
オンライン講座「アストラルの基礎」では、古代ギリシャにまで遡るアストラルという概念の歴史から、現代での実用性まで、たくさんのトピックを扱った。
その中で、アストラルの領域と想像力の関係についても少し話しているが、ここではそのテーマに絞って少し書いておきたい。
私はこのところ物語小説を書いていて、それを講談社の小説サイトで公開している。
普段から小説を読む習慣のない人には「なぜ小説?」と思われているかもしれない。「そんな実用性のないものより、使えるハウツーものを書いて欲しい」と思っている人もいそうだ。
小説は単に趣味で書いているわけではない。創作活動なので楽しくて、書いている時間が充実していることは否定しないが、それ以外のたくさんの理由がある。
ストーリーとキャラクター描写のある物語なので、もちろん読んでも面白いはずと思うが(講談社のサイトでこの小説を見つけて読み続けてくれている人は、単純に「面白い」という理由で読んでいると思う)。
しかしSHASで学んで背景知識のある人は、たくさんの知識や理解が象徴的な形で詰め込まれていることに気づく。知識の中にはセリフを通して表立って語られるものも、行動や物語を通して間接的に描かれるものもある。
例えば登場人物の象徴性については、アルケミーを学んでいる人や占星術に詳しい人はすでに気づいていると思う。
またエピソードによっては、タロー(タロット)の大アルカナの象意も反映されているし、占星術やフラワーエッセンス関連の話も出てくる。
「アルケミストの庭」の章は、ほぼまるまるフラワーエッセンスについてのパートだ。
物語小説と想像力
「小説を読め」と言われても、「実用本ならお金を払ってでも読むが、小説は無料でも読まない」という人は結構多い。
子供時代から青年期にかけて優れた小説を読んで、物語が自分に与える影響の素晴らしさを経験したことのない人は、大人になってからも小説を読もうとしない。
物語小説を味わうためには、文章を読んで、登場人物や描かれている情景や経験を自分の中に想起し、それを自分の感情を通して代謝しなければならない。
それを面倒くさいと感じる人は多いと思うし、また最近ではイメージを想起したり物語に感情移入をすることが苦手な人も増えている。
だが、よい物語小説を読んで刺激される感情は、胸=ハートの感情で、それはつまりアストラル体へのインプットだ。
だからとくにハート・チャクラが発達し始める思春期の前後に物語小説を読むことは、本当に大切だ。
小説を読む力のない人は、ヴィジュアルなイメージを想起する力や、感情移入をする力が弱い。
しかしそれではアストラル・レベルで機能するのに圧倒的に不利なのだ。
そういう人にアストラル・レベルのヒーリングを教えても、頭で考えるばかりで、なかなか先に進まない。
小説、とくにハートの感情に訴える物語や、視覚的イメージを刺激するファンタジー小説を読むことは、想像力と感情の筋肉を鍛える。
想像力を刺激し、物質世界の形を超えた多彩で豊かなイメージを、視覚的、体感的に経験させる小説を読むことは、アストラル体を育てるための手法として優れている。
もちろん、伸ばした想像力は、肉体の行動を通して現実世界にグラウンディングする必要がある。
しかし想像力は、人生を豊かに生きるために欠かすことのできない自己の部分だ。
今の日本社会では、とりあえず思考力と行動力があれば、仕事はできて生活はできるかもしれない。しかし想像力なしには魂は乾き、飢える。
アストラル、ハート・チャクラ、想像力
アストラルの領域への扉はハート・チャクラであり、そして想像力だ。
それはアストラルが想像の産物だという意味ではない。
むしろアストラルの現実は、どんな人間が想像するよりも不思議で、複雑で、有機的で、そして測り知ることのできない深さ、奥行きがある。
そしてその入り口を開くのが想像力(ハート・チャクラの力)であり、それを動かすための筋肉として、イメージを想起し、視覚化する能力が必要なのだ。
アストラルの領域でよく機能し、働きかけていくには、これらを鍛える必要がある。
これには大きく二つの方法が可能だ。
一つはルドルフ・シュタイナーが教えたように、まず物質世界で形のあるものをよく観察して見る。それから目を閉じて、その形を完全に自分の中で再現する。
外部の手本をもとに複雑なイメージを内的に組み立てていく作業は、チベットや中国も含め、古代から伝統的な精神修業の一環だ。
昔のFESの集中研修でも、植物を使ってこの練習をシュタイナー式でさせられたことがある。
もう一つは、文章を読んで、そこからイメージを描き、それを積み重ねて一つの世界を自分の中で作り上げ、経験する。
多くの古典的なファンタジー小説は、この目的のために優れている。
子供の頃から文章を読んで内的にイメージを組み立てる習慣のある人は、想像力の筋肉がよく発達している。
それは貴重な財産で、それを適切に方向づけることで、アストラルへの働きかけに役立てることができる。
エジプトの精神的な修業の階梯では、階段の一段目は「文字通りの意味」「字面(じづら)」の理解から始まる。
字面通りの教えとは、例えばディオン・フォーチュンの書いたものでいうと、こういう具体的な文章だ。
「儀式魔術とは、エネルギー・レベルにおける治療学のようなものだ。もちろん、衛生学の知識なしに治療など行うべきではない。そしてこの領域における衛生学とは、人としての倫理なのだ。
多くの実践者により犯される過ちは、パワフルな変化を引き起こす魔術的行為を、倫理的な正しさという衛生学を併用することなく行おうとすることだ。」
そして次の段階に進むには、字面を超えて、その背後にある象徴的な意味を汲みとる能力が必要とされる。
この象徴的な伝達は、ディオン・フォーチュンで言えば、彼女が残したたくさんの物語小説にあたる。
今の日本では多くの人が生活に忙しく、時間や精神的にも余裕がなく、自分自身の想像力を遊ばせ、またアクティブに使って伸ばすことに時間をとることをしない。
しかし想像力を萎縮させてしまうと、人は自分にとってのよりよい未来を描く力を失う。そして今はまりこんでいる現状から抜け出すことが、ますますできなくなる。
だからこそ、想像力を刺激して育て始めることが必要なのだ。
短くてもいいから、まず始める。それこそ通勤途中や隙間時間で、自分の中の想像力や夢を刺激する文章、小説や物語、詩を読むといったことから始めればいい。
よいファンタジー小説や物語は、「目の前の狭い現実だけが現実ではない」「世界の背後には意味が隠されている。普通の大人の目ではそれを見ることができなくても、それを見ることを学ぶ道がある」ということを思い出させてくれる。
そして「自分にはもっと豊かで、意味のある生き方が可能だ」と。
一度そのことを思い出し、自分の中で感じることができるようになった時、自分のアストラル体はその本来の力をとり戻し始める。
そうすればその次のステップとして、自分の夢に向けてエネルギーをため始めることができる。
多くの人が感じているように、今は人類にとっても、日本に住む人々にとっても「冬」の時期だ。この厳しい季節はもうしばらく続く。
だからこそ、それが去って、再び動き始めることができる時期に向け、自分のハートににエネルギーを蓄える時なのだ。
関連リンク
・講談社の小説投稿サイトに掲載の作品 目次
小説を読む習慣がなく、とりあえず植物に関係のある部分を読んでみたい場合は、「海の声」の章を飛ばして、2番目の「アルケミストの庭」の章を読んでください。
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