08. アルケミーとフラワーメディスン

November 20, 2016

デーヴァ(1) Webクラス(アルケミー・トラック)のイラストから、

Deva201611202b_3

              [おうゆい(C)2016/色鉛筆]

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April 11, 2016

「女性が大地の智恵と力を取り戻すために」レクチャーを無料公開

 Webレクチャー・シリーズから、2013年8月「女性が大地の智恵と力を取り戻すために」を無料公開にしました。

 mp3ファイルで視聴できます(再生時間55分)。クリックするとファイルが開きます。ファイルが大きいので、接続環境によりロード完了して音が出るまでに数分ほどかかります。

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January 30, 2015

「ヒーリング、アルケミー、シャーマニズム」冬のリトリート 参加者の感想(飛騨)

 12月から開始の4回シリーズの「予行演習」とも言えた、この1月のリトリート、参加者の感想です。


雪の奥飛騨




              (1)

 今回は楽しかったとか、勉強になったとか、そういう単純な言葉で言い表せないほどの経験をさせていただきました。

 特に、自分自身のことを(今も昔のすべてひっくるめて)深く知る手掛かりに なったと思っています。 みんなと、「研修は終わったけど、なんだか全然終わった感じがしないのは、やっぱり12月からの研修の始まりだからなのかな」なんて話していたところでした。

 今回の研修・リトリートはアルケミーとシャーマニズムの内容ということもあって、正直私についていけるか心配でした。

 シャーマンについて、過去生を知る意味について、メディテーションについて、 グラウンディングすることについて、アストラルの世界に触れることについて・・・

 今までの誤った認識や、既にやってきたことをもう一度ふるいにかけて、自分ともう一度向き合いながら新しく経験を積んでいくことが、いかに大切で、必要になるかということを目の前に広げてもらったと言うか・・・。

 私にとってとても大きかったのは、自分の中にあるアストラルの世界や存在に 対する抵抗が強くあったということに気が付けたことでした。

 リトリート中に見た怖い夢について改めて考えていたのですが、恐れを感じているのは、アストラルの世界や存在に触れることへの恐れと禁忌の気持ちなのかもしれません。その気持ちがどこから湧きでてくるものなのかまだよくわからないけれど、でも、今はその気持ちを受け止めつつも流していきたいと思います。

 それから、今回メディテーションの経験やクラスでの経験で、よりしっかりとしたバウンダリの必要性を痛感しました。 自分の特性に対して認めたくない部分をちゃんと認めて、受け入れないと前に進めないんだということ。自分の良いところを伸ばしていくことがどうゆうことなのか。

 心を新たにしてまた進んで行きたいです。

             ☆ ☆ ☆

              (2)

 リトリートからの帰り、バスが東京に近づくにつれ、どんどん下界に戻っていくのですが、それでも周りの見え方、感じ方が行く前とは明らかに違いました。

 元(行く前の状態)には戻れないな(戻りたいわけではありませんが) と、感じたリトリートでした。

 リトリートでこう強く感じたのは 沖縄、バリに次いで3回目です。 充実した時間をありがとうございました。

             ☆ ☆ ☆

              (3)

School of Healing And Sciences 王先生 様

 このたびの高山集中研修と京都研修では、大変お世話になりました。

 高山では、はじめ、自分が場違いなのではないか、この場を壊してしまわないだろうかなど、不安というか心配だったのですが、先生や皆さんに温かく接していただき、緊張も解け、楽しみながら参加させていただくことができました。

 高山は初めて訪れ、住まいと同じ雪国でしたが、雪に囲まれた冬といっても、その雰囲気は異なっていて、森や山に囲まれて、ほんわかと温かに感じられました。

 土地や自然や住んでいる人の暮らし、施設の皆さん、そこにクラスの皆さん、など、それらが何層にも重なって、全体でひとつだったり、それぞれだったり、たくさんの器があって、どれも時間をかけて作られて、関係していて、大切に守られているんだなぁと思いました。

 そこに自分が居るというのも、何だか不思議な感じがしましたが、受け入れてもらっているという実感があって、これは大きな意味で、この世界で生きているということにつながるんだろうなと思いました。

 クラスの講義の内容は、とても深い内容で、これまでの自分はあまり接したことはないものですが、そのような環境にいるせいか、リンクして、不思議にすんなりと自分の中に入って来るように感じました。

