03. 動物といっしょ

August 27, 2017

馬といっしょ ハンガリーの森で外乗

 (2016年6月の旅行)

 ヨーロッパでの仕事を終えて、家に帰る前にちょっと一息。

 というわけで(どういうわけなのか)、ハンガリーに立ち寄り。

 ヨーロッパで馬に乗る時は、1週間ぐらいかけて長距離を移動するきつめのトレッキングを選ぶことが多いのだけど、今回はぐっと趣向を変えて、ウエスタンの牧場に滞在してみた。

 遠めに馬を見ながら朝ご飯。
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 馬はおもにペイントホースやクオーターホースで、完全ウエスタンで調教されている。

 外乗の前に「うちの馬はこう乗って欲しい」と、オーナーから2時間ほどレッスンを受けたけが、本当にたずな不要、わずかな足の動きだけで完璧に言うことを聞いてくれるのがすごい。

 レッスンの間に馬を替え、最終的に相棒としてあててもらったのはビュフィ君(6歳、クオーターホース)。

 これがまたテレパシー的にこちらの気持ちや意図を感じとってくれる、実によい馬です。

 性格も穏やかで、ちょっと食いしん坊だけど聞き分けはよく、クオーターホースらしい素晴らしい持久力。

 波のようにゆったりとした駆け足(ローリングカンター)で、国立公園の丘を越え森を抜け、何キロでも悠々とかけてくれる。

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 ハンガリーの人たちの実直、実用的だけど情感豊かな存在感や、音楽的なハンガリー語の響きなども心地よかった。

 初ハンガリーなのに観光は一切せず、牧場に5泊してずっと馬に乗っていたので、次に行った時はちゃんとブダペストも見て回りたい。

 

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July 14, 2014

カタリ派の村と城 乗馬トレッキング/南フランス

 これもまとめてしまわないとどこかに行ってしまうので(...)、Tweetと写真をとりあえずまとめることに。追加のディテールはまた後で埋めていきます。

 2013年、秋の旅行。文章はすべてTweetで、[ ]内のみ後から補足。




9月2日

突然ですが   ニュルンベルクなう

9月4日

Macが起動できなくなった。普通ならネット経由でシステムリカバリできるのだが、ホテルのネット回線に阻まれてる。しょうがないので読書用にもってきたKindleで、ぽちぽちメールチェック

9月5日

Wifi無料なのにセッションごとにログインが必要で、24時間のデータ転送上限越えるとSkypeの途中でも接続切られるとか。ヨーロッパのホテルのネット管理はけちくさいなあ

とりあえずKindle指うちなので、まとまった書き物できないのがつらい

9月7日

ドイツには聖職の追加の修行を積みに来るのだが、昨日は洗礼式、今晩は結婚7年目のカップルの誓い固めの式

窓の外からなんともいい歌声が聞こえてくると思ったら、コミュニティのコーラス部隊が最後のリハーサルをしているのだった

仕事納めは縁切りの儀式、これは伝統的な北米先住部族のやり方で

コミュニティにとって、人間にとっての、典礼と人生の節目の重要さを思う

9月8日

ドイツでの研修終了

移動の経由地にアップル製品売っているショップがあったので、外付けDVDドライブとOSX買ってシステム再インストールできると思ったら、OSX売ってない。アップルストアのある大都市にたどり着くまでMac復旧の望みなし

まあ 今夕からネット環境もゼロになるんだけど

9月9日

ラングドック・ルシヨン(カタリ派の故郷) なう

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9月10日

昨日は出発点のグラン村を出て、馬で5時間かけてプイヴェール城まで、山や谷を越えながらたどり着く

1210年に陥落したカタリ派の城

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宿は城下の小さなジーテ

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9月11日

今日は朝から雨。レインコートを着て馬の手入れと装備を済ませ、ヘルメットのつばからしずくの滴る降りの中、6時間行軍。険しい山道を登り降りしながら、山に囲まれたラバウの村落に着く

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9月12日

今日はラバウを出て、谷沿いの細い道を馬で登り降りすること4時間、プイローレン城に

この難攻不落の要塞は十字軍の攻撃にも耐え抜き、1255年の開城まで、多くのカタリ派聖職者や信徒、カタリ派ではないが迫害から信徒を守る側についた一般人を救った

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歴史や伝承を見聞きしてうたれるのは、カタリ派ではない普通の貴族や人々の中から、キリスト教会による迫害に反対し、命を賭けてカタリ派を守った者が多く出たこと

オクシタニアの気骨

今、宿の窓から明かりに照らされたプイローレン城が見える

9月13日

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昨日は野を越え山越え谷を越え(文字通り)、時おり気持ちのいい駆け足をはさみながら、6時間半かけて山の上のブシャーの地所に到着

