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January 13, 2012

なぜ今「メディスン」について語るのか

 「今頃なぜ先住部族やシャーマニズムのアプローチ?」と思った人もいるかもしれない。

 私にとっては北米先住部族(「インディアン」「ネイティブ・アメリカン」)の精神的道は、古代エジプトからの智恵の伝統(アルケミー)、古代チベットからのボンの教えと並び、自分自身の魂の背骨を成す大切なものだ。


 子供の頃からいつも自分の一部は「インディアン」だと思っていた。これは非常にはっきりした感覚で、疑いを感じたことは一度もない。

 大学時代にアメリカに渡り、やがてヒーリングスクールに通い出した頃からシャーマニズムについても学び始めた。ロザリン・ブリエール師のもとにたどり着いてからは、ホピ、ナヴァホ、クリーの三部族からグランドマザー(師母)と呼ばれ、メディスン・キーパーと認められる師を通して「道」を学び、実践に努めてきた。

 (部族の伝統で言う「Medicine(メディスン)」は、近代西洋の言う「医学」に類するものではなく、「肉体と精神、知性と感情を調和とバランスに導く、すべてのよきもの」というような意味。その土台は「メディスンの輪」であり、チャクラはこの「輪」の具現である。)

 ブリエール師の兄弟子であるグランドファーザー(師父)ウルフ・ヘェメヨースツ・ストーム師に初めて会った時、「お前はこの直前の人生で、ネイティブ・アメリカンであり、精神的な教師だった」と言われた。

 グランドファーザーは、私が子供の頃から見ていた(そして誰にも話したことのない)夢の内容や、過去の人生の記憶についても、本を紐解くようにすらすらと述べ、「お前がこの人生で自分を見つけるために、まずアメリカに来なければならなかったのはそのためだ」とも指摘された。この人生で私がしなければならない仕事についても言葉にされた。

 それは私が内的に自覚し、それまで積み上げてきたこととぴったり一致していて、自分の歩いてきた道が正しかったという重ねての確認になった。

 誰かに指摘されようがされまいが、自分の魂の血脈についての思いは私の中で揺らぐものではないが、それでも自己の内的な感覚や記憶を、長老である人に確認してもらえることは、幾度通ってもありがたい経験だ。

 それは自分の「内的な記憶」が単に主観的なものではなく、より大きなものにつながっていること。自分の人生が切り離された「個人」ではなく、より大きな流れの一部であることの裏付けだからだ。

 自己の魂の記憶はより大きな記憶の一部であり、そこにつながる長老たちによって紐解かれ、時と必要に応じて確認され、語られ、伝えられる。これは智恵の伝統の機能の一つであって、かつては部族のすべての子供たちにこの贈り物が与えられた。

 それなくしては私たちは根無し草だ。魂には本来、長い時代にまたがるたくさんの自己が含まれているものなのだから。


 私自身の内的拠り所ではあったが、これまであまり表に出さずにきた先住部族の伝統に根付く教えを、なぜ今、表立って伝えようと決めたのか。

 私はこれまで日本の現代社会の枠組みに沿う形で、ハンズオン・ヒーリングやフラワーエッセンス療法を確立することに焦点を当ててきた。

 だが、3・11以後、それまで日本という比較的均一な社会の中で、多くの人々によって共有されてきた生活の土台や価値観が分断され、対極化している。

 そういった中で、私の内で「全体であるもの」への欲求が日増しに強まってきていた。

 震災と原発事故後の日本の社会で、もともと薄く脆かった近代生活の価値観やパターンが瓦解していく中、自己の中心点を据えることが何より必要とされている。

 自己の中心が定まらない時、外部の出来事に対する我々の反応は反射的なものになる。放射能やその他、身の回りで起き続ける急激な変化を恐れ、反射的に反応して動くだけでは、生活は乱れ、崩れていくだけだ。

 それは我々の生命力を消耗させ、「どうして自分は生まれてきたのか」を思い出し、その視点から生きる力を奪う。

 そして自己の中心を定めるためには「自分」だけではだめで、コミュニティとつながり支えを受けることに加え、より大きな力への信頼の中に自己を置くことが必要だ。その大きな力とは、偏在する、神としての「自然」である。

 放射能や自然災害への恐れの中で「自然」への信頼と畏敬が失われかけている今こそ、その力を思いだし、直接つながることのできる経験が必要なのだ。

 そして私の知るもっともよい道は、先住部族の智恵の中に見いだされる。

 この人生で道を歩んできた距離からすれば、私はまだ輪を二巡りもしていない若造であって、「智恵を伝える」などと偉そうなことを言える年齢ではない。過去に自分が誰であったかを伝えられることは、何かの保証などではなくて、「それにふさわしい量の智恵、慈愛、勇気を身につけ、過去の自分と対等の仕事ができなければならない」という戒めである。

 歩かなければならない道の長さを視野に入れながら、自分の魂に染み込んでいることを少しづつ伝えていきたい。

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