01. ヒーラーという仕事

September 17, 2009

2009年 夏の集中研修(長野)

 今年で7年目になった長野での夏の集中研修、本当にいろいろな意味で充実していた。

Cakesclose_2  初のハンズオン・ヒーリング科の卒業式は、もちろん重要な出来事。式に11人の子供たちがいっしょに参加してくれたのにも、大きなメッセージが込められていたと思う。

 子供たちの多くは過去の研修やフラワーエッセンスの卒業式にも出ているので、実は連戦の研修参加者(笑)。

 教室でお母さんたちがレクチャーを聞いたりヒーリングの実習をする間、横で静かに夏休みの宿題をしたり絵を描いたりしていた風景も、毎年のことながらなんともほほ笑ましかった。

 そしてこれも毎年、子守りに奮闘するお父さんたちにも感謝と感嘆を禁じえない。あらゆる年齢の子供たちをまとめ、川で遊ばせたり、バーベキューや花火をしたりと、朝から晩まで驚くべき忍耐と体力だ(笑)。

 私にとってまったく個人的な意味でうれしかったのは、「竜涎香」事件(こちらは『ヒーラー&アルケミスト』にあらましを書いた)。

 とにかく楽しくて、5日間は本当にあっという間だった。

 以下はぽつぽつ届いている参加者の感想から紹介。


                ☆☆☆


 今回入野谷に参加したのは、昨年に引き続き2回目でした。

 リトリートの醍醐味は、クラスをみっちり受けられるということと、そこで得た経験を参加者の皆さんと一緒にシェアして過ごせることだと思います。

 バーベキューをしながら川で遊んだり、地元のお祭りに飛び入り参加して、地元の方に焼きとうもろこしをサービスして頂くという嬉しい交流もありましたし、普段あまり会えない方々と一緒に、お食事をしながらお喋りをする何気ないひと時も、私にとってはとても貴重なものでした。

 今年は特に、ハンズオン・ヒーリング科から初めて卒業生が出ることに加えて、先生である由衣さんも正式な聖職者になられたばかりでしたから、本当の意味での「卒業の儀式」に参加できるという事もあり、事前から期待と興奮でいっぱいでした。

 長い間皆を支えて下さった大先輩が卒業してしまうということは、後輩の自分にとっては喜ばしくもあり寂しくもあり、複雑な感覚でしたが、式は愛情溢れる本当に素晴らしいものでした。こんなに重みのある「卒業式」は、自身を振り返ってみてもなかったことです。

 最後に子供たちと大騒ぎしながら食べた大きなケーキは、最高においしかった!! 参加出来て本当によかったと思います。ありがとうございました。


                 ☆


 研修では、今まであまり意識していなかったアルケミーの歴史の重みが、由衣さんを通してすごく身近に自分の事として感じられ、また自分が何をするべきかを突き付けられたような気がしました。
 ......

                 ☆


 簡単ですが、入野谷の感想を送ります。

 久しぶりのクラスでしたので、いちいち感動していました。

 レクチャーは、ひとつひとつが胸にしみこんで、魂が満たされるという喜びを感じました。

 神経系のヒーリングの実習では、[クラスメートから]とてもパワフルなヒーリングを受けられて、クラスの器の深さを感じました。

 平日のクラスには当分でられないので、宿泊の研修のクラスはありがたいです。

 それと、ウエイトトレーニングをしないとクラスに在籍していられなくなるな...と思うくらいの勢いで、ゆいさんがおっしゃていたので、夫と一緒にやってみる予定です(なぜウエイトトレーニングが必要なのかが、わかったので)。

 普段の生活では、全体を見回して、気をつかって、そのように動いて...と、いつも気をはっているのですが、クラスにでると、ボケッとただそこにいることを許されているのだ!! ということに気づきました。

 貴重な場です。年に一回でもそこに戻れるというのは、私にとっても、子供にとっても、(多分、夫にとっても)ラッキーだと思います。ありがとうございました。

 卒業式は、とても高いエネルギーを感じました。フラワーエッセンスの卒業式の時は、密度の濃いお堂のなかにいるような感じでしたが、今回はすっきりとしていて、光がまぶしかったです。

 何年か前に高原さんとお茶を飲んでいたときに、「ヒーラーは真剣にクライアントと向き合って、そこにいられるかということだけなんや」とおっしゃっていたことを思い出しました。その言葉通りのことを、体現されていることに、感動しました。