 これまでは、ヒーリングという切り口で、人とエネルギーの関係という視点で学んできましたが、大きくて根源的なものとの関係として人が引き継ぎ守ってきたもの(うまく言葉にできませんが)があって、これを大切に守っていかなければいけないし、自分も少しでも学んで、生き方の中に身につけられたらと思いました。何かをするにしても、これが共通した本質の部分ということなのだと思いました。

 その後の京都の研修では、とても大きなエネルギーの流れや、その中にも人によって意図的に作られたものがあるということを知り、とても面白く、そして、そのように在るこの世の中というのはすごいなぁと思いました。

 鞍馬山に流れこむエネルギーの迫力や、知恩院の御廟の研ぎ澄まされたエネルギーも、一人ではなかなか感じられないものだと思うので、参加できて良かったです。

 王先生とクラスのみなさんから、このような時間と経験をいただいたことに感謝です。ありがとうございました。

 そして、このような機会を自分に与えた自分自身にも感謝したいと思います。行って良かったです。

 自分の知らなかった世界が広がっていくということの面白さと、それが知りたかったことで、ああこれなんだ、という実感が得られる学びは、本当に幸せなことだなとつくづく思いました。



(参加者からの感想は基本匿名、またプライバシー等保護のため文章の一部を省略しています)


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November 18, 2014

フラワーメディスン集中研修 参加者の感想 (3)

 道に献身する者は、大きな輪を描きながら歩み、人生のさまざまな段階を経て、もう一度自分自身に戻ってくる。そうしてその時には自分自身がより確かであり、よりいっそう自己の本質の深い部分から自分を表現し、生きることと関わっていくことができるようになる。

 そういうアルケミー(精神的錬金術)の道のりを体現する人たちとともに歩んでいけることは、幸運なことだと思います。

 再び、専門課程の学生の感想です。




いつもありがとうございます。

 研修が終わって、経験を言葉に落とすことに時間がかかりましたが、とても大事な経験でしたので、形にしておこうと思い、感想を送らせていただきます。書きたいことは沢山あるのですが、短めにまとめます。 

 3回の研修を通して、器が形成され、プロセスを通過し、器が閉じられるということを、はっきりと意識することができました。季節のエネルギーとグループの器が、変容を支え、優しく導いてくださいました。

 春の研修の後は、かなり煮えていたのですね。もがいていました。今回は、閉じられて、次に向かっていく流れを静かに感じています。

 妻でも母でも娘でも、○○のお母さんでもない、素の自分でいられる器に安心していられたことが、とても貴重な体験だったのだと思います。そして、大好きな自然の中にいられるのですから。

 6回目の飛騨で、初めて森の土の上に身を横たえました。今まで一度も体を預けて見ようとは、思わなかったのが、今となっては不思議です。森に、「あ~受け入れ られている」という感じ方が、朝、昼、夜と関係を重ねるごとに深まっていきました。寒い朝なのに体が暖かく、一体になるって、こういう感じなのかな・・ と。

 受け取ったものが大きすぎて、反芻しながら、味わい、感動して、胸が熱くなります。

 今、何度も通った源泉のことを考えていて、自分の内なる源泉に通う旅だったような気がしています。土を踏み固め、道をつけるために。これを、深めていくことは、とても楽しみです。

 共に時間を過ごした仲間がいて、変化していくことを、お互いに支え合えることも、本当に貴重なことです。

 ようやく年越しのタローカードの最後を仕上げにかかりました。... 今回の研修で感じた四大元素と自然との取り組みを描きこんで、自分らしい絵が出来そうです。

 フラワーエッセンスに魅かれて、夢中でレパートリーを読んでいた12年前の自分が、自然との関係を深め、自分の手でレメディーを作り、そのことが癒しの道になるとは全く思いもしませんでした。

 ありがとうございました。

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November 08, 2014

フラワーメディスン集中研修 参加者の感想(2)

              (1)

 研修では大変お世話になり、ありがとうございました。

 金沢へ戻ったその日の晩、「鰤起こし」を思わせる雷鳴がとどろきわたり、研修の締めに加えて季節の移り変わりを感じました。

 これから北陸ではだんだん雨の日が多くなっていきます。

 夏・春・秋と、足かけ2年にわたる研修は、さすがにパワフルでした。

 長い間には個人的に良い時もわるい時もあって、高山へ来るだけでも精一杯、いっそ参加自体とりやめようかと考えたこともありましたが、終わってみるとそれすらも自然に近づくための一過程であったように思えます。

