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October 30, 2015

ヒーリンングは仕事にできるか 現状、お金、将来性...

ヒーラーという仕事


 私は日本向けの活動の他に、アメリカ複数地域のヒーリング・コミュニティとつながりがあり、最近ではヨーロッパにも足を伸ばしたりして、さまざまな場所で、仕事としてのヒーリングの現況について耳にする立場にある。

 同時に仕事の一環として、ハンズオンヒーリングの普及、そして人間の肉体と魂の両面に関わるヒーリングの伝統の普及を助けるために、ヒーラーの教育・訓練を行っている。

 そういった中で出てくる切実な質問 ------少数の突出した才能の人は別にして、「普通の人間」がヒーリングを仕事としてやっていくことはできるのか。また、どうしたらやっていけるのか。あるいはやっていくための土台を自分自身のために、またヒーリング界全体のために、築いていけるのか。

 アメリカでも日本でもヨーロッパでも、ヒーリングを学ぶ人たちの間で口にされる、この切実な問いをテーマに書いておきたい。


ハンズオンヒーリング

アメリカでの受け入れの現状


 現在の西欧化された社会の中で、ヒーリングには、日の当たる正当な職業になれる土台があるのか。

 これについて手応えを得るには、近代ハンズオンヒーリングが生まれ、現在も補完・代替医療の普及の中心的現場であるアメリカでの現状について見るのがいいと思う。

 私が政府機関の立場の目安として使うのは、米国国立代替医学センター(CAM)の見解とポリシーだ。

 CAMは通常の科学的・西洋医学的方法論を中心に、さまざまな代替療法に対しても、実験とリサーチによる実証を求める立場をとる。

  同時に、今でも西洋医学界の主要な部分を占める「証明されていないからインチキだ」的な教条主義に陥らず、効果や作用機序の証明されていない療法についても、「推定中」の療法としてリストし、報告されている効果や、作用機序についての仮説を挙げ、さまざまな実験リサーチを支援し、常識的・実用的視点から見解をまとめていくだけの良識がある。

 いわば、アメリカにおける一般医学と代替医学の境目を象徴している機関と言える。

CAMのリサーチプロトコルや意見を読みたい人は、以下のサイトで(英語)
  National Center for Complementary and Alternative Medicine(CAM)

 CAMでは、代替療法の中の「エネルギー医学」を、以下のタイプに分類している。

(1)治療作用の機序と効果が、従来の物理的方法で測定・確認できるもの。
   これには音波や電磁波、可視光線、磁場、レーザー光線などを用いた治療法が含まれる。

(2)治療作用の機序と効果が、従来の物理的方法でまだ確認されていないもの(「推定中の療法」)

 これには、人間の肉体を包むエネルギーフィールド(バイオフィールド)を想定して治療を行う技術、中国気功やセラピューティックタッチ、ハンズオンヒーリングなどが含まれる。

 また、漢方や鍼灸、ホメオパシー、祈りによる癒しまでこのカテゴリに入れられている。

 つまり、現在の物理科学や西洋医学の視点から証明できないものは、とりあえず一緒くただ。

 漢方までが「作用機序の説明されていない療法」に入れられるのは「ちょっと待て」という感じだ。

 数百年の歴史しかない近代西洋医学に比べ、漢方はその何倍もの長さの歴史と実績を持つ伝統医学なのだから。この辺の視点は、西洋医学の奢りと言われても仕方ない。

 だが言い換えれば、このように西洋医学の視点にこだわる政府の担当者が、セラピューティックタッチや他のハンズオンヒーリングを現存の「推定中」の治療法として認め、実験による証明や実用の可能性について触れ、作用機序についての仮説を紹介する必要性を感じるところまで、時代は来ている。

 「全体としてエネルギー医学は、CAMでももっとも議論の的となるアプローチである。......しかしエネルギー医学はアメリカの市場で人気を得つつあり、大学などの医療センターでのリサーチの対象ともなっている。」(CAMのサイトから)

 こういった政府系機関の歩みと並行して、アメリカでは相当数の大学医学部や大病院が、ヒーラーを交えた臨床リサーチを行っている。

 リサーチには、痛みをやわらげたり傷の治りを早くするといったシンプルなものから、自閉症など、現代西洋医学で対応できない問題の治療までがとりあげられている。

 (例 ジョンズ・ホプキンス大学医学部付属の研究機関で、子供の難病治療で知られるケネディ・クリーガー・インスティテュートにて、ロザリン・ブリエールが参加して行われたリサーチ「子供の自閉症と脳の外傷に対するエネルギー・ヒーリングの効果」