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July 23, 2009

卒業、任職

 この7月、9年間在籍した神学修士課程を卒業し、カリフォルニアでの聖職按手式を経て、公式の聖職者(アメリカ合衆国法で正規に認められる牧師/司祭)として任職した。

 在籍の6年目に師匠からありがたくも「卒業準備」のお達しを受けたものの、それから納得のいく卒業プロジェクトのテーマを探して結局2年間うろうろ。ようやく落ち着けるテーマを選び、アウトラインを作成提出して許可を受け、9か月かけて資料を集め、仕事の合間をぬって書き進めた。

 しかしヒーリングや教える仕事と平行して執筆を進めながらいろいろ思ううち、どうしてもテーマを変更したくなった。というわけで、それまでのアカデミックなアプローチのプロジェクトをえいと放りだし、コミュニティ奉仕の枠組みでまったく新しいアウトラインを再提出。その後3か月間、毎日机の前に座って無我夢中で書き上げるという怒濤の執筆過程(笑)。

 しかし論文提出は単なるハードルの1つ。卒業生や長くいる学生たちの間では、提出後、少なくとも半年から1年はお沙汰がないのが通常コースと知られている。

 「どうやって入ったらいいか誰も知らないし、どうやって出たらいいのかも誰もわからない」と冗談のようで冗談でなく語られるHLCCの神学課程では、履修単位の満了や卒論の提出は「卒業」の保証ではない。だからいっそ大部分の人は、自分から卒業について問い合わせるなどという大それたことはせず、こつこつと研修を続けながら、お声がかかるのを静かに待つ。

 私の場合、幸運にもまず師匠からのお達しがあり、さらに2年後、アウトラインも出さずにうろうろしているところを「私があなたを卒業させるつもりなのは知っているでしょ!」と尻をたたかれていたので、卒業させてもらえること自体については心配しなくてよかった。問題は日取りが決められるかどうか(笑)。

 12年の研修を経て2年半前に任職したシンシナティの友人に訊いてみたが、彼女の場合、論文提出から日取りが決まるまでに4か月で、実際に卒業したのは8か月後だ(これでも超スピーディな経過)。

 そこから推せば今年の後半、もしかしたら来年になるかと思ったが、しかし私自身のガイダンスは「任職は7月、カリフォルニアだ」ときっぱり。

 普段から「返事をする準備ができてないのに返事を要求されるのが大嫌い!」と公言する師匠のこと、うるさく問い合わせをしてはいけないのだが、ガイダンスを無視することもできず、論文を提出してから3週間目にメールでお伺いを立ててみた。驚くべきことに翌朝、返信が...「この7月、カリフォルニアで」。

 おお...っていうか、師匠、日取りまでに1か月切ってます(笑)。

 予約だけ入れてあった飛行機のチケットをあわてて購入完了し、ホテルなどを手配。ボルネオからアメリカは、行きつくだけで2日かかる。今回は台北・東京経由の1泊2日がかりだ。

 式の参列は研修の参加者(ほとんどが7、8年来の顔見知り)と、付き添いにはうちの連れとサンディエゴ在住の旧友。

 当日、駆けつけた友人と夕食をともにしながら、「卒業するのは何人?」と訊かれた。...もうずっと、2、3年に1人のペースでしか卒業生は出ていない。そして今年も1人。「忘れた頃に卒業生が出る」と師匠は言われた。

 ロザリン・ブリエール師の神学課程は「Crucible(溶鉱炉)」と呼ばれる。それはアルケミーの溶鉱炉であり、変容と蒸留の器(うつわ)だ。「卒業」に到るための道しるべもないし、どうやって進むかの手引きすらない。形式としての卒業条件も最低限の足場でしかない。

 ただ聖職者への道のりという溶鉱炉の炎に熱せられながら、空の光を見失わず、それに呼応する自分の中の光を頼りに、ひたすら目に見えない世界への信頼と、自己の意志で歩を進めるのみ。そうやって歩き続けることができなければ、暗闇の中でも人を導いていくのはかなわないということなのだろう。

                 ☆

 研修期間をかけて準備されたエネルギーの器の中、式前夜のお祝いとメッセージを兼ねたトランス・セッションから始まり、そして当日の聖職按手と任職式。それは前もっての予期や想像をまったく超える恵みだった。