 「わるい時」には、植物との時間をとれないことにずっと悶々としていました。

 あるとき、「あ、私、もともとそんなに植物とか好きな人じゃなかった」「泥で手が汚れるのも虫さわるのもいやかも」と気がつき自覚して、そこからようやく都会のもやしっ子なりのアプローチを自分に許すことができました。

 ずっとイメージしていたのは「車で2時間かけて山奥の大自然へ出かける」ことでしたが、まずは「自転車で20分かけて森っぽい公園へ出かけてみる」というのが私にとっての第一歩でした。

 行ってみた先では、動植物たちから出血大サービスとしか思えないような歓迎を受けました。

 それは人にわかってもらえる客観的なものとは違うかもしれません。しかし宝物のような経験は心の中に「自分にとって大切なもの」として納められていきます。それが自分を豊かにし、力づけ、先へと進む力になっていくのを感じました。

 しかし、現状に気がついて腰を上げるまでにどれだけ葛藤があり、時間が必要だったことか…たったこれだけのことに! とも、驚くべき変化だ! とも思います。

 1回だけの研修だったら「あの時はいいお話聞いたな~」で終わりかねないところ、この研修では次回までの間に自分で作業する時間があります。実際に作業ができなくても、意識のどこかにフラワーレメディのことがずっとあって、その間の時間を過ごします。

 この圧力がつらく感じられるときもありましたが、これがあってようやく私は、他の誰でもない、自分と植物たちとの経験を得ることができたのだと思っています。

 もう一つの大きな収穫は、「お祈り」です。

 最終日、皆で感謝のお祈りやことばを述べていきましたが、真摯な言葉に込められた胸をうつ思いと、空間に流れる響きの快さにうっとりしてしまいました。

 教会などで形式的なお祈りを聞く機会が多かったせいか、これまで「お祈りってどうなんだろう?」と思っていましたが、そこに真実や誠意が込められたとき、お祈り自体も十分感謝のささげものになることに気がつきました。

 とても印象的だったので、帰ってからも機会を見つけてお祈りしています。

 首をひねりながらですが、いつでも本当の思いを言葉にのせて、向こうに届けられるようになれたらと思っています。

 普段からの心にもない/意に反した言葉や行動は、言葉の力を削ぐことにも思い当たりました。これから少しずつ、自分の言動も見直していくことになりそうです。

 この他にも、一緒に学んだメンバーの姿から教えられたことや、生活を共にする中で分かちあえたこと、高山の自然の素晴らしさなど、全ては書ききれませんが…

 この場を長きにわたって支えてくださった王由衣さん、そして集まったメンバーの皆さんに心より感謝しています。

 どうもありがとうございました。



              (2)

 三回のフラワーメディスンの教えをありがとうございました。

 より深く豊かに自然との繋がりを思い出せるきっかけになり、貴重で喜びに満ちた経験でした。

 エッセンスの切り取られた効能というよりも、木そのものや木自体の感じているものを体感的に理解する感じでした。

 個人的には、お米のエッセンスを作ることが出来ました。

 一年半借りていた田んぼがこの秋に売却され宅地になるため、この土地にとり最後の稲作でした。

 8月の時点では、稲刈り前の売却ため、次の世代に種籾として命をつなぐ事が出来ない可能性があったので、 考えた末に、この土地での最後の稲の命を残す意図でフラワーエッセンスとして残すことを決めました。

 ・・・

 田畑をしている私にとり、講義中言われていた「人が介入する性質であること」と「人が作物を栽培すること」が私にとり重なっています。

 縄文時代には植物の声が聞けて適切な場所で狩猟採集が可能で、弥生時代になると自然と離れて栽培にとなったような気がします。

 自然と離れたスーパーマーケットの野菜を買うことと、栽培植物と向かい合って種を残しともに生きていくこと、そして野生の自然と向かい合うことの間で、私は畑に向かい合うことをただ続けるのみですが、自然界とともに生きることが当たり前の環境になるところへ向けて、私なりに少しずつ行動してこうと思います。

