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June 25, 2005

海、ジャック・マイヨール

 ジャック・マイヨールの訃報を目にしたのは12月の暮れ、ヒーリングトレーニングのクラスの朝だった。

 私は普段から、この世とあの世の区別は幻の壁一枚と思って生きている人間なので、人の死も「向こう側への帰還」「魂にとっての活動の拠点が、こちら側から向こう側に移動すること」と思っている。

 仕事の途中、志半ばで倒れた人の死はもちろん悼まれる。しかし比類ない人生を74歳まで生きて、死の直前までライフワークであった海との交感、そして人と海をつなぐ仕事を続けていたマイヨールの死は、その生がこれ以上何一つ付け加える必要のないものであったという意味で、一つのよい終わりだったと思う。

 「理由不明の自殺」と報道されたが、70年、海とともに生命の波に揺られて生きてきたマイヨール。少なくとも彼の魂にとっては、最後まで自己の生のリズムを知っていて選んだ「帰還」のタイミングだったと信じて疑わない。

 作家であり世界的フリーダイバーとして知られる彼は、フランス人の両親のもとに中国で生まれ、日本を含むアジアの国々をゆりかごに育った。

 初めてイルカを見たのは10才の時に九州の唐津の海で、と自伝にある。

 人生を通じアジアで過ごした時間は長く、日本の禅寺にこもって修行をし、インドでヨガ行者についてプラナヤーマを学んでもいる。

 20代は新聞記者・編集者として活動し、30才の時マイアミ水族館でクラウンと名付けられたイルカと出会い「恋に落ちる」。彼女との交流を通してマイヨールは、子供の頃に身につけていた素潜りの技術を洗練し、イルカのように長時間、息を止めて水中を自由に動き回ることを学んだ。

 そして1976年、素潜り(フリーダイブ)で初めて水深100mを超える世界記録を作った(この時なんと49歳)。

 生理学者によって不可能とされていた100メートルの水深の壁を越えることで、彼は人間の肉体に関するそれまでの科学の常識をうち破り、その後、数限りない生理学リサーチの実験台になっている。(映画『グラン・ブルー』は彼をモデルに描かれている。)

 近年はカリブ海のタークス&カイコスとイタリアのエルバ島を住居として行き来しつつ、日本でも多くの時間を過ごしていた。

 後進フリーダイバーのトレーニング、鯨やイルカとの交流、水中出産プロジェクト、海のドキュメンタリー製作などの活動を続けながら、70歳を越えても毎日のように海に潜った。

 昨年アメリカで自主出版され、Independent Publisher賞を受賞した自伝、論文、写真を組み合わせた大著『Homo Delphinus』が遺作となった。

 私は国と民族のアイデンティティとは何かという問いに子供の頃から直面して育った。国と文化の壁を越えて「地球的に生きる」というのはどういうことなのかといつも考えている。

 その経験から、マイヨールは、東洋と西洋、多くの土地、国、文化を、単に知って理解するだけでなく、そこに降りていって肌で呼吸することを知っていた、真の「地球人」だったと思う。

 そして彼と様々な土地との仲介になっていたのは、いつも海だった。

 マイヨールのあらゆる生命への共感力の深さは、精神世界でイルカを追いかけることがファッションになるはるか前に、イルカの中に知性と魂の輝きを見、同時に野生の動物にあいふさわしい敬意を払うことで、人間とイルカの種の壁を超えた対等な交流を持つことを可能にしていた。

 マイヨールがイルカを見つめる目は愛にあふれているが、イルカを完全無欠の神様として拝みあがめるニューエイジ系のうるんだ目ではない。

 ある時、気分を損ねた友達のイルカたちに「ぼこぼこに」され、もう少し頸動脈に近いところを打たれていれば死んでいたほどの怪我をしたこともある彼は、イルカが畏怖も価するパワフルな野生の動物であることを忘れなかった。

 少年のような感性にあふれる葉祥明の絵をこよなく愛したマイヨールは、ある意味では偉大な夢見人だった。

 だが、作家・映画製作者としての知性とヴィジョンを備え、フリーダイバーとして肉体の能力と意志の力を磨き、魂からほとばしる情熱によって、精神と肉体の可能性を最大限に追求して生きた。

 「腹立たしいほどに気ままで、いつも美しい女性たちに囲まれていた」と回顧する友人の言葉からも知られるように、人生を存分に楽しむことも知っていた。

 イルカを愛し、夢と海に導かれ、国と文化のみならず、人という種を超えた「一つの生命」として生きた...。

 ジャック・マイヨール(1927 - 2001)

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