 按手礼は、使徒の時代から途切れることなく行われてきた、一人の経験深い聖職者から新しい任職者へと、それまで受け継がれてきた権能やエネルギーを手づから受け渡す過程だ。

 教会の聖職者であるだけでなく、チベットのボン教の巫女であり、また北米先住部族のメディスン・ウーマンとして、驚くほどの量の「知恵」の流れを一身に受け継いできたブリエール師の手から、私の頭、そして全身へと直接、伝え渡されたエネルギーの量と内容は膨大なもので、「身に余る」というのはまさにこういうことだと思った。

 与えられたすべてを自分の中に統合し終わるまでには、いったいどれだけかかるだろうと思いつつ、自分に伝えられ任されたものを受け継ぎ、また受け渡していくために、残りの人生をかけて応えていく決意を新たにした。

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February 25, 2009

近況(2009年2月)

 5週間にわたるカナダ&東京滞在から、ボルネオの自宅に帰ってきました。

 この1月から2月にかけては、ハンズオン・ヒーリング科の学生たちによる病院でのボランティア活動。私自身のカナダの先住部族居留地や医療機関での奉仕活動。ハンズオン・ヒーリングに知識のない一般の方々を迎えてのヒーリング・クリニックなど、実にいろんな、そして大切な出来事がいっぱいありました。

 とにかく忙しくて書き物をする時間がとれていませんが、とりあえずいろいろ準備中です。

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March 13, 2008

2008年、スケジュール立て込み

 サイトのスケジュールを見て、「なんか2008年はクラスがいっぱい!」と思った人もいるだろう。

 これはたまたま今年、夏の始めの引っ越しなどもあって、日本にいる期間が長くなっているため。

 日本にいる時間を最大限使おうと、とりあえず押し込める週末や祝祭日にクラスを押し込んでみたということで(笑)。

 しかし、例年になくオープンの講座が多くあるので、自由プログラムや専門トレーニングに入るために回数を数えている人にとっては、チャンスかもしれない(笑)。

 本当は私自身、書き物にかける時間も必要なのだが.....

 ....とか言いながら、スクールのスケジュールには記載していないが、外部講師として動物のヒーリングについての講義の仕事なども入っている。

 それでも、近年になく日本にいる時間がたっぷりあるので、できるだけ自然の豊かなところをあちこち訪れ、植物観察や、忙しさにまぎれてしばらく間が開いていた、新しい日本のフラワーエッセンスの生成とリサーチにもとり組みたいと思っている。

 

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November 02, 2007

ハンズオン・ヒーリングについて

ハンズオン・ヒーリングとは?

 訓練されたハンズオン・ヒーラーは、クライアント(依頼者)が心身のバランスをとり戻し、病気や怪我からの回復が速やかでスムーズなものになるよう、サポートします。

 ハンズオン・ヒーリングは、ホリスティック医療・補完医療の一環として、人間の生命エネルギー場(ヒューマン・エネルギー・フィールド)を通して肉体と心に働きかけ、癒しを促す療法です。

 西洋文化圏にはもともと、「laying-on-of-hands(手当てによる癒し)」の伝統がありますが、この伝統をさらに科学とも相容れる形で発展させたのが、近代ハンズオン・ヒーリングです。

 近代ハンズオン・ヒーリングでは、肉体を包みそれを超えて存在する「場」として、ヒューマン・エネルギー・フィールド(生命エネルギー場)を考えます。このフィールドは、私たちの心と肉体の状態や健康度をそのまま反映し、また心と体の関わりを媒介する性質を持ちます。

 最新の心身統合医療が提唱するように、心の状態は肉体の健康に影響を与え、肉体の状態は心のあり方に影響を与えます。東洋医学でも、「気」(生命エネルギー)のバランスが心身の健康の土台であり、病気は肉体に現われる前に「気」のバランスの乱れとして現われるとします。

 ハンズオン・ヒーリングでは、この心と体の関わりを媒介するのがヒューマン・エネルギー・フィールド(オーラ・フィールド)であり、このフィールドに直接働きかけることで、心と体の健康に影響を与え、それが本来あるべき健全な状態とバランスを取り戻すのを助けることができると考えます。

