的、感情的苦痛の両方を経験しながら、最終的に、「失うことへの恐れ」の圧倒的な魔手から逃れ、それを克服するまで、非常に苦闘しなければならないのだ。

 第1のルールは、どんな仕事なら自分は愛を込めて働くことができるかを見つけることだ。

 第2のルールは、与えることだ。いったん第1のルールに従ったなら、じきに、基本的に必要な分をはるかに越えてお金を稼ぐようになっているだろう。

 借金を払い、基本的な生活のニーズをすべて満たしたなら(それは必要なのものに加え、休暇や静養、旅行を含む)、愛を込めて働き稼いだお金の、残りの半分をすべて、与えてしまうことだ。

 手放すのだ。進んで、そして自由に(用心深く、おそるおそるではなく)。

 これを1度試したなら、これ以上の説得はいらない。ショッキングなほど短い期間の間に、与えたお金は自分に戻ってくるだけでなく、それは増えて戻ってくる。しばしば3倍、4倍にもなって、まったく予期していなかった形で、同様にまったく予期していなかったところから。

  お金の奥義の秘密は、お金の緑のエネルギーは、磁力の軌道を旅するということだ。手放せば、それは純粋でパワフルなエネルギーの目に見えない軌道を通り、 間違いなく何倍にも増えて戻ってくる。そして自分の中を通り抜け、その循環の通り道を外に向かって流れ、そして再び戻ってくる。それが止まるのは、与えるのを止めた時だけだ。」

余談
タイジングの習慣

 いつにも増して過激なグッドマンは「手元に残ったお金の半分をすべて手放してしまえ! そうすれば必ず何倍にもなって戻ってくる!」と、読者を叱咤する。

 お金を与え、また意識的に使うことで流れを作り出すという法則は、フローレンス・スコヴェル・シンやアーネスト・ホルムズのような、お金に関する哲学についての古典的教師たちによっても繰り返し強調されている。

 それが真理であると私が同調できるのは、実践を通してそれを体験しているからである。

  与える割合にはタイジング(「十分の一税」)の伝統にちなんで「収入の1割」というものから、私の師ロザリン・ブリエールのように「収入の4分の1」を実行している人、そしてグッドマンのように「必要な支払いを済ませて残ったお金の半分」というのまであるが、いずれの場合も、肝要なのは、宇宙の豊かさと善意を信じて、全幅の信頼のもと、喜んでお金を手放すことだ。これが必ずしも容易でないのは、「大きな知的、感情的苦痛の両方を経験しながら、非常に苦 闘しなければならない」と指摘されている通り。

 「用心深く、おそるおそる」(「本当に返ってくるんだろうか」と心配しながら)与えるのでは効果が望めないということろが、なかなか多くの人がこのレベルの自由度に到達することができない理由だろう。与えるという外的な行為だけでは十分ではなく、それを内側から裏打ちする信頼を自分自身の中に築き、それを強め続けることが、「豊かさを象徴する緑のエネルギー」を動かすためには必要だ。

 このルールをマスターして人生をいかに自由に幸せに生きるかにチャレンジすることを、フローレンス・シンは「Game of Life(人生というゲーム)」と呼んだ。

Linda Goodman's Star Signs
Linda Goodman's Sun Signs
Linda Goodman's Love Signs

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不況とリストラの意味 恐れに縛られずに生きる

 日本の経済と国の財政が、解決しなければならない問題に直面していること自体は疑いがない。

  「経済不況は悪いことか?」 答えは、「風邪が悪いことか」という質問に対する答えと同じだ。西洋医学ではもちろん「風邪=悪」と思っているので、 その症状を薬で抑えようとする。

 (ちなみに風邪薬は風邪を「治す」のではない。鎮痛成分で痛みを感じなくさせ、解熱成分で熱を下げ、咳止め成分で咳を止めるだけ。「治る」のは体が自分の回復力で治る。)