宿の窓からピレネー山脈と、名高いカタリ派の城塞ペイルペリュテューズとケリビュスをのぞむ

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山の向こうはスペイン、左手は山を越えれば地中海

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[雨に濡れて、光を放っているように見えるボラージュ]

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9月14日

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鹿や猪の出る山道をたどって5時間かけグラン村まで戻る

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[途中、かつて耐久乗馬レースでならしたシベールさんの畑カフェで。カタリ派の村でチベットの旗を見つけたのには感慨]

[グラン村にたどり着き、]馬での旅程はこれで終わり

馬の装備をはずしたら、バケツと刷毛を渡されて蹄のグリース塗り、放牧場所に連れていくまでやって完了

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経由地のカルカッソンヌを経て、次の行き先へ

9月28日

[Twitterの]背景画像を変えました。南フランス、ラングドック・ルシヨン。カタリ派の城プイヴェール城に向かう途中で、旅の相棒オキシドン君(アラビアン/クォーターホースのハーフ)を休ませているところ

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[後日談]このMacBook Airは実際にSSDの突然死でした。Appleからリコールの出ているロットだったので、SSDを無料交換してもらい復活

[Twitterアカウント Healing Alchemy

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November 22, 2011

乗馬トレッキング イタリア、シチリア(1)

 10月のドイツでの神学研修の後、その足でシチリアに向かった。

 マドニエ、ネブロディ、アルカンターラの3つの山系を越えて、エトナ山の中腹まで6日間220キロの乗馬トレッキング。

 1日7〜8時間、時に山道を何キロもぶっ続けで駆け上がり、時に霧の中を雨に打たれながら進む道は、途中でリタイア者も出る程度に体力勝負だったが、最高に楽しかった。

 今、作業しておかないと多分忙しさに紛れてそのままになってしまうので(これまであまりに大量の写真がそういう憂き目にあっているので...)、仕事の合間を見てアップロードしておく。

2cefalu  トレッキングのスタート地点はチェファルー。

 映画『Cinema Paradiso』のシーンにも使われた海沿いの町は、夢の中の風景みたいに美しい。

 この日はチェファルーの町を見下ろす山の上の古城を転用した宿に一泊。

 翌朝、歩いて10分ほどの所にある厩舎で、相棒になる馬を選ぶ。

Cefalu_frigian  黒いのはトレッキング・オーガナイザー(チェファルーで病院勤めの放射線医)所有の、それはゴージャスなフリギア馬。気性はちょっと荒い。

 私とドイツ人の女性は2頭の栗毛を見せられ「どっちに乗るか決めろ」と言われる。

 顔をのぞくと1頭の目に、ぴかっと好奇心に満ちた知性の輝きが! 私にとってはこれはアラビアンの血が入っているサイン。考えながら迷っているドイツ人の女性を差し置いて、ささっとこの馬を指名(笑)。

3horses_2  私はアラビアンが好きだ。馬の中では多分一番と思われる知能の高さ、走り出したら止まらない熱い性格、そして相性のいいアラビアンと経験する、手綱をさばく必要さえない一体感。

 いつか生活が落ち着いて自分の馬をもつ時には、アラビアンと心に決めている。

 スタッフに訊ねると、やはりシロッコ君はアラビアンとシチリア馬のミックスだった。

4tusafarm  その日の宿にたどり着かないと、夕食にもベッドにもありつけない。この日は1時間の休憩を挟んで延べ7時間半、山道を上り下りしてトゥーサの農場に着いた。

 馬たちは放牧されて草を食み、我々は丘の上のコテージに。

 夕食は農場の食堂で、地元の有名人チーチョ親方が自分で育てた有機野菜や、野原から摘んできたハーブや野草、自作のチーズなどを使って作ったシチリア式のフルコース(14品くらい...)。

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 私はトゥーサにたどり着いた初めてのアジア人(?)ということで(しかも「牛や豚は食べない」とか言うし)、親方はいろいろ気を使ってくれた。

親方「朝は普段、どんなものを食べてるのかね?」

私「そんなに気にしなくて、普通の朝食で大丈夫ですよ」(注 イタリアの普通の朝食=エスプレッソにタルトとかクッキー)

親方「どんなものを食べているのか知りたいんだ」

私「うーん 普段だったらご飯」

親方「それは冷たくして食べるのか、温かくして食べるのか?」

私「...温かいの」

親方「どんなものを付け合わせるのかね?」

ガイド「きっとオリーヴオイルをかけるんだろう」(ちょっと待て)

