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December 01, 2006

オーラ(エネルギーフィールド)を充実させる食べ物と水

 もともと「元気」とは、自分の「気(エネルギー)」が本来あるべき充実した状態、健康で満たされた状態にあること。その「元気のもらい方」には、直接的な形と間接的(リソナンス、共鳴作用的)な形の二通りがある。

 今回は直接的な形の中でも、食べ物を通してエネルギー(「気」)をとり入れ、オーラ(ヒューマン・エネルギー・フィールド)を満たすことについて、少し書いてみる。

 食べ物を食べるのは、物質的な視点からは、肉体を維持するのに必要なカロリーや栄養素、水分を取り入れるため。オーラと生命エネルギーの視点からは、食べ物を通して「エネルギー(気)」をとり入れるためだ。

 人間はいろいろな源からエネルギーを受けとる。

 大地のエネルギーやまわりの自然環境から直接とり入れるエネルギー。対人関係を通してやりとりされるエネルギー。そして食べ物や飲み物を通してと り入れるエネルギー。これらが自分という器の中で消化されて、自分のオーラフィールドの全体を形作っている。充実したオーラを維持するためには、たっぷり とエネルギーをとり入れられることが、まず必要だ。

 ここで言う食べ物の「エネルギー」は、栄養学で言うエネルギー、つまりカロリーや熱量ではなくて、生命エネルギー(「気」)のこと。

 食べ物に含まれる生命エネルギーは、たとえば野菜なら、その野菜が種子としてもっている基本的な生命力の強さ。そして育つ間に受けとった太陽のエ ネルギーや水の活力、土壌の豊かさ。それを育てたり収穫されるまでにかけられた農家の人の手間や思い入れ。調理する人の手間や愛情、真心。これらがすべて 目に見えないエネルギー(「気」)の要素で、つまり一皿の料理は、こういったさまざまなエネルギーの総和なのだ。

 自分のオーラフィールドが充実している人は、生命エネルギーの存在に敏感だ。
 こういう人は、エネルギーの充実した食べ物を口にいれた時、「おいしい」と感じる。逆に自分の体にとってよくないものを口に入れた時にも、それを感じとることができる。

 あるいは八百屋やスーパーの店先で、見栄えはいいけれども農薬や化学肥料を使って大量生産された野菜よりも、見栄えは不揃いでも減農薬や有機栽培で大切に育てられた野菜を見て、「生き生きしている」「おいしそう」と感じる。

 他方、都会暮らしや自然から切り離された生活が長く、普段からファーストフードやコンビニ弁当を食べつけているような人は、生命エネルギーを感じとる感覚自体が鈍っている。砂糖やニコチンに中毒状態の人もそうだ。

 また、慢性の病気で体力の落ちている人(オーラフィールドの小さくなっている人)も、感覚が十分に働かないことが多い。花粉症など免疫異常の状態の人では、感度に大きなむらがある。特定のものには過敏なくらい敏感で、特定のものに対してはまったく鈍感というふうに。

 エネルギーに対する感覚の十分に働いていない人でも、味覚を通して生命エネルギーの関係を感じとりやすいものがある。それは水だ。

 自然の湧き水や谷間を流れている清流は、生きている。こういった水を口に含んだ時、誰もが「おいしい」と思う。それは自然の中を流れる水が、生命エネルギーをたっぷり含んでいるからだ。

 それに比べると、水源から遠く離れた大都会の水道の水は、あまりおいしくない。そこに住んで普段からそれを口にしている人は慣れてしまってあまり考えなくなっているが、それでもたまにおいしい水を飲むと、そのことを思い出す。

 ペットボトルに入った水は、都会の水道水のようにカルキ臭く、あるいはかびくさくはないが、それでも自然に流れている水の生き生きした味はない。 長く売れずに棚に積まれているものなら、かえって水道水より質が落ちることもある。水道水は、とにもかくにも流れている。そして地方などできれいな水源か ら引かれた水なら、ボトルのミネラルウォーターなどよりずっと質のよいこともよくある。

 水のエネルギーは、「流れ、循環」する性質をもっている。それは水の行動を追ってみればよくわかる。水は海や地表から蒸発し、上空に昇って雲にな り、雨や雪として降り、川や湖に流れ込み、再び海へ、そして大気中へと、絶えることなく流れ巡っている。だから水は、流れているものが一番、生命力にあふ れている。