 貴重な機会を作って場を開いて下さいまして、 ありがとうございました。




              (3)

 自然に幼い頃から親しみ大好きな私でしたが、いつの間にか自身の内面から引き離されていました。 その感覚を取り戻したいとクラスに参加しながら、歩んできました。

 この飛騨高山の一年半三回に渡る研修はパワフルなものでした。

 この度、飛騨高山の自然がとても近くに感じられるようになり、何かが変化したように思います。

 例えば、 飛騨に今回行ったらとろうと思っていたエッセンスを参加の少し前から飲みはじめました。

 山を歩きながら、何となく足元を見るとすごく惹かれる樹の枝が落ちていて、思わず手に取り部屋に持ち帰りました。 皆が素敵だね~何の木だろうと写メに撮る人、スケッチする人など様々な中、私は何もせず、その木の姿に見入ってました。

 研修が終わり帰宅し、何となく開いた本にそれと同じスケッチを見つけ、確信したは、自身が飲んでいるフラワーエッセンスとその実際の植物との繋がりを実感した瞬間でした。

 また、昨年7月の一回目めの研修が終わり、何日かゴロゴロ(仕事と研修の疲れが抜けず)ぼーとしていた時でした。

 突然、大声で(内側だか外側だか分からないのですが)「母が交通事故、そして認知症」というメッセージが聞こえ、(でも大丈夫だという静かな確信が)

 それから二時間くらいして連絡があり、母が横断歩道を渡っている時に車にはねられ搬送されたと電話がありました。

 足の骨折は人工骨に置き換える手術が行われ、脳は高齢でリスクが大きいために手術は見送られました。 様々な状態を経て急速に認知症状が進み、話すことも出来なくなりました。(でも大丈夫なんだよ。というあの時の静かな確信)

 しかしながら、この現実にうち震えながらの5月の二回目の研修に参加させていただき、帰宅したところ、連絡があり、母の症状は後遺症で、頭の中に水が溜まり認知機能に障害が出ているとのことでした。

 手術で水を抜けは元に戻ると聞いたときには、今まで重くのしかかっていたものから解放され、こんなにも自身に影響があったのかと実感した次第でした。 母は水頭症の手術をうけ、少しずつ水を流しました。

 少しずつ回復に向かう中、三回めの研修に飛騨高山を訪れることができました。 帰宅したところ、母の脳はすっかり元に戻ったとの連絡がありました。

 人の命、生命力というものは、その人自身が選び決めるものなのなど思いました。もちろんまわりのサポートは大切ですが、最終的にはその人のものなのだと。

 この素晴らしい研修を企画して下さった由衣さんに心より感謝申し上げます。また参加させていただけたことを嬉しく思います。

 ほんとうにありがとうございました。

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フラワーメディスン集中研修 参加者の感想(1)

 この10月に終了したフラワーメディスン集中研修の参加者からメールが届き始めているので、紹介しておきます。

 2013年の7月から1年半にわたり、5泊6日の研修を3回とその間の各自の取り組みという形で、参加者はすべての日程に出てもらうことを前提にプログラムを実施しました。

 一人一人が長い時間をかけて自分自身と向かい合い、とりわけ母なる自然と植物の助けを借りて自分自身の癒し、学び、成長に関わりたいと強く願う参加者たちの熱意とコミットメントによって、グループのエネルギーは最後までしっかり支えられていました。

 (事故で最終回に参加できなかった人もありましたが、この人の存在は参加者中の親しい人々(専門課程のクラスメートたち)により繰り返し思い出され、気づかいとともに名前が言葉にのせられることで、ともにグループのエネルギーの中に保たれていました。)