Tusa_rice と言うわけで、翌朝、本当にあったかいご飯がでてきた。付け合わせは「卵」と言っておいたら、ゆで卵が(笑)。

 イタリア人は基本、陽気で人懐こいが、シチリアは輪をかけて人が温かい。

 前菜からデザートまで3時間半かかった親方のフルコース・ディナーを食べるためだけにでも、またシチリアに出かけたいと思う。

 トゥーサは紀元前2世紀には成立していた古い町で、この先トレッキングはトゥーサから同じく古代の町ミストレッタと、「普通のシチリア人もめったに足を踏み入れない」とガイドの言うDeep Siciliyへと進んでいく。

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 トゥーサからミストレッタに向かう途中で休憩し、馬を休ませる。

 ランチはガイドが作ってくれる野戦料理的サンドイッチにオリーブ、チーズ、果物。チーズは地元産のカーチョカヴァロ。シチリアの農産物は生命力にあふれていて、本当においしい。

 シチリアで自然農法や有機農法が盛んだというのは実は知らなかったが、おいしいものは地元で消費されてしまい、輸出には回らないため知られないということらしい。

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 ミストレッタに向かい山の上を移動しつつ、馬の背から。


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October 27, 2010

エジプトで外乗(砂漠で乗馬)

 馬で砂漠を思い切り駆けたいというのは、子供の頃からの夢だった。

 最大の影響は『アラビアのロレンス』だったと思うが、ベドウィンやアラブの人が砂漠を馬で駆けている姿を写真などで見るたび、憧れはつのった。

 何年か前に、エジプトの砂漠を馬で走る外乗ツアーがあるというのを発見。行きたいと思ったが、難関が。

「最低施行人数2名」

 要するに、馬に乗れる同行者といっしょに予約を入れないといけない。

 しかし、うちのつれ(パートナー)はつねづね「この人生では、エジプトには興味はない」と言い切っており、度重なる説得や圧力にも関わらず、頑としてエジプト方面へ腰を上げる気はない。

 なので、この件については長期の計画を練らねばならないと思っていた。

 この10月、エジプトに2度目の滞在をした。6年前に半月、今回はアレクサンドリアを足して半月ちょっとだ。(旅行の経過はTwitterに。旅行のアウトラインはこのブログの別記事で。)

 滞在中、異端のエジプト学者が率いる特殊なツアーに加わってあちこち回ったのだが、そこは欧米人のグループ。どうしても、旅の合間に砂漠でラクダに乗りましょうという余興を避けては通れない。

 私は前に来た時にすでに、1度は砂漠の中の寺院跡を訪れるのに、2度目はシャルムエルシェイクでベドウィンのキャンプに泊まった時に乗っている。ラクダは確かにかわいくて好きだし、高い背中でまったり揺られるのも楽しいが、馬に乗るほどの楽しみはない。

 と、そこで現地ガイドから、天から降ったような提案が。

「ラクダではなく馬の方がいい人は、馬も用意できます。希望者は?」

 もちろん元気よく手を上げる(笑)

 手を上げた後で、観光客向けの引き馬だったりしたらどうしようかなと思ったが、そうでない可能性に賭けることに。

 現地に着いてみると、おお! 一応乗馬センターらしい趣が。どうも、オーナーが馬好きのサルタンで乗馬センターを営み、副業で観光客向けのラクダの斡旋をしているようだ。

 ラクダはどう見てもセンターのものというより、その辺から空いているのをかき集めてきた感じ(笑)

 しかし丘の上に引き出されている馬を見ると、これはいけそうだ。なぜかこのタイミングでセンターの出店で買い物を始める他の参加者を置いて、さっさと丘に登る。

 よく手入れされた美しいアパルーサを見つけ、かまいにいく。おでこを撫でてやると、目を細めるさまがなんとも可愛らしい。

 そこへ馬係がやってきた。この状況では、選択肢の多い早めのうちに馬を当ててもらった方がいい。

「馬を選んでもいいか?」

「お前は上手な乗り手か?」

 ここで日本的に謙遜して「まあまあ」とか言ってしまうと、のろい馬を当てられるので、「そうだ」と全面肯定(笑)

 「では、この馬がいい」と指さされたのは、灰色がかった細身のアラビアン。乗っても大丈夫かと思うくらい細くて骨張っている。鞍は手縫いのお手製風だし、鐙(あぶみ)はぺろんとした金属の板ですが(笑)

 「乗ってみろ」と言われて騎乗すると、それだけで馬が興奮し始める。すでに走る気満々で、しきりに「まだか? まだか?」と問うような様子をする。

 アラブ馬は基本的にみんなそうだが、血が熱い。そういう意味では典型的なアラビアンのようで、この興奮具合からして、走るのが大好きで、そして走り出したら止らない馬と見た。

 私は馬の中ではとりわけアラビアンが好きだ。血気にはやる性格も、時に人間を出し抜く頭のよさもいいし、何よりこちらの思いをテレパシーのように感じとってくれる感応力がすごい。気が合った馬なら、手綱を捌かなくても本当に思った通りに動いてくれる。