 すべてのものは、それがもっとも「そのものらしい」時(そのものの本質を表現している時)、生き生きとしている。そして生き生きとしている時、一番豊かに他のものにエネルギーを与えることができるのだ。

 これは人間も動植物も、それ以外の自然の要素も同じことだ。私たちは、自分が自分自身の本質に基づいて一番自分らしい時、幸せであり、健康でいられ、そしてまわりの人々や生命にもポジティヴな影響を与えることができる。

 水の本質が流れることだというのは、それが私たちの体の中で果たす役割を考えてもわかる。水は体の中を流れ、必要な栄養素を細胞に送り、不要なものが排出されるのを可能にする。水というつねに流れ続ける媒体がなければ、そもそも地球上の生命自体、成り立たない。

 水はエネルギーを溜めて運ぶ媒体でもある。水がエネルギーを受けとり溜める性質は、伝統的な風水などではよく知られている。部屋のエネルギーの制御に、水槽や瓶に入れた水などを使うのもこのためだ。

 フラワーエッセンスの生成も、エネルギーのインプリントを受けとり保つという、水の媒体としての性質を利用している。

 水は肉体の中で栄養素を送り届け、老廃物を排出させるだけでなく、エネルギーのレベルでも同じ作業をしている。水の滞りや不足は、だから、エネルギーの滞りも作り出す。

 ハンズオンヒーリングを受けると、その後に水をたっぷり飲むように言われるのも、ここから来る。体の中に長くたまっていた古いエネルギーや毒素が 放出される時、それは体の中の水分に吸い取られる。どんどん体の水分をどんどん入れ替えることで、古いエネルギーの排出を促すことができる。

 「水のおいしさは物理的に分析可能だ。一番おいしく感じられる水のミネラル量やpHを測定すればいい」と言う人がいる。こういう考え方をする人 は、例えば「なぜ森林浴に癒しの効果があるのか」と訊かれれば、「それは樹木の芳香成分に含まれているフィトンチッドのせい」と答える。そしてこの「フィ トンチッド」をアロマ製品や入浴剤に配合すれば、同じような効果が得られるはずだと考える。

 だが、森や林が私たちに与えれくれる癒しの効果がそんなものではないことは、実際に森の中を歩いたことのある人なら、誰でもわかる。あのしっとり と肌を包み、肺を満たす、森特有の澄んだ静謐な空気(「気」、エネルギー)は、どんなことをしても人工的には再現できない。それは何百、何千もの樹木と、 そこに棲む無数の生命によって支えられているものだからだ。

 森や林に足を踏み入れる時、私たちはその巨大なエネルギーフィールド(森のオーラ)の一部になる。そして自分だけでは決して感じることのできない 静けさ、深さ、豊かさ、時間の悠久さを感じることができる。そして自分は決して一人ではなくて、より大きな何かの一部なのだと、自己のどこかで思い出す。

 森林のオーラフィールドと私たちのオーラフィールドの感応と共鳴(リソナンス)、それが、森林が持つ癒しの力の鍵だ。

 次にスーパーの野菜売り場に出かけたら、野菜を見たり触ったりしながら、自分の中でこう質問してみよう。

 この野菜はどこから来たのだろう。どんな土地で育ったのだろう。そこでは四季の気温や日差しはどんなふうだろう。この野菜が育ち、熟していった 時、太陽の日差しはどんなふうだったろう。雨はたっぷり降っただろうか。それを育てたのは、つみとったのは、どんな手(あるいは機械)だっただろう か...。

 すべての野菜や果物は、こういったことをエネルギーの「記憶」(インプリント)として持っている。

 「これを食べたら、自分のオーラはどんなふうに充実し、元気になるだろうか(あるいは目詰まりしたり、エネルギーを失うだろうか)」。買い物をする時、こんな質問を自分にする癖をつけると、それだけでも私たちの食生活はバランスのとれたものになっていく。

 コンスタントにこういった質問を発することで、私たちは少しずつ自分の意識を感覚に向けて、磨いていくことができる。それは五感プラス通常の五感を超えた感覚だ。これを全感覚とか全感覚的知覚(Full Sensory Perception)と呼ぶ。

 次回は食べ物の話をもう少し。「調理された食べ物を食べるということは、調理した人のエネルギーもいっしょに食べる」ということ。

(『スピリット通信』2005年2月23日号(vol. 2))

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