 最初にまず専門課程の学生たちの感想、それから追加のポストでそれ以外の人たちの感想をのせます。






 5月上旬にフラワーメディスンの第二回目の集中研修に参加してきました。

 今回はフラワーエッセンスを実際に各自作ってみることの他に「祈り」「言葉とエネルギー」についてのトピックが予定されていました。

 今まで幾度となく祈ることはあったけれど、祈りの言葉を口にすることには抵抗がありました。それには自分を表現することへのためらいや、照れがあったのかもしれません。

 日本では「祈り」というと宗教的なイメージと結びつけられます。それに対しての抵抗だったのかもしれない。

 また、自分が言葉を通して神聖なものに触れ、神聖なものへと向き合うことへの恐れなのかもしれません。

 自分は神聖なことを表現するような人間ではない・・・そんな心の奥底に沈んでいる自己否定の気持ちなのかもしれません。

 毎回、飛騨での研修で感じられることですが、自然の中で過ごすことで人は自身の本質を感じることが出来ます。

 社会の中では、個性や能力を持つことや、自分を自由に表現することを抑えなければならない場面もあります。

 そういったしがらみから抜け出し、ただそのままの自分で自然と接することが出来た時、自然からの大きな恵みや目に見えない様々な存在からのサポートを体感することが出来ます。

 その経験を言葉に乗せて祈る。

 言葉にはその人のエネルギーが乗るんです。

 集中研修で皆の祈りを聞かせてもらった時、その人「らしさ」が表現されていました。

 祈りの言葉がいくら形式的で素敵な言葉の羅列であっても、その人自身の
エッセンスがその祈りに込められていなければ、人の心には届いてこない。それは、相手が人であっても、目に見えない存在に対してであっても同じことなんだろうと思います。

 フラワーエッセンスは自然と作り手のエネルギーで作られる、いわば自然と人との共同作業です。共同作業で作られたエッセンスは人々のエネルギーに働きかける。

 フラワーエッセンスの基礎的な原理を見せてもらったような研修でした。

(研修についての追加の感想や写真は本人ブログに)


              ☆ ☆ ☆


 一年半に渡るフラワーメデイスン研修、ご指導ありがとうございました。始まる前から、自分が知りたかったことはこれだ!と思っていましたが、終わってみて、受け取ったものの膨大さばかりを感じています。

 ただ感謝の念でいっぱいです。

 沢山のものを受け取ったので、書こうと思えばあらゆる角度から感想があるので(食事や風呂のことも含めて(笑))、短くまとめるのが難しいのですが、3回の講座を通して最も強く感じたのは、ア ルケミーの変容過程でした。

 タローカードを描いている時にも、似たような感覚がありました。

 自分には計り知れない大きな流れ/道を確実に進まされていて、内的にも外的にも様々なプロセスを辿り、最後には自分の中の何かが確かに変わった!と確信出来る、あの感覚です。

 その変容を支えてくれている、ほんとうに多くの、見えない方々の存在をヒシヒシと感じられました。森の中で、みんなと一緒にアストラル界の方々に出逢った経験は、これからも自分の大きな支えになってくれるでしょう。

 車で飛騨に入るとき、長野を抜けて、松本からウネウネとした山道を走ります。上高地/乗鞍を通り抜け、やっと開けたところが高山です。電車だと、富山の海岸を過ぎ、ガタゴトと山間を電車は進みます。とにかく、沢山の山の真ん中にあるのが、オークビレッジで す。

 ここの大地の懐深さ。どこまでも自分が広がっていける、とても優しい、大きな変容の器であり続けてくれました。

 里山の四季をそれぞれ6日間かけてじっくり堪能出来たことも、素晴らしかったです。四季があるということは、光がこれほどに変化するものなのだと、初めて実感しました。夏は強く、秋は繊細に、 春には温かい日の光の変化は、絶妙の火加減でした。

 湧き水は、夏は冷たく、冬は温かく、身も心も澱みなく洗い流してくれました。谷間を吹き抜ける風は、湿気を含んでいるのか、いつもやわらかい風でした。台風の時にさえ、風は優しかった。

 飛騨の土地は、日本という土地での変容のプロセスに意識を向けさせてくれました。 おだやかで、優しく、ゆっくりではあるけれど、日本独特の自然は確実に魂を育んでくれる。 飛騨という土地が、私にはピッタリ合った気がします。たぶん、職人気質とか、隠れ里とかいう、飛騨で暮らして来た人間の歴史も含めて。

 グループのみんなが、それぞれに変化していく様を見せてもらえるのも、こういったクローズドで長期にわたる研修の醍醐味でした。

 次は1月、新月の飛騨です。心から楽しみにしていますので、また、よろしくお願いします。

(研修についての追加の感想や写真は本人ブログに)