 教条的な懐疑論者による反対を(リサーチの内容だけでなく、学内や院内の政治的圧力も含め)克服していかなければならないため、進展はスローだが、10年、20年前に比べれば状況は進んでいる。

 「市場で人気を得ている」のは一定の効果があるからで、また「人間のからだを全体として見る」アプローチを含め、通常の医療からは得られないものをエネルギー医学が提供するからだ。

 この先、リサーチに用いられる測定機器の進歩と比例して、ハンズオンヒーリングの科学的裏付け作業も進んでいくだろう。

 この点、アメリカの看護学界は実用性をモットーとし、大学教育も現場も、臨床に効果のあるものはどんどん取り入れるという立場をとっている。

 そこから、セラピューティックタッチを看護科の正規の履修科目としている大学もあり、ロザリン・ブリエールやバーバラ・ブレナンの専門プログラムは、カリフォルニア州の看護師の継続教育単位として認められている。

 アメリカはこういった面ではやはり先を行く。

 日本の医療のあり方は、基本的にアメリカで起きていることを後追いしていくので、やがてアメリカ側で、ヒーラーが看護師や物理療法士などと同様、医師と協力して仕事をするのが当たり前になれば、日本でもそういう流れになっていくだろう。

 こういった流れに関しては疑いはない。質問は「そうなるかどうか」ではなくて、「そうなるまでに、あとどれくらい時間がかかるか」だ。


ヒーラーにとっての現状

過渡期の困難と必要な努力


 時代と医療の流れがそういう方向に向かって動いていることに疑いはない。

 しかし、それは現在、まだ実現されていることではない。今はハンズオンヒーリングが、共同医療の一分野となる、そのゴールに向かっての過渡期に当たる。

 その中で、ヒーリングに携わっていきたいと望む人は、以下の2つについて考えなければならない。

 このような時期に、

(1)自分がヒーラーとしてやっていくためには何が必要か。

(2)ヒーリングが社会的に認められ、やがては共同医療の当たり前の一部となっていくための土台を築くのに、自分はどう貢献できるか。

 つまり、自分自身の人生と、ヒーリング分野にとっての長期的なゴールの両方について考えることが求められる。

 私は教える仕事に時間をとり始める前は、フルタイムの(週40-50セッション行う)ヒーラーとして仕事をしてきたし、ヒーラーとしてフルタイムで仕事をしている友人知人も多くいる。

 95年にアメリカの大手ヒーリングスクールを卒業した頃、「卒業生は半年以内にフルタイムになれる」と聞かされていた。実際、半年経つ頃にはそれまでやっていた仕事をすっぱり辞めてヒーリングに専念できるようになっていた。

 だが現在では同じヒーリングスクールで「卒業生の中でヒーリングをフルタイムの仕事にできるのは数十人に1人程度」という話も聞く(医療関係者やマッサージ療法士などとしてすでに仕事をしている人が、ヒーリングを仕事に組み合わせる場合を除いた数字)。それもまた現状の一部だ。

 このスクールは私がいた頃から色々な変化があり、原因として考えられることは幾つかある。(「拡大期に教育の質よりも学生数を増やすことに力を入れ過ぎた」「心理プロセスに重点を置きすぎて、実用的な臨床教育に力を入れなかった」などは、原因の一部だと思う。)

 それはともかく、それなりの技術があるヒーラーでも、食べていくのがやっと、あるいはパートタイム程度の仕事しかないというようなケースがあることも、現実の一部として否定しない。

 現状、技術や教育のあるヒーラーがヒーリングを専門の仕事としていくことが必ずしも容易ではないのは、なぜだろう。

 一つには、ヒーラーの教育や技術レベルについて一定の基準が確立されていない。そのため「ヒーリング」を手軽なスピリチュアルビジネスの1つとしか考えていない人々や、ヒーラーを自称する怪しい人々によって、質のよいヒーラーの存在が隠され、見つけられにくくなっている、あるいはヒーリングそのもののイメージが怪しいものにされている現状がある。