 (同じくらい知能と感応力があると思うのは、日本の道産子。道産子は性格が温厚でアラビアンとはまったく違うが、好きな馬だ。)

 他の乗り手の準備が整い、少し歩いたり軽く駆けたりして、同伴のガイドが乗り手を品定めしているのがわかる。そうしてOKが出たので、駆け足。

 細身なのは、脂肪をすべて落として体重を絞り込んだボクサーと同じか。外見からは想像もつかないパワーで、蹄の沈む砂を滑らかに踏んで、息も切らさず一気に長い砂丘を駆け上がる。

 アラビアンのすらりと美しい体形からは思いもよらぬパワーと持久力は、北カリフォルニアで耐久レース型のトレッキングをした時にとことん経験したのだが、やはりすごい。

 しばらく走ったところで、ラクダの一隊が追いつくのを待ちながら、馬を休ませる。

 砂丘の向こう、遥か遠くにそびえるギザのピラミッド群を馬の背から眺めるのは、思わぬところで夢をかなえてしまった喜びと相まって、ちょっとした感慨。

 帰り道は、アラビアンの性格と馬の帰巣本能が合わさり、さらにギャロップのスピードが上がる。砂漠の太陽の下を砂まみれの風に吹かれながら、走る走る。何の障害物もない砂漠を、ひたすら馬まかせに走る幸せ。

 帰り際、乗馬センターの場所と名前をしっかり記憶にとめた。もちろん次にカイロに戻る時のために。

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January 11, 2010

ボルネオ自然保護区のオランウータン

 西洋歴の新年が明けてちょっと静かになってから、家から車で1時間くらいのラサ・リア・リゾートへ。隣接する自然保護区で、オランウータン観察に参加した。

 ここの保護区には、森林の伐採で親をなくして保護された子供のオランウータンが集められている。もう少し大きくなると、セピロックの保護区に移され、そこで自然の中で自活できるようになるまで生活することになる。

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朝ご飯の時間になると、子供オランウータンが綱を渡り、森からやって来る。







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好物のランブータンを食べていると、野生の猿がお相伴に預かりに...。

考え深げな表情がなんとも言えない。




 オランウータンの深い、黒い瞳。その瞳に宿る純真無垢さと深い知性を感じていると、造化の妙にうたれる。

 だが同時に、本当はこの子たちは「ここ」にいるべきではない。本来なら、人の手も届かぬ森の奥で、静かに暮らせているべきなのだ。

 愛らしい子供のオランウータンを見て「かわいー」だけで済ませられないことろが自分の苦労性と言えば、まあそうだが、それを捨てたいとは思わない。

                 ☆

 「オランウータンの子供たちが母親から引き裂かれることなく、すべてのオランウータンがその性質のままに、穏やかに、幸せに過ごすことのできる日が早く来ますように。」




オランウータンの窮状と保護活動については...

Borneo Orangutan Survival Foundation (日本語)

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January 17, 2009

バリ島の乗馬リゾート

 12月は、ほぼ休みなしでがむしゃらに働いた。

 その反動という訳ではないが、年越しはバリ島で。私もつれ(パートナー)も、基本的に放っておくといつまででも仕事をしているタイプ。すべてをまったりと穏やかなハート・エネルギーでつつみ、いやおうなしに脳みそを休業モードに引きずりこんでくれるバリは、理想の休養地だ。

 私にとっては5回目のバリ。先回はスミニャックに滞在し、その時、郊外にある乗馬クラブ兼プチ・リゾートを見つけ、そこの手配で海岸での外乗を楽しんだ。(「バリで乗馬」)

 さすがドイツ人のオーナー、たくさんいる馬のよく手入れされていること、調教ぶりのよいことが印象的だった。青々とした稲田の中に立つ、ヨーロピアン・スタイルの白亜の建物を見ながら、「次はここに泊まるぞ」と心に誓ってバリを去った(笑)。

 幸い、今住んでいるマレーシアとインドネシアはお隣同士。飛行機もほとんど国内線の感覚で、時差もない(実は言葉もマレー語≒インドネシア語)。先回初めて海岸での外乗を経験した「乗馬初心者」のつれも、「集中してレッスンを受けるいい機会」と、馬リゾートでの年越しに同意してくれた。

 (私としては、つれを1日5、6時間の乗馬トレッキングに耐えられるよう、鍛えようともくろんでいる。そのうちインドやチベットの乗馬ツアーに行きたいのだが、僻地のツアーでは「最低人数2名」というところが多いのだ(笑)。)

 バリに馴染みのある人は、ドルや日本円に換算した時の相対的物価の安さを知っていると思うが、昨年後半からのインドネシア・ルピアの暴落で、今回はさらにおそろしくお金の使いでがある。(町のスパで、上手なバリ式マッサージが60分400円とか、マッサージ+ルルール+フラワーバスの2時間パッケージが800円とか。)