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June 20, 2014

「アルケミーの系譜とアルケミストの道のり」オンライン・レクチャー

 2013年のWebクラスから、12/5に行ったテーマ・レクチャーを公開しておきます。

 クラスでは12/5と12/19の2回に分けて「精神的世界史 アルケミーの系譜 東洋と西洋 道はどこにつながる 自分という魂の道を見つける」というタイトルで行われた講義の前半です。

 School of Healing Arts and Sciencesでアルケミー(精神的錬金術)を学びたいと思うすべての人に聞いてほしい内容です。

精神的世界史 アルケミーの系譜とアルケミストの道のり

(mp3ファイル、30分。ファイルが大きいので接続環境によって音声が出るまでに数分ほどかかります)


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June 05, 2013

フラワーレメディを「当たり前のもの」に

 さて、[このフラワーエッセンス用のメールマガジンでは]ここまで少し重い記事が続き、発行ペースもずいぶん落ちていました。

 「激しく移り変わる世界の中での自然との関係:フラワーレメディの原点について考える」を書いた頃からずっと、自分自身、フラワーエッセンスとフラワーレメディの分野で何をやり、何を残したいのかを考えていました。

 そこから出てきたのは、何より、フラワーレメディ、フラワーエッセンスが、漢方などと同じように、多くの人にとって「普通の、当たり前のもの」になって欲しい。フラワーレメディ(文字通り言えば「花による改善」)、花の助けで自分自身と生のバランスを取り戻すという考え方と具体的な方法が、できるだけ多くの人に知られ、日常的に使われるようになって欲しい。

 その上で、自分で薬草を使う民間療法もあれば、専門の漢方医もいるように、普段のセルフケアは自分で行い、必要な時には専門家の助けを借りるというようなことも、当たり前の一部になって欲しい。

 自分自身が普段から使っていればこそ、レメディ(花を用いた癒し)そのものへの、経験に基づいた信頼が築かれます。自分の力でできることと、自分の力だけでは及ばないこともわかるようになります。

 そして多くの人に知識と理解が広まれば、フラワーエッセンスを仕事にしようとするのに求められるレベルも自然に上がります。

 広げることで、レベルを上げるのです。これはフラワーエッセンス療法という分野がこの先、健全に成長していくために、望ましく、そして必要なことでもあります。

 

メールマガジン上でのフラワーレメディとフラワーエッセンス講座、(再)(新)スタート

 上記のようなことを考えながら、この無料メールマガジン上で、フラワーレメディとフラワーエッセンス講座を(再)(新)スタートします。

 (再)は、震災を挟んで一度途切れていた続きを再開という意味で、(新)は、以前の花とエッセンスの説明を中心とした内容から、フラワーレメディ、フラワーメディスンへと、大きく枠組みを広げての新スタートという意味です。

 個々のエッセンスについても触れてはいきますが、びん詰めのエッセンスだけに頼るのではなく、自然との関係性に基づいた、より本質的な取り組みを中心に据えます。

 オンライン講座用に準備してあったカリキュラムをたたき台に、花々とともに癒しに取り組むことに興味のあるすべての人に「当たり前の知識と理解」として身につけて欲しいことを、どんどん書いていきます。

 これまで「きちんとまとまったものを書きたい」という完璧主義があだになって、仕事がずいぶん遅くなっていたので(笑)、それを修正する意図も込めて、努めてシンプルに書き流します。形式は平易ですが、続けて読んでもらえば、得られる情報は密度の高いものになるでしょう。

 込める願いは、この分野のすそ野を広げると同時に、関わる人たち全体の知識と理解のレベルが底上げされることです。

 それでは、次の号から。(講座は『花の魔術 フラワーエッセンス入門』に連載していきます)


花の魔術 フラワーエッセンス入門』2013年6月5日号(Vol.28)


関連

1. フラワーエッセンス・ヒーリングの方法論 
2. エドワード・バック(Bach、バッチ)『The Twelve Healers & Other Remedies(癒しをもたらす12の植物とその他のレメディ)』全文翻訳
  パート1  パート2  パート3

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December 30, 2012

フラワーメディスン集中研修

フラワーメディスン集中研修

日程と場所を確定させたので告知しておきます。

 (1)2013年7月11-16日(飛騨)
 (2)2014年4月28-5月3日(飛騨)
 (3)2014年10月11-16日(飛騨)

