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June 26, 2005

「脱皮」

 沖縄でのリトリートが終了。

 沖縄南部の海と森の接する土地で、文字通り手で触れられるような濃密な神聖な存在のエネルギーに触れ、守られ、導かれながら日々を過ごした。

 毎早朝のウタキ(御嶽)参りから、夜遅くまで続いたトランス・メディテーション。合間を挟んで、身震いするほどパワフルな女神のエネルギーが今も生きている久高島への遠足や、美しい無人島での海遊び。

 その経験を様々な花や果実、蝶やハチドリ、バッタ、トカゲやウミヘビといった、豊かな自然から送られる共時的な象徴が彩る。

 多くの人が夢やメディテーションの中でイメージやヴィジョンを共有し、まさにドリームボディ(夢の体)が共有された時間でもあった。打ち合わせたわけでもないのに、最後の夜の夢やメディテーションの中で「脱皮」を経験した人も多かった。

 リトリートの間中、自分はシッター(そばに座って見守る人)に徹し、毎晩、参加者の語る経験に耳を傾け、リトリートの経験がそれぞれの魂に印象を刻み、変化を引き起こすのを目撃した。

 ただ自分であることが許されるグループの中で、神聖な空間を共有しつつ、遊び、食べ、眠り、ともに在る経験をすることを通して、人はここまで癒される。

 それは見守る私自身にとっても、新しい気づきだった。

 実はリトリートの後半にちょっとした無理から腰を傷め、立っても座っても寝ていても痛みの走る状態だったのだが、やりたいことがあるとなると肉体の痛みは無視できてしまう。

 ウェットスーツを脱ぎ着するにも難儀な状態で、海に入ってシュノーケリングを楽しみ(あんなに砂浜から近いところでウツボやクマノミを見るとは思わなかった)、リトリートの後には本州に飛び戻り、来年のフラワーエッセンス作りの準備のためにリュックを背負って歩き回った(帰ったらかかりつけのロルファーに怒られるなあ...と思いながら)。

 空港でアメリカに帰る飛行便を待ちながら、コリン・ウィルソンの言う至高体験のような、不思議な高揚感が自分を包むのを感じる。

 本当にどうでもいいような日常的で些細なことが、なんともいえず人生の「よさ」を象徴するかのように感じる、あの感覚だ。

 それでもさすがに泥のように疲れてハワイにたどり着き、まる1日眠った。

 目を覚まして、あたりを見回し、ふと自分の皮が1枚、脱げていることに気がついた。

 自分が誰か、何をやりたいのか、そんなことはもうわかっていると思っていた。だが、皮が脱げ、目からまた1枚、鱗が落ちてみると、以前よりさらに自分が誰なのかがはっきりと見える。

 見渡せる限りの自分の過去が、どれほどまっすぐに一本の線で貫かれ、今自分がここにいることを可能にしているのか。そしてその先に続くのは、どんな道なのか...。

 何をどうしようと変えようのない、自分。そして、そのことが限りなくうれしい。

 自分自身も自分の人生も、完璧なものというにはほど遠い。だが、それでかまわない。不完全な自分のもとにも、完全な瞬間は訪れる。人生が時折、空から羽のように落としてくれるそんな瞬間を楽しみに、自分はただ自分の道のりを歩いてゆく。

 ユングは言う、「汝自身の至福を追え」と。

 さて、皮を脱いだところで、やらなければならないプロジェクトが発生した。

 住居の模様替えだ。

 自分の中でいろいろな要素の優先度がシフトし、それに合わせて居住空間の調整をしなければならないと強く感じられ、まだ残る腰の痛みもなんのその、家具を引きずって動かし回してしまう。

 そして引っ越し以来、どうしても荷開きのできない持ち物が二つあったのだが、それらが収まる空間が生まれる。

 とりあえずはこんなものか。そしておそらく来年はまた引っ越しだ(笑)。

(2003年10月記)

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