 しかし、非西洋医学系の療法を学んだことのある人なら、「風邪」の症状を経験するのは、体の側の理由があると考える。

 「熱は体を浄化するため」「風邪をはじめ横にならなければならない病気は、忙しく生き過ぎる我々に、足を止めて、落ち着いて考える時間を持たせるため」。

 こういうふうに理解することができれば、風邪をひいた時、ただそれをいやなものと見なして風邪薬で症状を抑えてすまそうとする代わりに、食生活や生活習慣を少し整える機会としたり、忙しすぎる日常から離れて自分や自分の体について振り返る機会にすることができる。

 そうしてこそ風邪の「意味」が生きる。

 病気は、日常生活の中で体のリズムの乱れやエネルギーの滞りを知らせてくれるメッセンジャーだ。風邪のような小さなメッセージに耳を傾けて自分の健康を管理することができれば、それはよりよく健康を維持する知恵を育てることにつながる。

 他方で小さなメッセージを無視し、食事や生活習慣を振り返って改善することをせず、ストレスをかけ続けることをやめないと、次に体から送られてくるメッセージは必然的により大きなものになる。

 小声で話しかけても耳に入らない相手にメッセージを通すには、だんだん大声で叫ぶしかないようなものだ。

 病気は、それまで抱えてきた不要なものを手放す機会とも考えることができる。それが小さな習慣やストレスであれ、それによって溜まった体の中の毒素やエネルギーの停滞であれ、また時に自分の人生に対する態度そのものという大きなものであれ。

 同じ見方で「経済の健康」ということを考えてみることができる。

 「不況」は、それまで我々が当たり前に思ってきたものを見直し、物事の優先順位を意識的に整理し、不要になっていたが、ずるずると手放さずにきたものを手放すようにと促す。

  それは拡大と収縮という、生の営みの自然なリズムだ。

 収縮期とは、拡大期に取り入れたものを吟味し、必要なものを残して自分の中に統合し、不要なもの、用済みになったものを手放して自分を軽くする時期だ。それによって、また次の拡大期に新しいものを取り入れるスペースを作ることができる。

  「リストラ」は、それまで無意識に生きていた人の自らの人生における価値観や優先度を根底からくつがえす。

 「意味を感じられないが、とにかく生活のために/安定を求めて続けてきた仕事」を手放さざるを得なくなることは、人生と「自己」からのメッセージだ。「仕事だけが自分の生きる意味なのか?」という問いに直面する期間が与えられるからだ。

  本当は「自己リストラ」をすることができれば、それにこしたことはない。生き甲斐のない職場に見切りをつけて、本当にやりたいことを探す勇気がもてるなら、もちろんその方がずっといい。

 しかし多くの人にとっては、それまで安定を与えてくれた環境は、たとえ本当の意味で自分を満たしてくれるものでなくとも、手放すことは難しい。

 たとえそれがゆっくり自分の魂を絞め殺していく環境であっても、物質レベルの安定、生活の支えを手放したくはないと大部分の人は思う。あるいはそれ以外に道や選択肢があると考えない。

 だからこそ、そんな時、長く切り離されてきた自分の魂の一部(ユングの言う「影」)が、ドアを蹴破って人生に入ってくる。「自分は誰なのか」という問いを突きつけるために。魂がそのまま枯れ萎んでいくことを阻むために。

 安定が一方的によいものだというのは思いこみであり、物質的な価値観で動く社会からの条件付けだ。安定が自己の成長を阻み、ゆっくり魂を枯れさせる時には、その安定は老化、退化、そして死のゆりかごに過ぎない。

 そのことを人は内面で知っている。だからこそ、危険をおかし冒険をおかして生きる人々にあこがれ、映画を見、小説を読む。

  不況やリストラといった、生活の土台に影響を与え、また揺るがす人生の外的変化は、「あこがれを自分と切り離したままにするな」という人生と自己からのメッセージだ。

 この意味をくみ取ることができるかどうかに、それが単なる苦しみと困難として経験されるのか、それとも生き方を見直す天与のきっかけになるのかが、かかっている。

(2002年12月)