 3回(全15日)。前のパートからの学びと経験の上に次のパートを築いていくため、前を飛ばして次に参加することはできません。

 このプログラムのテーマには、癒しの道についての伝統的なメディスンの教えと、自然との関係を含む=肉体に根ざしたヒーリングのあり方を含みます。

 1回目の研修では講義やディスカッション、内省、自然観察を通した自己の土台作り、道具の選択から始まり、自分の「味方」「友人」となる植物と向かい合い、2回目以降、自分自身のためにフラワーエッセンスを生成し、植物の「恵み・力」を受けとるまでを行います。

関連

フラワーエッセンスヒーリングの方法論

激しく移り変わる世界の中で、フラワーレメディの原点について考える

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December 19, 2012

激しく移り変わる世界の中で、フラワーレメディの原点について考える

 先号まではエドワード・バック(Bach、バッチ)の『The Twelve Healers & Other Remedies』 の翻訳を通して、近代のフラワーエッセンスやレメディの原点であるバック医師の視点、考え、方法論に触れてもらいました。

 バックの著作は現在、版権が切れて公共のものとなっているので、追々他の著作や講義録なども訳出していきたいと思っています。

 バックの受けとっていたレメディの本質についてのヴィジョンを理解するためには、後人の解釈ではない、バック本人の言葉と思想に触れることが欠かせないと思うからです。

                 ☆

 これまで、豊かできれいな日本の自然を当たり前のように受けとってきた私たちは、事故から発した放射能汚染の影響によって、日常生活だけでなく、自然との関係についても、改めて深く考えることを求められています。

 普段から自然を観察してきた人、環境について色々なデータを集めてきた人、そして環境と自分自身の肉体・エネルギーとの関係に注意を払ってきた人は、どの地域にいても、放射能の影響に気づいています。

 昨年の5月と6月、ハンズオン・ヒーリングを行うため、ヒーラーのチームとともに福島に出かけました。その時にもすでに、タンポポの茎がひょろひょろと異様に伸びて(25センチから35センチ以上も)、自分で自分を支え切れずに地面に倒れているような現象を多く目にしました。

 去年に入ってから、植物の花や葉の数、またそれ以外の形状の異常が東北から関東でますます多く報告されるようになってきています(ネット上にもたくさんの写真が出ています)。

 植物の突然変異自体は自然に時々見られるものですが、その頻度や変異の度合いが目に見えて増しているということです。

 大気や水への放射性物質の放出が止まっていない以上、こういった現象は増えていくと考えられますし(チェルノブイリの例を見ても)、日本だけでなく、ハワイやアメリカ西海岸など、放射性降下物が風や海に乗って運ばれていく先の土地でも、報告が増えるでしょう。

 一度放出された放射性物質は環境からなくすことはできません。放射性物質をそれ以外のものに変える技術を人間はもっていないからです。可能なのは、できるだけ害を為さない、生命を傷めない場所に集めて、隔離することだけです。除染というのは要するに、放射性物質を害を及ぼしにくい場所に移動させる作業です。

 その後、人間にできるのは時間が経つのを待つことだけで、セシウム137やストロンチウム90などは、30年経ってやっと環境中の量が半分に減ります。

 こういった現実を目の前に、日本の花からフラワーエッセンスを作り続けることはできるのか? 放射性物質はほこりのように植物の上に降り、雨に混じって土壌に染み込み、植物の根から吸収されます。花を摘んで水につければ、ごく微量でしょうが水に混じります。

 赤ちゃんや成長期の子供は別として、大人の場合には、ごく微量の放射性物質自体をパニックになって恐れる必要 はありませんが、農薬や化学肥料を用いた花からエッセンスを作ることはない。それと同じです。

 「清浄な環境で摘んだ花を」とバックは言いました。フラワーエッセンスは、花の「本質(エセンティア)」を水という媒体を通して物質レベルに落とすもので、そのためには、きれいな自然環境の中で、健康で生命力に溢れ咲いている花を使うことが望ましいからです。

 私自身がこれまで作ったエッセンスは、すべて中部地方以西の山々が中心で、関東や東北で作ったものはもともとありません。しかしこれからフラワーエッセンスを作る人たちには、花を摘むための環境について、どう教えたらいいのか? 東北や関東の人たちは、自分の住む地域で花を摘んでエッセンスを作ることはもうできないのか?