 リゾートの宿泊に乗馬レッスンと海岸での外乗を合わせたパッケージも、目をみはる安さだ。

 敷地の裏手には、レッスン用の馬場(野外・屋内)と、馬装や手入れをするためのエリアがある。客室のある建物は1階がたくさんの馬房に仕切られ、2階が客室で、つまりベッドルームの下に馬たちがいる。

 嵐の夜には、馬たちがずっと落ち着かなげに音を立てていることもあった。

 しかし、毎朝早くから馬が引き出され、カコンカコンと蹄鉄が石畳を踏む音をベッドの中で聞くのは、なんとも幸せな目覚め方だ。

 馬場でのレッスンはマンツーマンで、調馬索を使ったフォームの矯正なども合わせ、結構みっちり。バリ人のインストラクターは2人とも熱心で、しかも親切。

 海岸での外乗は、年末でビーチにやや人が多く、先回ほど思いきりというわけにはいかなかったが、それでも気分よく走れた。

 リゾートにはオープンエアのレストランもあり、東京の上等なホテルのダイニング並の料理が食べられる。ボルネオではお目にかかれないレベルの洗練されたイタリアン&フレンチは本当においしく(値段は東京の6から7分の1)、夕食は毎晩ここでとったがあきなかった。

 つれは5日間毎朝のレッスンと、1回たっぷり3時間半の外乗で、筋肉痛のガニ股歩きをしていた。それでも、乗馬の後はプールサイドでビールを飲みながらMacでネットサーフィンしつつ、「最高のヴァケーション」と満足そうだった。

 このリゾートは、オープンエアのレストランの席でも、プールサイドのテーブルでも、どこに行っても「馬の匂い」がする(笑)。動物好きでなければ滞在できないのは間違いない。

 全体が緑の庭園のような敷地には、馬だけでなく犬もごろごろしていて、見かけた子犬たちを手を差し出せば、転げるように走って甘えに来る。私的にはなんとも幸せな空間だった。

                  ☆

 たっぷり遊んだら、仕事に戻るのも待ちきれない(笑)。

                  ☆

Umalas Equestrian Resort

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February 27, 2007

バリ島で乗馬

 バリ島全般やハートチャクラ・アストラル文化については2月25日配信の『ヒーラー&アルケミスト』の方に書いているので、ここでは別の話をしておこうと思う。

 学生たちやメールマガジンの読者には既知だが、私は「馬バカ」のカテゴリに入る。

 父親が若い頃に障害馬術競技のアマチュア選手で、大きな大会で何度も入賞するほどの腕前だったこともあり、私も5歳くらいの頃から馬になじんでいた。(基本的には、乗馬クラブで父親が練習をしている間、馬の背中に乗せられほうっておかれた。)

 それからかなりのブランクがあったが、一昨年から乗馬のレッスンを再開して、普段は週に2回、4鞍くらい乗る。

 去年、北カリフォルニアで、山や海岸を1日7、8時間、6日間乗り続ける耐久レース的「休暇」に出かけた。その時には、2日目に山道のカーブを駆け上がる時に落馬で捻挫し、翌日腫れ上った足をそのままブーツにつっこんで残りの日程を乗り通すというバカもやっている。

 馬の背中に負担をかけないよう、痛み止めを飲んでぐいとかかとを落とし、ポスティングや急勾配の斜面の体重移動などもやり通したので、帰った時には足首の捻挫はしっかり悪化していた。(痛みが完全にとれたのは最近だが、馬に乗っている間だけは痛みを完全に忘れているというところが、また馬バカのゆえん。) 

 北カリフォルニアでのことは、メールマガジンの2006年7月配信号に詳しく書いているので、ここではバリでの話。

 「バリ島で乗馬」というのは意外なようだが、前から「乗れるらしい」という情報をつかんでいたので、現地に入って施設を探した。で、なんとドイツ人オーナーの乗馬スクールで、海岸での外乗も可というのを発見。

 「十台の頃に手ひどく落馬して以来、乗っていない」と、これまで乗馬につきあうのをかわしてきたパートナーをひっぱり、出かける。私としては「バリの海岸で乗馬」というロマンチックな設定を、若い頃の馬トラウマを克服してもらう絶好の機会と踏んだ(笑)。

 緑の稲田の中に立つ、白いバリ・ヨーロピアン・スタイルの建物。しっくい作りの厩舎には、30頭あまりの馬がいる。よく手入れされ、鍛えられているのが見てとれる。

 連れには初心者用という栗毛、私には経験者用の黒鹿毛の馬が選ばれ、バリ人のガイドと外に出る。白黒まだらのピントに乗ったガイドは、いかにもバリ風の穏やかな笑顔のおじさんで、片手で手綱を持ち、片手を腰に当てたウェスタン・スタイル。