 ハンズオン・ヒーラーとは、このような形で健康の維持と回復の手助けをする専門家です。

ハンズオン・ヒーリングと医療の関係

補完医療としてのハンズオン・ヒーリング

 35年前、近代ハンズオン・ヒーリングの確立者であるロザリン・ブリエール博士は、エンジニアとしての教育背景を生かし、さまざまな癒しの伝統の訓練と知識を統合し、それらを実際の臨床に生かせる形にまとめて世に出しました。

 博士は現在、世界中で使用されている「キレーション」と呼ばれるヒーリング・テクニックの創始者です。

 アメリカ最大手のヒーリングスクールBBSH(Barbara Brennan School of Healing)の創設者バーバラ・ブレナン女史も、ブリエール師からヒーリングを学びました。(ブレナン女史は『How People Heal』のインタビューで、「ヒーリングについてのあらゆることをブリエール師から学んだ」と語っています。)

 ブリエール博士は、米国国立衛生研究所「近代代替医学発案委員会」発足当時から顧問を務め、真のホリスティック医療を目指して、ヒーリングと医学の仲立ちをし、統合を推し進めてゆくために、自ら積極的に病院や大学付属研究室での臨床研究に関わってきました。現在は、ジョンズ・ホプキンス医大付属ケネディ・クリーガー研究所やシカゴ子供記念病院での臨床研究に参加し、またアリゾナ州立大医学部の統合医学プログラム、タイ・ソフィア・インスティテュートの応用ヒーリング修士課程などで教鞭をとっています。

 ブリエール博士の活動は、つねに近代医学とハンズオン・ヒーリングの接点を探り続ける、この分野での最先端と言えるものです。それは、補完医療としてのハンズオン・ヒーリングに何が可能か、どのような形で医療の専門家たちと協力し、また一般社会に受け入れられ、現実的な形で人々のために役立っていくことができるかについての、ヴィジョンと方向性を示すものと言えます。

ハンズオン・ヒーリングに関する本

・『光の輪』ロザリン・L・ブリエール博士著

・『癒しの光(上)』『癒しの光(下)』バーバラ・アン・ブレナン著

英語の読める人はこちらも

ジョンズ・ホプキンス医大付属ケネディ・クリーガー研究所ニュースレター
『Touch』2003年春号
2003年6月プレスリリース(エネルギー療法の効果に関するリサーチについて)
 (ケネディ・クリーガー研究所は、脳の外傷性障害や自閉症を含む発育障害のある子供たちの治療、臨床研究と専門家の継続教育で国際的に知られる医療機関です。)

ヒーラーとヒーリング教育

 日本では「(ハンズオン)ヒーリング」の定義は、まだはっきりと確立されていません。週末セミナーで学んだだけの人も、長期の教育と訓練を経ている人も、一緒くたに「ヒーラー」と呼ばれているのが現状です。ですから一言に「ヒーラー」と言っても、教育背景、訓練のレベルと臨床経験の内容には大きな幅があり、仕事の内容にも違いがあります。

 ヒーラーを探す場合、とくに、より肉体に近い実用的、現実的なサポートを求める場合には、自分が求めるのはどのようなヒーラーなのかをあらかじめ検討し、興味をもったヒーラーの背景や経験についてチェックしてみるのは、常識的なステップでもあり、また時間とお金(=エネルギー)の賢い使い方です。

 このようなクライアント側の賢明な態度は、ヒーリング界とヒーラー全体の質を向上させるのにも貢献します。

☆ 王由衣のヒーリング・セッションについて知りたい人は、こちら

☆ しっかりとしたハンズオン・ヒーリングを学びたいと思う人は、こちら

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November 09, 2006

ホノルル・カリフォルニア・シンシナティ

 ホノルルに戻った翌日、ハワイ島の大地震。揺れの10分ほど前に目が覚めた。

 ベッドで大きな横揺れを感じながら、自分がまだ日本にいるのかと思った。丸1日近い停電以外、被害はなし。

 エアコンを入れないと仕事ができない暑さのホノルルで10日過ごし、すでに秋めいたカリフォルニアのベイエリアへ。2週間ほどカリフォルニアで過ごして、その後、神学課程の研修のために零下のシンシナティへ。

