ロザリン・ブリエール師の訪問、世代、夢を通してのコミュニケーション
かなり長くほったらかしになっていた『ヒーラー&アルケミスト』(有料メールマガジン)の案内ページを整理、更新しました。
アメリカでヒーリングスクールの学生だった1993年からずっと続けてきた活動で、当時は季刊でニュースレターを印刷し、航空便で送り出していました(おそろしく懐かしい)。
2003年に月刊のメルマガ形式になってからは、仕事の忙しさに比例して、月ごとの配信量にかなり(…)波ができています。にも関わらず、核になる購読者の人たちは私のペースを理解して気長についてきてくれ、ありがたい限りです。
他では書けないような踏み込んだ記事や専門的な内容も書くことができるのは、核になる読者層が安定していて、私にとって、1年、2年と時間をまたいでも話しかけることのできる器になっているからです。
震災の直後から状況分析と放射能対策の記事が多く続いていましたが、それも定期的にアップデートを載せつつ、従来のテーマでの執筆にも戻りたいと思っています。
☆
有料メルマガの記事は、3年以上前のものはテーマ別の総集編にまとめてeBooks(PDF書籍)として販売予定。
3年以内のものについては基本的に購読者以外に公開することはありませんが、2012年5月号に書いた以下の記事は、少し特別な2012年の思い出として、抜粋・加筆転載しておきます。
5月のできごと
5月に重要な出来事があった。
この日のために、4年あまりかけてじわじわと手はずを整え、ゆっくりゆっくりと話を進めた。
まず、会話を通してそれとなく日本のよさをアピールし、師匠のバカンス先候補に含めてもらう。
「日本に行ってみてもいいかな」と感じるようになってもらった所で、会うたびにそっと話に織り込んだり、メールのやり取りの際に触れたりしてフォローする。
ここに2年ぐらいかけた。(「決断する準備ができてない時に決断を迫られるのが大嫌い!」と公言する師匠には、押しつけがましいアプローチは禁物)
やがて2年前にやや具体的なプランにこぎ着けたところで、幸いなことに「どうせ日本に行くなら、あなたの教え子たちにも会ってみたい」と言っていただく。
しかしその年は師匠側の都合で旅行案は中止。昨年はもちろん大震災のごたごたで、来てもらうことはできなかった。
めげずに、ドイツでの研修で会ったりする度にやんわりしつこくフォローをしつつ、ようやく今年の5月に具体的な日程を入れられるところまでこぎ着ける。
ここで、メインの滞在と観光は京都だが、合間に東京で学生たちに会う時間を予定に入れてよいと許可をもらう。
いったん許可をもらったら、おもむろにヒーリング・クリニックを設定(笑)。
「せっかく学生たちに会うなら、 どうせだから彼女らの仕事ぶりも見ていきませんか」みたいな感じで堀を埋めて(笑)、まったくのプライベートの旅行中に1日がかりの東京訪問を挟み込む許可をもらい、手はずを整えた。
旦那さんをつれた師匠のプライベートに邪魔が入らないようにするため、公表も避け、クリニック運営の手伝いスタッフにも「お客さんがある」という以外知らせなかった。
ぎりぎりまで師匠の気が変わることも可能性としてあったので、実際に前日に、早朝の新幹線に乗るよう駅での待ち合わせ時間を伝えて同意を取り付けるまで、私としては予断を許されなかった(笑)。
とくに師匠は朝起きが苦手なので「そんな早い時間は無理」と言われたら、遅い時間の切符を買い直して渡し、うちのつれ(ディーン・ラムスデン)に同伴してもらって、自分だけ先に東京に向かう代替案とかも用意していた。
そして当日、無事に東京。
とりあえず短時間でもクリニックでの学生たちの仕事ぶりを見てもらうことができればいいという構えでいた。(旦那さんが東京見物をしたがっていたので)
ところがいざ親に連れられた子供たちが到着し始め、方々のベッドでヒーリングが始まるや、ブリエール師はただちにフル稼働モードに。午前・午後と、昼食を挟んで延べ6時間のクリニックに休みもとらずにつきあい、ヒーリングに加わり、学生たちの指導までしていただいた。
「役に立つことが重要なのよ」という口癖の通り、時間を一時も無駄にすることなく、クライアントからクライアントに移動し、アドバイスを与え、時にはシーツの折畳みさえ手伝う「世界的ヒーラー」の姿は、学生たちにとっても忘れられないものとなったと思う。
師にとっては、クリニックに参加したヒーラーたちの技術レベルの高さとクライアントへの献身的な気配りに加え、チームの一体感とグループの器の緊密さと安定感に、とてもうたれたようだった。
私にとっては、「流れを織りつなぐ」という仕事の一端を無事、形にすることができ、また手塩にかけて育ててきたヒーラーたちの仕事ぶりをよしとしていただいて、活動を次の段階に広げる礎石が敷かれた日だった。
そしてこれもまた人生の1日、先はまだ長い。
コミュニティ、世代
私は9年かけて神学課程を卒業して、ブリエール師の教会(Healing Light Center Church、HLCC)の牧師になったが、今でも定期的に研修に出かける。もともとヨーロッパが好きなのと、ドイツの研修ではほぼ毎回、式や儀礼が行われるので、今はドイツに行くことが多い。
講義はもうノートをとることもなく、会場の後ろの方に(犬連れの人がいる時はそのそばに…)座って、お呼びがあったら手伝いに行く。式がある時には教会の聖職者の一人として場を支え、儀礼がある時にはメディスンウーマンとしてのブリエール師の助手を務める。
だから通い続けるのは、通常の意味で研修を受けるというより、そばにいる間に手伝えることを手伝わせてもらうため。同時に、卒業後もHLCCのコミュニティに残る今は数少ない聖職者の一人として、師の仕事をエネルギー的に支えさせてもらうため。
師とコミュニティをエネルギー的に支えるためには、指導者としての師が今、どんなところに立って、どんなヴィジョンを見、どのように学生たちを導いているか。コミュニティがどのような状態にあり、そこに通う人たちが教えられることをどのように理解し、消化しているかを、目で見、肌で感じ続ける必要がある。
夢を通してのコミュニケーション
師のヴィジョンについては、いつもテレパシー的に感じているし、また夢を通して指示を受けとることも多い。
それが一方的な思い込みでないと言えるのは、あることを言わねばならないと思い、それをTwitterで発言したら、間髪入れず同じことをブリエール師がコミュニティのメーリングリストで言われたり、「今はこれを教える必要がある」とクラスのテーマを選ぶと、同時期にブリエール師も同じテーマでアメリカ側で教えているといったことが、もうずっと続いているからだ。
それ以外にも、師の身に起きることを夢で告げられて、それが現実になったりしたこともある。
夢を通してのコミュニケーションについては、5月に学生たちにかけられた言葉の中で、「私はYuiに夢を通して指示を出し、それはちゃんと伝わる。だからあなたたちも、クラスで何か新しく教えて欲しいことがあれば、自分の中でそれをまとめて、それから夢を通して彼女にお願いしなさい」という言葉を通して確認された。
つまり師と私の間にある夢を通してのコミュニケーションを、学生たちにも実践しろと言われた。
こういった師弟間や同僚間のテレパシー的やりとりは、例えば一つ前の世代まではハワイの伝統的ヒーラーの間でも当たり前のこととされていたと、以前書いた。こういった能力/習慣は近代化された多くの伝統で失われてしまったが、残っている所には残っていて、そしてなお実際的な形で用いることが可能だということ。
(後略)
(『ヒーラー&アルケミスト』2012年5月配信号から)
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