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お金=エネルギーと物質の媒体

 しばらく前から気になっているトピックがある。

 私の中で「しきりに気を引かれる」何かがある時、それはしばしば学生たちの集合意識の中で煮詰まりつつあり、前へ進むための刺激ないし触媒を必要としているテーマであることが多い。

  大まかに言えば「自分が学び、成長し、望む人生に形をとらせるためのリソースをどう獲得し、活用するか」。

 リソースとは時間、エネルギー、その他、この物質世界で必要に応じて、また自分の望みに応じて、動き、計画や仕事を成し遂げ、ゴールを達成するための力となる「資源」(リソース)だ。

 その中でも多くの人にとって複雑な愛憎の対象となっているものは、「お金」だろう。

 精神的な道程を歩む人々の中には、お金について口にするべきではない、あるいは自分の金銭的ニーズについて口にするのが恥ずかしいと感じている人もいる。

 ここでまず確認したい前提は、お金を含めたすべてのリソースは「エネルギー」だということ。

 「お金 =エネルギー」というスローガンはかつてのニューエイジ運動によって乱発され、ポジティヴ・シンキングさえすればどっとお金が流れ込んでくるかのような方法論に翻弄された経験のある人にとっては、うざいものであるかもしれない。

 「お金を動かすためには背後にあるエネルギーを動かす」という原理は正しいのだが、ニューエイジ運動が広めたインスタントな(ある意味、未成熟な)やり方では、お金を流れさせるためのエネルギーはなかなか動かない。

 どのようなものであれエネルギーの制御能力を身につけるためには、修練と自己規律、そしてゆくゆくは自己と高い意志の間の整合性が必要で、これはそのまま、エネルギーを介してお金の流れを動かす力にも当てはまる。

 そうは言っても、お金の流れについては、それぞれの個人に生まれついての容量や「運・不運」といったものがおおまかにあって、意識的に取り組むことをしない場合には、生まれついての設定内容がそのまま人生に形をとる。

 だから現にお金持ちであるということと、その人が意識的にお金の流れを制御する能力を身につけているかどうかの間に、単純な比例関係はない。

 もちろん、生まれついて幸運な人が、意識的に財政資源を活用することに努めれば、大きな結果が望める。

 生まれついての容量がそれほど大きくない人の場合でも、取り除けるすべての障害を取り除いて最良の流れを得るように努めれば、適切な人生の枠組みの範囲で金銭面での不自由に悩まされることはなくなる。

 しかし、 制御能力さえ獲得すれば誰でも、自分の金銭的器(うつわ)をはるかに越えて大金持ちになれるというわけではない。誰もが財閥の主になれるわけではない。

 そういう規模の財政資源を持つには、何世代にもまたがって財政獲得能力と管理能力を身につけては積み重ね、それを遺伝子(=物質とエネルギー両レベルでの資質の伝達媒体)を通して伝えていくことが必要だ。

 こういう世代を通して積み重ねられた管理能力なしに成金的に大金を手にしてしまうことの不幸は、世に枚挙のいとまがない。

 充分な管理制御能力を持たずに大金(膨大な量のエネルギー)を手にする人は、多くの場合、そのエネルギーないしお金のアーキタイプによって乗っ取られ、お金のアーキタイプの影の面が人生を占め始める。「お金持ちになったとたん人が変わってしまった...」というあれだ。

 この場合、それを乗り越えることができるかどうかが、人生のレッスン、そして主要なテーマになる。

 財政能力を含めたエネルギーの制御能力は、各人の人生を通して時間をかけて取り組みながら、総合的に磨いていく必要のあるものだ。なので、「これさえすれば」といった「お手軽ノウハウ」を挙げることにあまり意味はない。