 今回のシンシナティ研修では、長年の友人が卒業、聖職者としての叙階を受けた。今年唯一の卒業生だ。彼女が研修に費やした時間は12年以上。

 この半年、卒業が近づくにつれて彼女の通過していく変化を見、これほど長い時間をかけて準備したイニシエーションのパワーについて思った。

 私自身、そろそろ卒論の準備に入らないといけないので、友人の叙階式に参列するのは励みにもなり、気も引き締まる。

 

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July 05, 2006

ブログ更新再開

 シャスタ山でのリトリート、それに続く北カリフォルニアでの乗馬ツアー。

 10年ぶりに戻ったシャスタ山は、やっぱり光に満ちていた。経験はじわじわと効いてきている。

 さぼっていたブログを、そろそろまた更新再開します。

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July 25, 2005

師匠の家は動物園

 私のヒーリングの師は南カリフォルニア在住だ。ご主人は空手6段の武道家で、20年近くロスで道場を開いていた。そのご主人からウェイトトレーニングの個人レッスンを受けるため、師匠のところにしばらく滞在した。

 私の動物好きは並ではないが、師匠のそれも並ではない。

 到着した最初の晩、師匠宅に足を踏み入れると、淡褐色のグレーハウンドが迎えに出た。半年ほど前に、グレーハウンド・レスキュー(ドッグレースからグレーハウンドを助け出すグループ)から引き取られてきたという犬だ。

 しゃがんで挨拶をすると、ぺろりと鼻をなめられた。「あらまあ」と師匠が驚く。この子は普段、人の顔をなめることをしない犬なのだそうだ。

 さらに二匹のアビシニアン猫たちが足下にすり寄ってくる。

 師匠はリヴィングで小さなオウムをかごから出すところだった。

 「4週間前にね、野生のオウムの巣から落ちたのを拾ってきたのよ」

 もとの巣を探して戻すことができなかったので、そのまま引き取って育てているという。ちびオウムを台所につれて行き、餌を食べさせ始める。

 もう一羽、昔からいる大きなオウムが、リヴィングの向こうからこちらを見る。

 「蛇は元気ですか。パイソンだったかな」

 「パイソンは少し前に死んだわ。今いるのはコーンスネーク(ナミヘビ)ね」

 アビシニアンはエジプト系の猫だが、一昨年まで、バセンジというエジプト系の犬もいた。師匠の趣味はエジプトとヒョウ柄だ(いや、エジプト学の研究者でもあるから、趣味などといってはいけないのだが)。

 このグレーハウンドも、首にヒョウ柄のネックバンドをしている。

 私はこの7年がた、グレーハウンドのレスキュー・グループを支援してきた。将来の夢も、救出されたグレーハウンドを何匹か(できれば1ダースくらい)引き取って飼うことだが、実物のグレーハウンドを見るのは実は初めて。見たこともない犬種になぜここまで入れ込んでいるのか、ずっとわからなかった。

 ヒョウ柄のクッションに寝そべる犬に目をやる。ぴんと耳を立てたその細表の顔... そのシルエットは、なんと、エジプトの犬頭の神アヌビスにそっくりではないか。ついでに目のまわりにはエジプト風の黒い隈取りまで入っている。

 「そうよ、アヌビスはグレーハウンドよ。グレーハウンドの姿はエジプトやローマの壁画にも残ってるわ」

 アヌビスはエジプトの神々の中でも私がとくに好きな神様だ。小学校の頃に百科事典の写真を見て、しきりにアヌビスの姿を模写していたのを覚えている。グレーハウンドへの愛着はこんなところにつながりがあったか。

 夕食の後、師匠とグレーハウンドと散歩に出た。

 耳の内側に刻まれた入れ墨によれば、この子は3歳。それそろレースの盛りを過ぎ、レスキュー・グループに助けられていなければ、殺されていたところだった(「グレーハウンドを救え」)。

 だが、今、彼女は優しい保護者のもとにある。そしてその余生をゆったりと、幸せに過ごせるだろう。

 夕暮れの学校の広いグラウンド。日暮れの光の中を風のように駆けるグレーハウンドの姿は、美しかった。

 翌日、まっ白なグレーハウンドが連れられてやってきた。後ろ足にはギプスが巻かれている。レース中に足を骨折し、そこをレスキューグループに引き取られてきた犬だ。骨折をしたグレーハウンドは、ただちに処分の対象になる。