 早朝のまだ涼しい稲田を通り、閑静な住宅街をくぐり抜け、やがて人気のない海岸に出る。しばらく試し走りをした後、「じゃあ、好きに走っていいよ」という。

 軽く足で合図を与えると、黒鹿毛は滑らかに走り出す。連れのことがあるので、しばらく速歩と短い駈歩を繰り返したが、連れを乗せた穏やかな雌の栗毛は驚くほどマイペース。のんびり適当なスピードでついてくるが、決して一定以上に速度を上げない。

 連れもさすがに中国武術で鍛えた足腰の強さとバランス、なかなかの安定した乗りっぷりで、駈歩に揺られながら「乗馬がこんなに楽しいとは知らなかった!」と満面の笑顔。

 そんな感じでしばらく海岸を走り、調子の出てきたところで少し速度を上げると、馬の方でも気分が高揚してきたらしい。みるみる速度を上げて、連れやガイドの馬を後に残し、走る走る。

 どこまでも続く海岸を風を切り、こんなに思いきり駈けたのは久しぶりで、最高に気分がいい。

 しばらくして遠くに人の姿が見えたので、速度を落とそうとするが、興奮した黒鹿毛は言うことを聞かない。さきほどまでのおりこうさんぶりはどこへやら、しばらく手綱の引き合いの末、ようやく足を止めさせる。

 追いついてきたガイドは、相変わらずののんびりした笑顔で言った。

 「その馬は競走馬だからねー。走り出したら止まらないかもしれないけど、砂の深いところに誘導するといいよ。砂に足を取られて、速度が落ちるから」

 そいうことは、先に言っておいてください。

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[バリ島で外乗(リタイアした競走馬) おうゆい (C) 2007]

 

 

 

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January 08, 2006

ちわわのゆめ

 12月のオープンレクチャーで、動物の魂について話をした。その中で、動物の夢についてもちょっと触れた。

 年末に実家に立ち寄り、両親の飼っているわんぱくチワワと遊んでやった。
 チワワが遊び疲れ、毛布の上で寝息を立て始めたので、小さな胸にそっと耳をつけて、どんな夢を見ているのか、確かめてみた。

 夢の世界は、アストラル界とつながっている。
 そこでは、人間も動物も、自分の内的な世界と外の世界が、一つになる。

 アストラル界独特の風景というのがある。
 すべての色合いが不思議な鮮やかさと、輝きに満ちている。この世界の光は太陽の光ではなく、ものの内側から発せられる輝きだ。
 どこまでも続く、チワワの肩ほどの草丈の草原。
 たくさんのチワワがいて、群れになって蝶々や小鳥を追いかけたり、お互いにじゃれ合っていた。

 チワワはその大きさからもずいぶん特殊な犬種なので、そうか、もっとみんな他のチワワたちといっしょに遊ぶ機会が欲しいのだなと思った。

 それにしても、この光景はずっと頭に残ってしまいそうだ(笑)。

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November 05, 2005

海の生物の保護、Sea Shepard(海の牧者)の活動

 何年か前に、ガラパゴスでダイビング・ボートに泊まり込んでいた時、昼休みに海を見ていると、シー・シェパードの船が通りがかった。おそらく、ガラパゴス海域の違法なサメ漁を取り締まる任務を帯びた船だったろう。

 ポール・ワトソン船長に率いられ、「海の生き物を守るためならば命も賭ける男(そして女)たち」の存在は、違法漁業や捕鯨関係者の間で嫌われている。迅速な活動、逞しい行動力、そしてそれらが、潤沢な資金によって支えられている。

 ボランティアとしての現場参加であれ、寄付金を通しての裏方参加であれ、海に対する愛情を行動を通して表現することのできる人々を見るのは、うれしいものだ。

 シー・シェパード(海の牧者)は、クジラやイルカ、カメ、アザラシ他のすべての海洋生物について、保護海域での違法な漁や殺戮の捜査、記録、訴追。それに公的権限を与えられている海域では、国際法やそれぞれの国の海洋生物保護法の順守強制などを行う。まさに、体を張って海の生き物の保護に取り組んでいる。

 1977年に創設されたNGOの非営利団体で、運営、船の管理、必要経費、そして実際の海の現場に赴いての活動も、すべて寄付とボランティアでまかなっている。宣伝活動にお金をかけることもないので、寄付金はきわめて効率よく実際の保護活動に回される。

 毎年、日本は捕鯨船を南極に送り出す。保護海域であるはずの南極の海で、絶滅に瀕しているミンククジラやイワシクジラなどのクジラを400頭、殺すためだ。これは明らかに国際捕鯨条約や南極の自然保護条約など、複数の国際法に違反するのだが、「法律の強制手段と資金の欠如」を理由に、それを止めようとする国も組織もなく、違法な捕鯨はこれまで放置されてきた。