 しかし、私自身が生活の中で心がけていること、励行していることの中から、ヒントを挙げることはできる。

 タイジング(tithing)は「十分の一税」などと訳されて、伝統的にユダヤ教徒やキリスト教徒によって、教会や聖職者の生活を支えるために収入の一部を寄付する献金のこと。キリスト教では現在は制度としては廃止されているが、まじめなユダヤ教徒の間では(ユダヤ系の富豪も含め)今も実行されている。

 そういう宗教的ニュアンスはさておき、現代の精神的な道のりを歩む者にとってのタイジングの基本精神は、自分の魂を潤し、支え、あるいはより高い自己のあり方を目指して歩み続けるためのインスピレーションや励ましとなるものに対して、自己の収入 (自分の手元に流れてきたエネルギー)の一部を捧げることだ。

 ポイントは、自分の魂にとって励ましを与えてくれるものに対してそれを行うことで、同情や義務感、「もてる者の罪悪感」からチャリティなどに献金をするのとは異なる。

 また「タイジングをすることでお金が返ってくるのなら」という期待を込めて寄付をするのは、それは通常の投資と同じであまり意味はない(まあ、何もしないよりはずっといいが)。

 また「返ってこないかもしれない」という恐れを抱きながら義務的に差し出すことも意味がない。

 自分はこの世界によって支えられ、必要なニーズは満たされるという信頼と感謝のうちに、自分の魂にとってこの世界に生きるためのインスピレーションになってくれる活動や対象に対し、よろこびと感謝をもって自分のエネルギーの一部を捧げる。

 こうして手放されたエネルギーは流れるべき所に流れ、届くべき所に届き、それが自分の魂にとって望ましいことであれば、やがて自分にもその恵みは(時には大きく育って)戻ってくる。

 すべては高い意志のままに....そう祈りを込めて、手放すようにして送り出 す。

 ここではじめて、お金がエネルギーであるという言葉の意味が生きてくる。

 自分のもとにお金という形で分け与えられたエネルギーを、それがさらに届くべき場所へと送り出すことに参加できるのは、生のサイクルを担う者としての役割でもあり、よろこびでもある。

 お金=エネルギーなら、エネルギーを私的に所有することなど誰にもできない。ただ一時の管理役となり、受け取り、自他を生かすために賢明に活用し、次の管理役に受け渡す。

 この流れを執着なく明晰なものにすることができた時、お金はシンプルなエネルギーとして自由に流れ始め、生命を生かすというエネルギー本来の役割を果たすことができる。

 人によっては、こういう境地から手元のお金を差し出すことができるようになるまでに、物質世界とその背後にある高い力に対する信頼を育てる過程が必要だろう。

 最初から完璧な態度で行えることを自分に要求せず、不安があるならその不安を正直に見つめ、自分の中の幼い自己や自己中な部分が文句を言うならそれを見つめ、それらの根がどこにあるかを探り、行動と内省を通して少しづつ自分を大人に育てていく。

 完璧にできないことを、行動を起こさないことの言い訳にしてはならない。

  そしてこのような形でお金/エネルギーを捧げることを考えた時、自分の魂を励まし、この世界に生きるためのインスピレーションになってくれるものとは何だろうという問いにも直面する。

 それは自分の人生の中でもっとも大切なもの、生きる理由や動機は何だろうという問いにつながる。

 時間をとって、考えてみよう。

 この人生にあって、自分にとって本当に大切なもの、価値とははなんだろう。自分のハートを開き、自己をより高い存在へと高める道程を歩み続ける意志を支えてくれるものは、なんだろう。

 そしてまた、今この世界の中で、金銭的援助の形で自分のエネルギーを送り届けることが、もっとも必要とされている先はどこだろう。

 難民の支援や貧しい国々の孤児たちの救済支援にしても、このような個人的視点からとらえ直し、 自分自身にとっての意味を見つけることができると、寄付の行為と内容に伴うエネルギーの質も変わってくる。

 そして少額であっても、自分の手元の恵みを分かち合うという理解のもとに、お金を送り出すことができる時、私たちの魂は潤う。

(2002年5月)

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