 この子の里親がしばらく留守にするため、師匠宅で子守りを引き受けたのだという。

 とても人なつこい性格で、一生懸命こちらの顔をのぞき込み、ぴったり体を寄り添わせて甘えてくる。本当に過酷な生を歩んできた犬なのに、どうしてこんなに人を信頼し、こんなに愛情深いのだろうと切なくなる。

 その夜は師匠とご主人、それに私で、ハンズオン・ヒーリングをした。起きかかっている炎症を抑えるためにリンパ系を浄化し、骨折の治りを早くするため、骨にもたっぷりエネルギーを入れる。

 適切なハンズオン・ヒーリングは、骨折のような怪我の治癒時間を最大、半分にまで縮めることができる。自分の体重より重いバーベルを持ち上げるご主人のエネルギーは、骨を内側から生命力で満たすパワフルで密なエネルギーだ。

 (そう、私がウェイトトレーニングのレッスンを受けているのは、健康管理という以上に、ヒーラーとしての腕を上げるためである。)

 翌朝には白いグレーハウンドは驚くほど元気を取り戻し、熱も下がって、ギプスをものともせずに家や庭を歩き(時に走り)回るようになっていた。

 その日の午後、トレーニングを終え、カルマヨガとしての庭仕事を終えて、2匹のグレーハウンドと庭に座っていると、師匠が出てきて植物に水をやり始めた。パティオののきからは、たくさんの観葉植物がバスケットに入ってつり下げられている。

 その中の一つ、シダ系の葉っぱが植わっているバスケットに、朝からキジバトが座っていた。キジバト独特ののんびり、まったりした様子で、黒く大きくつぶらな目をしてバスケットに納まっている。近づいても逃げる気配もない。

 と、水の出るホースを手にした師匠がそのバスケットの下に立ち、じっと見上げている。

 師匠、それは鳥です。

 しかし師匠、何を思ったか、おもむろにホースをバスケットに向けた。

 鳥はゆっくり立ち上がると、ちょうど小鳥が水浴びをするように羽を広げてぱしゃぱしゃと水を受け、それからまた何事もなかったかのようにちょんと座り込んだ。

 「あっはっはー 鳥に水をやっちゃったよ!」

 師匠の笑い声が響いた。

 翌朝、見ていると、もう一羽のキジバトがやってきて、先にいた鳥と交代してそのバスケットに座った。そうか、卵を産んで温めているのだ。このバスケットを巣にしてしまったのである。

 そのことを師匠に告げると、やれやれといった顔をした。実はしばらく前に別のキジバト夫婦が他のバスケットを巣にして子育てをしていった後だという。雛がいる間は水をやるわけにいかなかったので、そのバスケットの植物は枯れてしまったらしい。

 「きっとエネルギーレベルで『見捨てられた動物、保護の必要な動物はここに来るべし』なんて看板が立ってるのよね」

 そう言って師匠は笑った。

 
 

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June 27, 2005

ヒーリングを通しての奉仕活動(カナダ)(2)

 カナダのファーストネイション(先住部族)居留地での奉仕活動から帰る。 

 アメリカ国内での経済・保安両面の世知辛い状況を反映してだろう、今年は参加ヒーラーの数が定員に達しなかった。

 そんな中でもアメリカ各地やヨーロッパから手弁当でやってくる参加者はもちろん、やる気満々。私は日本での仕事を終えて、そのまま東京から直接カナダのバンクーバーに飛んだ。

 ロザリン・ブリエール師のコミュニティに足を踏み入れて今年で5年目。初日の朝にミーティングルームを見回せば、まわりは友人や知人だらけだ。

 やってきた患者は一人残らず治療するというコミットメントのもと、4人1組でチームを組んで、朝の10時から夜の11時近くまで次々と訪れる人々の治療に当た
る。

 私も旧知の古株ヒーラー2人に、これが初参加という1人と一緒に、上は部族の長老(エルダー)、酋長(チーフ)から下は赤ちゃん、小学生までの様々な病気、症状と向かい合った。

 ヒーリングとは何かといったことは知らず、ただ知人からの口伝えに「病気やいろんな症状がよくなるらしい」とだけ耳にして訪れてくる人たちを迎え、治療を行いながら、奉仕活動としてのヒーリングは、やはり自分にとってヒーリングの意味を再認識する原点だとつくづく感じる。