 これに対してシーシェパードは、ワトソン船長率いる船と45人のボランティア乗員を南極に送り、保護海域での違法な捕鯨を阻止する準備に入っているが、そのための追加の資金(船の燃料費)や、船に積み込むための資材などの援助を必要としている。

 シーシェパードのウェブサイトには、船のメンテナンスに使う工具や機械油、浄水器のパーツなど、細々とした「Wish List(欲しいものリスト)」が掲載されているが、船に積み込む食料の項に、野菜や豆のスープの缶詰、クラッカーやクッキーなどと並んで「トーフ(豆腐)」とあるのが泣ける。

 日本の捕鯨擁護論者はしばしば「アメリカ人は牛を食うくせに我々がクジラを食う権利を奪うのか」と騒ぐ。しかしアメリカで最も行動力に富む(過激な)クジラや動物保護の活動家はベジタリアンなのだ。

一人一人にできること

・捕鯨産業、フカヒレ産業、アザラシの毛皮産業に一切お金を出さない、回さない

・子供たちに、クジラやイルカは高い知性と感情のある動物であることを教える

・魚やサメを含む海の生物は賢明に保護していかななければどんどん数が減り、回復までに何十年もかかるか絶滅してしまうことを知り、それに応じた行動をとる。

 見栄張りのグルメでフカヒレを食べて喜んでいるなど、もっとも愚かしい行為の一つ。3枚の小さなヒレをとるために、サメ1頭が殺される。ナマコでさえも海底の浄化機能を司っており、ナマコが乱獲された海はただちに汚れ始める。

・シーシェパード・ジャパン http://www.seashepherd.org/japan/

「かわいいと思うだけでは十分ではない。かわいそうと思うだけでも十分ではない。愛を行動に移そう!」



(2010年2月13日追記)

 私は動物解放戦線(ALF)に寄付を送っていたような人だから、利潤追求のために行われる動物への虐待行為に対する実力行使に抵抗はない。

 シーシェパードの隊員が自分の体をはって海の動物を保護する姿勢も、すばらしいと思う。

 しかし、実力行使と無差別的暴力の間には違いがあるし、実力行使と無思慮な行為の間にも一線がある。

 シーシェパードを長年支持してきたからこそ、「海の牧者」の名前に恥じないよう、理念に忠実に、そして賢明に効率よく活動して欲しいと思う。

(2010年7月13日追記)

 メキシコ湾の原油流出現場とか明らかに緊急の対処が必要と思われることに反応がなく、地中海で「網に捕らわれていたマグロを解放」とかいったことに貴重なリソースを割く現時点でのシーシェパードのあり方に疑問があり、長年の支援者だったが、他の現実的行動を行っている団体に支援先を移した。

 私はマグロなんて食べなくてもいいし、スシや刺し身が明日突然地上から消しても別に困らないが、しかしメキシコ湾での深刻な状況を無視して、このリソースの向け方はおかしいと思う。

 海の動物保護という本来の理想と理念の復活を祈ります。

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July 25, 2005

師匠の家は動物園

 私のヒーリングの師は南カリフォルニア在住だ。ご主人はロスで青少年向けの空手スタジオを開いていた人。そのご主人からウェイトトレーニングのレッスンを受けるため、師匠のところにしばらく滞在した。

 私の動物好きは並ではないが、師匠のそれも並ではない。

 到着した最初の晩、師匠宅に足を踏み入れると、淡褐色のグレーハウンドが迎えに出た。半年ほど前に、グレーハウンド・レスキュー(ドッグレースからグレーハウンドを助け出すグループ)から引き取られてきたという犬だ。

 しゃがんで挨拶をすると、ぺろりと鼻をなめられた。「あらまあ」と師匠が驚く。この子は普段、人の顔をなめることをしない犬なのだそうだ。

 さらに二匹のアビシニアン猫たちが足下にすり寄ってくる。

 師匠はリヴィングで小さなオウムをかごから出すところだった。

 「4週間前にね、野生のオウムの巣から落ちたのを拾ってきたのよ」

 もとの巣を探して戻すことができなかったので、そのまま引き取って育てているという。ちびオウムを台所につれて行き、餌を食べさせ始める。

 もう一羽、昔からいる大きなオウムが、居間の向こうからこちらを見ている。

 「蛇は元気ですか。パイソンだったかな」

 「パイソンは少し前に死んだわ。今いるのはコーンスネーク(ナミヘビ)ね」

 アビシニアンはエジプト系の猫だが、一昨年まで、バセンジというエジプト系の犬もいた。師匠の趣味はエジプトとヒョウ柄だ(いや、エジプト学の研究者でもあるから、趣味などといってはいけないのだが)。