 また、専門的な形で仕事をするヒーラーにはどんなことが可能なのか、期待できるのかといった情報が、社会にまだあまり普及していないこともある。

 そのため日本では、「ヒーリング」というのは、「なんとなく気持ちよくなる(いわゆる「癒される」)こと」程度にしか思っていない人は多い。(「温泉に入って癒される」というのと同じレベル)

 他方で「ヒーリングさえ受ければ人生のすべての問題が解決される」といった、新興宗教まがいの売り文句を掲げる自称ヒーラーに騙される人も出てくる。

 これは、まじめに仕事をしているヒーラー自身が、クライアントや一般の人々に対する啓蒙に関わっていく必要があることを示している。

 「いずれ誰かすごい人が世間を説得してくれる」的な構えではなく、自分というヒーラーが、自らの人となりと技術をもって、まわりの人々に影響を与えていくことが必要とされている。

 そのためには、分野外の専門家にも理解される形でヒーリングについて語れるよう、また結果を通して説得できるよう、勉強を続け、腕を磨いていくことが必要だ。

 それはきわめて草の根的努力だが、同時に水瓶座時代のパラダイムに沿うものでもある。

 魚座時代のパラダイムが末期に向かうにつれ、少数の大物が一つの分野をリードしていく時代は、必然的に終わる。しかし今はまだ、水瓶座の光となる「自立した個人と理性的判断に基づくネットワーク」が、安定した形で敷かれていない。

 これもまた、二つの時代がオーバーラップする過渡期の難しさだ。


現実的な質問

「ヒーリングは職業として成り立つのか」


 ではハンズオンヒーリングは「職業」として成り立つのか?

 単純に仕事として成り立つかどうかは、受ける側がお金を払う(お金という形のエネルギーの代価を、ヒーラーのエネルギーや時間と交換する)にあたいすると感じるなら、成り立つのだし、そうでなければ成り立たない。

 水瓶座時代の影の一つとして、雑多な情報があふれる情報洪水の中に、価値のある情報が埋められてしまって見つけにくくなるという現象がある。

 これはヒーラー探しについても同じで、インターネットでもさまざまなレベル、種類のヒーラーが混在し、探す側の視点が広範に散らされる。ネットのホームページや宣伝文だけを見る一般の人には、腕のよい、人となりの優れたヒーラーとそうでない人間の見分けは、必ずしもすぐにはつかない。

 しかし、一度セッションを受けて「確かに対価を払う価値がある」と感じたなら、その人は定期のクライアントになるか、ヒーリングを必要とする他の人たちへの橋渡しになってくれる。

 宝石は、つかんだ人に目があればその価値はちゃんと分かる。

 社会の経済状況がどうあれ、腕のよいヒーラー、結果を出せるヒーラー、人間性でクライアントから求められるヒーラー。あと腕はそこそこでも、自信満々で仕事がプロらしく、クライアントに安心感を与えるヒーラーなどは、フルタイムで成り立っている。

 これに対して、自分の道に自信や確信のないヒーラー、そしてそれゆえに自分のすべてをヒーラーとしての仕事に投げ入れない人は、ヒーリングをフルタイムの仕事にはまずできない。

 仕事は始めてみたものの固定クライアントがつかない人は、いったん依頼者(クライアント)の視点に立って、「自分というヒーラーと時間を過ごすことから、相手は何を得られるのか」について、正直に見直してみる。

 そして腕を磨き、よい仕事のできるヒーラーに自分を育てながら、自分の仕事の価値を正しく評価してくれる依頼者に出会う機会を増やすにはどうしたらいいかを考える。

 このためには、やはりネットの情報洪水を乗り越えて行かなければならないので、時間と手間はかかるし、ネットメディアを賢明に効率よく使いこなすための勉強や工夫もいる。

 だがどのような場合でも、ヒーラーとしての道にコミットして、こつこつとよい仕事をしていけば、クライアントの層を築いていくことが必ずできる。今この時代において、ヒーリングはまぎれもなく必要とされており、ニーズ自体はそこにあるのだから。

 このために私がコミットしているのは、数は少なくてもいいから、技術的にも人間的にも信頼のおけるヒーラーを社会に送り出すことだ。

 週末セミナーで細切れの知識やテクニックを教え、大量の自称ヒーラーを生産することは、長期的にはヒーリングが社会に受け入れられていくためには役立たない。

 ヒーリングスクールの価値は、そこから輩出するヒーラーの質によってのみはかられる。重要なのはそこから社会に出て行くヒーラーの質であって、数でもなければスクールの知名度でもない。