 「別に、海外から輸入したものを買えばいい(前からそうなんだし)」という人もいるでしょう。でも私にとってはそれは違うのです。ビン詰めのエッセンスは入門用にはよいし、多数のエッセンスを使いこなして仕事をする必要のある療法家にとっても便利なものですが、 それはフラワーレメディの本来の在り方ではないのです。

 先回の号を出してから長い間が空いてしまったのは、人間が引き起こした自然環境の汚染について考えながら、フラワーレメディの分野で自分がするべきことについて、思いを巡らせていたからでした。

 自分の向かいたい場所については、ある程度は3月に高野山で行ったフラワーメディスンの集中研修で話しました。その核となる部分は「フラワーエッセンス・ヒーリングの方法論」という一文に凝縮されています。

 

フラワーエッセンス療法とプラクティショナーの必要性

 療法分野におけるフラワーエッセンスの重要性は変わっていませんし、大震災以降、さまざまなストレスから体と心のバランスを乱す人たちが増え、フラワーエッセンス療法を実践することのできる専門家(プラクティショナー)の必要性は、むしろ高まっています。

 震災後に多数のボランティアが現地に向かいました。その中で、複数の団体によって善意で行われた素人療法の アートセラピーが、被災した子供たちのトラウマをむしろ悪化させるとアートセラピーの専門家によって指摘されるということもありました。

 こういった事例を見ても、心理や心的トラウマについての理解、臨床経験と倫理を身に付けた上でフラワーエッセンスを用いることのできる療法家の必要性を、強く感じます。

 

カウンセリングやセラピーを超えて:植物たちとの神聖な関係をもつ必要性

 他方、フラワーレメディを本来の全体的な形で今の日本に普及していくには、幾つかのチャレンジがあります。

 その一つは、「宗教と関係しているような印象を与るべきでない」。日本や共産国以外の世界では、信仰をもつことは道徳的な人間の基本的条件と考えられています。しかし今の日本では、社会の中でもとくに医療や心理の専門家を含む知的で常識的な層に、「宗教っぽいもの」や「信仰」へのアレルギーがあります。

 教会で結婚式を挙げたり、神社にお参りに行くことには抵抗がないのに、実際に何かの「信仰」をもっていると思われるのは、とくに知的層にはタブーなのです。

 この点を意識して、フラワーエッセンスを「商品+使い方のマニュアル」という形で普及しているところでは、レメディであったものは、「滅菌された」(精神的価値観やエネルギー的理解を抜き去った)形で提供されています。

 しかし、フラワーレメディの本質に近づいて行こうとすると、必然的に「魂」や「神」という概念にも触れます。バック本人は「神」という語を普通に用い、フラワーレメディの土台は信仰(Faith)であるという言い方もしています。

 世間の誤解を恐れてこの部分を切り離してしまうと、フラワーレメディは単なる「花をひたした水のビン詰め」になってしまうのです。祈りからFaithを取り除くと、それは単なるアファメーションになってしまうのと同じです。ツールとしての役割は果たせるかもしれませんが、本当の「力」はそこにありません。

 そして現代人の不安と苦しみの最大の原因が自己の魂と自然の魂の間のコミュニケーションの喪失、神聖なものとの乖離である以上、この部分に触れずには、レメディの本来の役割を語ることはできないのです。

 正しく教えられ、行われれば、フラワーエッセンスを作る行為はそれ自体が祈りであり、神聖なものに触れる経験です。バックが基本的にエッセンスは自分で作るものと考え、そう教えたのも、この事実あってこそです。

 もちろん、「エッセンスが欲しい」というだけの自己中心的な態度で、花をむしって水に浸けるようなやり方では駄目です。

 しかし行為の象徴的な意味を教えられ、理解し、自然への畏敬と愛情を込めて作業をすれば、子供でも、その核になる「神聖さ」の経験をすることができます。

 それを伝えるためには、フラワーレメディは(エッセンスの生成も、それを用いての癒しも)自分と神聖なものと の関係から生まれることを経験し、自分の中に根付かせなければなりません。そうして初めて、言葉での記述や効能書きの説明を超えて、レメディについて伝えることができるからです。

花の魔術 フラワーエッセンス入門』2012年6月10日号(Vol.26)

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