 このグレーハウンドも、首にヒョウ柄のネックバンドをしている。

 私はこの7年がた、グレーハウンドのレスキュー・グループを支援してきた。将来の夢も、救出されたグレーハウンドを何匹か(できれば1ダースくらい)引き取って飼うことだが、実物のグレーハウンドを見るのは実は初めて。見たこともない犬種になぜここまで入れ込んでいるのか、ずっとわからなかった。

 ヒョウ柄のクッションに寝そべるグレーハウンド。ぴんと耳を立てたその細表の顔... そのシルエットは、エジプトの犬頭の神アヌビスにそっくりだ。ついでに目のまわりにはエジプト風の黒い隈取りまで入っている。

 「そうよ、アヌビスはグレーハウンドよ。グレーハウンドの姿はエジプトやローマの壁画にも残ってるわ」

 アヌビスはエジプトの神々の中でも私がとくに好きな神様だ。小学校の頃に百科事典の写真を見て、しきりにアヌビスの姿を模写していたのを覚えている。グレーハウンドへの愛着はこんなところにつながりがあったか。

 夕食の後、師匠とグレーハウンドと散歩に出た。

 耳の内側に刻まれた入れ墨によれば、この子は3歳。それそろレースの盛りを過ぎ、レスキュー・グループに助けられていなければ、殺されていたところだった(「グレーハウンドを救え」)。

 だが、今、彼女は優しい保護者のもとにある。そしてその余生をゆったりと幸せに過ごせるだろう。

 夕暮れの学校の広いグラウンド。日暮れの光の中を風のように駆けるグレーハウンドの姿は、美しかった。

 翌日、まっ白なグレーハウンドが連れられてやってきた。後ろ足にはギプスが巻かれている。レース中に足を骨折し、そこをレスキューグループに引き取られてきた犬だ。骨折をしたグレーハウンドは、ただちに処分の対象になる。

 この子の里親がしばらく留守にするため、師匠宅で子守りを引き受けたのだという。

 とても人なつこい性格で、一生懸命こちらの顔をのぞき込み、ぴったり体を寄り添わせて甘えてくる。本当に過酷な生を歩んできた犬なのに、どうしてこんなに人を信頼し、こんなに愛情深いのだろうと切なくなる。

 その夜は師匠と私で、ハンズオン・ヒーリングをした。起きかかっている炎症を抑えるためにリンパ系を浄化し、骨折の治りを早くするため、骨にもたっぷりエネルギーを入れる。

 適切なハンズオン・ヒーリングは、骨折のような怪我の治癒時間を最大、半分にまで縮めることができる。

 (そう、私がウェイトトレーニングのレッスンを受けているのは、健康管理という以上に、ヒーラーとしての腕を上げるためである。)

 翌朝には白いグレーハウンドは驚くほど元気を取り戻し、熱も下がって、ギプスをものともせずに家や庭を歩き(時に走り)回るようになっていた。

 その日の午後、トレーニングを終え、カルマヨガとしての庭仕事を終えて、2匹のグレーハウンドと庭に座っていると、師匠が出てきて植物に水をやり始めた。パティオののきからは、たくさんの観葉植物がバスケットに入ってつり下げられている。

 その中の一つ、シダ系の葉っぱが植わっているバスケットに、朝からキジバトが座っていた。キジバト独特ののんびり、まったりした様子で、黒く大きくつぶらな目をくりくりさせてバスケットに納まっている。近づいても逃げる気配もない。

 と、水の出るホースを手にした師匠がそのバスケットの下に立ち、じっと見上げている。

 師匠、それは鳥です。

 しかし師匠、何を思ったか、おもむろにホースをバスケットに向けた。

 鳥はゆっくり立ち上がると、ちょうど小鳥が水浴びをするように羽を広げてぱしゃぱしゃと水を受け、それからまた何事もなかったかのようにちょんと座り込んだ。

 「あっはっはー 鳥に水をやっちゃったよ!」

 師匠の笑い声が響いた。

 翌朝、見ていると、もう一羽のキジバトがやってきて、先にいた鳥と交代してそのバスケットに座った。そうか、卵を産んで温めているのだ。このバスケットを巣にしてしまったのだ。

 そのことを師匠に告げると、やれやれといった顔をした。実はしばらく前に別のキジバト夫婦が他のバスケットを巣にして子育てをしていった後だという。雛がいる間は水をやるわけにいかなかったので、そのバスケットの植物は枯れてしまったらしい。

 「きっとエネルギーレベルで『見捨てられた動物、保護の必要な動物はここに来るべし』なんて看板が立ってるのよね」

 そう言って師匠は笑った。

 
 

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