 現によい仕事をして、一人一人の依頼者を、経験を通してヒーリングを信頼してくれる支持者に変えていくヒーラーたちこそが、今この時期におけるヒーリング普及の礎だから。


お金をとるか、とらないか


 これは時々耳にする議論だが、私の視点はこうだ。

  生活のためにお金を稼がなくてよい経済的ゆとりがあって(例えば家や配偶者が資産家とか)、必要な自己教育に費やす資金もある人には、お金を取らずにヒーリングに携わるというオプションもある。

 そして、才能あるヒーラーがそういう環境に恵まれ、慈善的な形で仕事をすることを選ぶなら、それはすばらしいことだと思う。

 しかし、それはあくまで自分自身の選択として内に秘めるべきであり、自分がお金をとらないからといって、お金を受けとって仕事をするヒーラーを見下したり、自分より人間的・精神的に劣ると考えることはできない。

 事実、お金をとるかとらないかは、ヒーラーの腕や人間性を見分ける尺度ではない。

 お金をとって、その上で本当にプロフェッショナルな仕事をする人の方が、お金をとらず、代わりにプロの職業倫理にも従わないような形でヒーリングをする人より、はるかに健全だ。

 仮に金銭の授受はなくても、プレゼントを受けとったり、自分を「精神的に素晴らしい人」だと思ってもらうことで満足を得たりしているなら、それはエネルギーのレベルでは「無償」ではないことにも気づくべきだ。

  お金をとってヒーリングを仕事にするということは、プロとしての職業倫理を受け入れ、守ることを意味する。ヒーラーとしての倫理規範には、通常の医療関係者や心理療法士が守るのと同じレベルの倫理と、それよりさらに精妙なエネルギー・レベルでのクライアントの心身に対する配慮が含まれる。

 お金をとらずにヒーリングをする人の中には、お金をとらないことを、こういった倫理規範を無視してもよい言い訳にする人もいる。「私は善意でやってるのだから....」と。

 お金をとろうがとるまいが、他の人にセッションをするにあたって、援助専門家の倫理(精神的・感情的・肉体的に依頼者の福利を守るためのルール)について考え、それを守ろうと尽力することをしない人間は、やはり信頼にあたいしない。

 他方ヒーラーが、医者や看護師や心理療法士、その他医療に携わる人間が守るのと同等の職業倫理を守り、自己教育に励み、ベストを尽くして依頼者と向かい合うなら、もちろん仕事(自分がつぎ込む時間とエネルギー)に対する正当な代価として、お金を受けとることができる。

 「ヒーラーの仕事は精神的だから、お金をとることはふさわしくない」と考える人がいたら、それは的はずれだ。牧師だって坊さんだって、働いて収入を得ている(支払いの形式は「寄付」や「お布施」という建前ではあっても)。

 「ヒーラーはお金をとってはならない」と決めつける人は、自分自身の中でお金のテーマが影になっている。自分が健全な形でお金を受けとる方法を知らないために、他の人がそうするのに反感を覚えるのだと言ってもいい。

 大部分のヒーラーにとっては、自分や家族の生活を支えるために、またヒーラーとしての自己教育を続けていくためにも、収入をもたらす仕事は必要だ。人間としてのヒーラーの時間やエネルギー配分について、依頼者の立場から考えてみるとよい。

 似たようなレベルのヒーラーがいたとしよう。

 一人は9時から5時まで生活のための仕事をして、夜や週末の空いた時間、残ったエネルギーでセッションをする。これはかなり大変なことで、ヒーラー自身、自分の健康管理や感情のニーズを満たすための十分な時間はとれないし、家庭のある人なら家族にもしわよせがいく。

  もう一人は、ヒーリングをメインの仕事とし、時間とエネルギーをフルにつぎ込んで依頼者と向かい合う。こなせるセッション数も多いので経験も豊富だし、ヒーラー自身、自分の健康管理や感情のニーズを満たしたり、自己教育にかけるためのゆとりがあり、それがセッションの質にも反映される。

 自分のヒーラーには、どちらであって欲しいだろうか。


個人的な旅路

ヒーラーのよろこびとチャレンジ


 最初にニューヨークのバーバラ・アン・ブレナンのヒーリングスクール(Barbara Brennan School of  Healing、BBSH)に足を踏み入れた時、私は自分がヒーラーになるなどとは思ってもいなかった。