 朝から夜まで立ちっぱなしで仕事をするので、3日目くらいに入ると、普段から足腰を鍛えていないヒーラーは端から見ても相当つらそうだ。

 しかしそんなことはお構いなしに、患者の振り分け係であるブリエール師のご主人(拳法家)は、ヒーリングが終わり患者がベッドから降りるやいなや、チームに一息を着く間も与えず次の患者を置いていく。

 「すべては患者のために」の合い言葉のもと、チームはただちにモードを切り替え、次の患者を笑顔で迎える。

 普段から耳にたこができるほど言われているように体を鍛え、長時間の肉体ストレスがそれほど苦痛にならないヒーラーでは、3日目頃から一種のハイ(高揚)状態になってくる。

 1日目はどうしてもチームの調整期間。メンバーは普段それぞれ、プロのヒーラーやヘルスケアの専門家として仕事をしている。そこからくる自分のやり方へのこだわりや、プライド、エゴなどをたたんで、チームとしてのオーラ(エネルギーフィールド)を形成していく。

 この調整時期を過ぎてチームの息が合ってくると、一つのチームは互いのエネルギーフィールド(オーラフィールド)を共有する。つまりセッション中、ヒーリング用にチューニングされた4人分のヒーラーのエネルギーが自分の中を巡るようになる。

 これでハイにならないはずがない(笑)。

 このおかげで、時間中にまとめる暇のない患者のカルテを、貴重な昼食時間を割いて整理するといった精神的余裕も生まれる。夜の仕事を終えて、チームとそのまま夜食を食べにレストランになだれ込み、一騒ぎしてホテルに帰り着いたら深夜零時を過ぎていたりなんてことにもなったりする(一晩と言わず)。

 そして翌朝ももちろん元気に仕事だ(笑)。

 先住民居留地での奉仕活動を通してブリエール師が成し遂げようとしているのは、単なる個々の病気の治療やヒーラーの臨床教育だけではない。

 まだ息の白くなる早春のカナダの冷たい空気の中を、会場となっている居留地の体育館へ歩いて向かいながら、「我々が癒そうとしているのは八世代に渡る憎しみ」というブリエール師の言葉を、幾度となく自分の中で繰り返した。

 それは北米先住部族(「インディアン」)とヨーロッパからの移住者との間の、不幸な歴史について指している。

 八世代あまりにわたり居住地を奪われ、虐殺され、迫害され、今なお差別され続けて現在に到る、北米先住部族の抱える深い傷。それを背景とするアルコールや薬物依存、心の病。あるいは国の医療制度から適切な扱いや治療を受けることができないままにおいておかれる、様々な慢性病。

 それに対してただ無償でハンズオン・ヒーリングという小さな助けを差し出すこと。

 それを受けとるかどうかを決めるのは部族の人々。どんなタイミングで受け取り、どのように反応するかを選ぶのも彼らであり、我々はただできることを黙って差し出すのみ。

 差し出すものが受けとられ、部族の中の癒しの一助となっていくまでには長い時間、場合によっては幾世代かの時間がかかるかも知れない。長い時間をかけて刻まれた民族の魂の傷の癒しには時間がかかる、それは当たり前だ。

 だが、体育館の床を走り回りながら、時にヒーリング中のテーブルに駆け寄り、ヒーラーたちの手元を見ていた少女が、家に帰って見よう見まねで両親の体に手を当てたと聞いた時、希望の光を見たと思った。

 居留地を訪れるアメリカやヨーロッパのヒーラーたちは、部族の人々が今も維持する、一つの部族全体がそのメンバーの一人一人を包み支える、昔ながらの人間の絆のあり方、そしてまた大地との深いつながりを経験する。そしてそのようなつながりを体感的に学び、現代社会の偏りの中で育てられてきた自己の一部を癒す機会を与えられる。

 差し出すヒーリングが、癒しにかかる時間をわずかでも短くすることができたなら、それで「介入者」としてのヒーラーの仕事は果たされる。

 癒えるのは魂自身、肉体自身、その力。ヒーラーの仕事の第一義はそれを真実として見てとることであり、そうしてその視点から魂と肉体を支えることに他ならないからだ。

 居留地のある北ヴァンクーヴァーは、桜の花に彩られていた。北に見える近隣の山々は、まだまぶしい雪の冠をいただき、その麓、まだ冷たい風の中に花開く淡いピンクの桜の花は、思いもかけない場所で懐かしいものに出会うよろこびを与えてくれた。