 ただ、その本に書かれてあることが本当なのか、それとも手の込んだ詐欺なのかを確かめたかったのだ(本当に(笑))。

 BBSH に入るまではヒーリングの世界とは縁もなく、人間として狭い肉体の中に入っているのも、ごちゃごちゃとした集団の中にいるのも嫌い(私のクラスは124名の入学生からはじめて88名が卒業。この100名前後の大人数が1つの大部屋でクラスを受けるので、それはごちゃごちゃの人混みだっ た)。

 当たり前のように1年時の成績はなんとか進級に足る程度で、ほめられたものではなかった。

 だが2年になって、アストラル界での作業に触れた時、目に見えない世界が自分にとってきわめてよく活動できる領域だと気がついた。自分には明らかにこういった世界と関わっていく才能があり、また楽しいのだということがわかった。(アストラル界はいわゆるシャーマンたちが活動する領域)

  さらに3年になって、エネルギーレベルでの再形成といったテクニカルな作業や、第5レベルのガイドとの共同作業などが入ってくるにいたって、自分の道はこれだという確信が生まれた。

 目に見えない世界と関わり、それを物質世界につなげていく作業は、とにかく楽しかった。

 いったん内的確信が目覚めてからは、自分はプロのヒーラーとしてやっていくのだと信じて疑わなかったし、実際、卒業から半年のうちにフルタイムどころか、数か月先まで依頼者の待ちリストが一杯になっていた。

  仕事をしながら、自分の内的変化に応じて依頼者の数や種類が変わっていくことも何度も経験した。

 待ちリストを消化するため毎日8セッションから9セッション、週5日、6日というようなペースで働いて、疲れて燃え尽き気味になり、やる気が落ちてくると、新規の依頼者の数も減り始める。

 特定の病気に興味を持つと、その病気の依頼者が続けてやってくる。

 こうして何年もフルタイムで仕事をした後、教える仕事に集中するため、いったん個人セッションを閉じた。

 だが1年ほどセッションをせずにいた間、ヒーラーとしての自分の感覚が鈍ってくるのを感じ、そしてそれが教える仕事にも反映されるのに気づいて、セッションを再開した。

 今も1日が48時間あっても足りないぐらいやりたいことがあって忙しいのだが、それでもセッションは続けていかなければならないと思っている。

  依頼者と向かい合うことなしにはヒーラーは成長しない。依頼者をとらなくなったヒーラーは、教師や指導者としての成長はあっても、ヒーラーとしての成長は頭打ちになる。これは自分の手応えだけでなく、まわりの実例を見ていて感じることだ。

 そしてまた、依頼者の体に手を置く機会があるたびに感じるのは、ハンズオンヒーリングという形で人々や動物の手助けができるのは、自分にとって純粋なよろこびであるということ。

 ヒーリングの最中は、すべてのことを忘れて、ただ依頼者の体と魂、そこに住む神と向かい合い、そしてそれが肉体を通して、生きることのよろこびを味わい、また自らの最大限の可能性を発揮するのを助ける経験と一つになれる。

 それが麻痺した神経を活性化させることであれ、目詰まった感情エネルギーを流れさせることであれ、クライアントのオーラにひっかかったアストラル生命体をひっばり出してその「家」に送り返すことであれ、純粋にその経験が楽しいのだ。

 この純粋なよろこびの経験がない時、ヒーラーとしての仕事はどこかで行き詰まるだろう。

 ヒーリングの作業を通し、自分の中の神を感じ、それと向かい合う神が相手の中に息づいていることを経験すること。1度でもその経験をしたなら、ヒーラーは本当の意味で、外的な仕事としてだけでなく、内面からヒーラーになる。

 今この時代、ヒーラーの仕事には2つの面がある。

 一つは、肉体を持った人間として地上に生き、その中でベストを尽くす物質世界の「仕事」として。

 もう一つは、人の内に神を見、それを通して人が癒えることを可能にする、本当の意味での神聖な業(わざ)として。

 この両方は矛盾するものでも、相反するものでもなく、一つの人間のうちに同時に存在するべきものだ。それをバランスさせて保つことが、この時代においてヒーラーとして生きることを選ぶもののチャンレンジなのだ。

(『ヒーラー&アルケミスト』  2006年4月号に掲載した記事に情報を更新し再加筆)


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