 次は白頭鷲たちの飛び交う初冬に戻ってこられるといい、そう思った。

(2004年4月記)

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June 26, 2005

「脱皮」

 沖縄でのリトリートが終了。
 完璧性の私としては珍しく「何もかも文句なし」と言い切れるくらい、最高のリトリートだった。
 沖縄南部の海と森の接する土地で、文字通り手で触れられるような濃密な神聖な存在のエネルギーに触れ、守られ、導かれながら日々を過ごした。
 毎早朝のウタキ(御嶽)参りから、夜遅くまで続いたトランス・メディテーション。合間を挟んで、身震いするほどパワフルな女神のエネルギーが今も住む久高島への遠足や、美しい無人島での海遊び。
 経験の一つ一つを、様々な花や果実、蝶やハチドリ、バッタ、トカゲやウミヘビといった、豊かな自然から送られる共時的な象徴が彩る。
 多くの人が夢やメディテーションの中でイメージやヴィジョンを共有し、まさにドリーム・ボディ(夢の体)が共有された時間でもあった。打ち合わせたわけでもないのに、最後の夜の夢やメディテーションの中で、「脱皮」を経験した人も多かった。

 リトリートの間中、自分はシッター(そばに座って見守る人)に徹し、毎晩、参加者の語る経験に耳を傾け、リトリートの経験がそれぞれの魂に印象を刻み、変化を引き起こすのに目を細めた。
 開かれたハートから互いの存在を受けとめ、ただ自分であることが許されるグループの中で、神聖な空間を共有し、遊び、食べ、眠り、互いに在る経験をすることを通して、人はここまで癒される。
 それは見守る私自身にとっても、新しい気づきだった。

 リトリートの後、本州に飛んで、来年のフラワーエッセンス作りの準備に、何日か山を歩き回った。
 実はリトリートの後半に腰を傷め、立っても座っても、寝ていても痛みの走る状態だったのだが、やりたいことがあるとなると肉体の痛みを無視する能力には、我ながら尋常でないものがある。
 ウェットスーツを脱ぎ着するにも難儀な状態で、海にも入ってシュノーケリングを楽しみもすれば(あんなに砂浜から近いところでウツボやクマノミを見るとは思わなかった)、山歩きには、ドラッグストアで見つけた腰痛用のベルトとかいうのを巻いて体を支え、リュックを背負って歩き回った。(帰ったら行きつけのロルファーに怒られるなあ...と思いながら。)

 空港でアメリカに帰る飛行便を待ちながら、コリン・ウィルソンの言う至高体験のような、不思議な高揚感が自分を包むのを感じる。
 本当にどうでもいいような日常的で些細なことが、なんともいえず人生の「よさ」を象徴するかのように感じる、あの感覚だ。

 それでもさすがに泥のように疲れてハワイにたどり着き、まる1日眠った。
 目を覚まして、あたりを見回し、ふと自分自身、皮を1枚脱いでいることに気がついた。
 自分が誰か、何をやりたいのか、そんなことはもうわかっていると思っていた。だが、皮が脱げて、目からまた1枚、鱗が落ちてみると、以前にも増して自分が誰なのかがはっきりと見える。
 見渡せる限りの自分の過去が、どれほどまっすぐに一本の線で貫かれ、今自分がここにいることを可能にしているのか。そしてその先に続くのは、どんな道なのか...。

 何をどうしようと変えようのない、自分。そして、そのことが限りなくうれしい。
 自分自身も自分の人生も、完璧なものというにはほど遠い。だが、それでかまわない。不完全な自分のもとにも、完全な瞬間は訪れる。人生が時折、空から羽のように落としてくれるそんな瞬間を楽しみに、自分はただ自分の道のりを歩いてゆく。
 ユングは言う、「汝自身の至福を追え」と。

 さて、皮を脱いだところで、やらなければならないプロジェクトが発生した。
 住居の模様替えである。
 自分の中でいろいろな要素の優先度がシフトし、それに合わせて居住空間の調整をしなければならないと強く感じられ、まだ残る腰の痛みもなんのその、家具を引きずって動かし回してしまう。
 そして引っ越し以来、どうしても荷開きのできない持ち物が二つあったのだが、それらが収まる空間が生まれる。
 とりあえずはこんなものか。そしておそらく来年はまた引っ越しだ(笑)。

(2003年10月記)

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