03. 動物といっしょ

January 17, 2009

バリ島の乗馬リゾート

 12月の来日期間中は、ほぼ休みなしでがむしゃらに働いた(東京で講座 → 個人セッション → 九州大学で講義 → 福岡で講座 → 東京で個人セッション → ハンズオン・ヒーリング科のクラス → ヒーリング・クリニック)。

 その反動という訳ではないが、年越しはバリ島で。私もつれ(パートナー)も、基本的に放っておくといつまででも仕事をしているタイプ。すべてをまったりと穏やかなハート・エネルギーでつつみ、いやおうなしに脳みそを休業モードに引きずりこんでくれるバリは、理想の休養地だ。

 私にとっては5回目のバリ。先回はスミニャックに滞在し、その時、郊外にある乗馬クラブ兼プチ・リゾートを見つけ、そこの手配で海岸での外乗を楽しんだ。(「バリで乗馬」)

 さすがドイツ人のオーナー、たくさんいる馬のよく手入れされていること、調教ぶりのよいことが印象的だった。青々とした稲田の中に立つ、ヨーロピアン・スタイルの白亜の建物を見ながら、「次はここに泊まるぞ」と心に誓ってバリを去った(笑)。

 幸い、今住んでいるマレーシアとインドネシアはお隣同士。飛行機もほとんど国内線の感覚で、時差もない(実は言葉もマレー語≒インドネシア語)。先回初めて海岸での外乗を経験した「乗馬初心者」のつれも、「集中してレッスンを受けるいい機会」と、馬リゾートでの年越しに同意してくれた。

 (私としては、つれを1日5、6時間の乗馬トレッキングに耐えられるよう、鍛えようともくろんでいる。そのうちインドやチベットの乗馬ツアーに行きたいのだが、僻地のツアーでは「最低人数2名」というところが多いのだ(笑)。)

 バリに馴染みのある人は、日本円に換算した時の相対的物価の安さを知っていると思うが、昨年後半からのインドネシア・ルピアの暴落で、今回はさらにおそろしくお金の使いでがある。(町のスパで、上手なバリ式マッサージが60分400円とか、マッサージ+ルルール+フラワーバスの2時間パッケージが800円とか。)

 リゾートの宿泊に乗馬レッスンと海岸での外乗を合わせたパッケージも、日本の物価からは目をみはる安さだ。

 敷地の裏手には、レッスン用の馬場(野外・屋内)と、馬装や手入れをするためのエリアがある。客室のある建物は1階がたくさんの馬房に仕切られ、2階が客室で、つまりベッドルームの下に馬たちがいる。

 嵐の夜には、馬たちがずっと落ち着かなげに音を立てていることもあった。

 しかし、毎朝早くから馬が引き出され、カコンカコンと蹄鉄が石畳を踏む音をベッドの中で聞くのは、なんとも幸せな目覚め方だ。

 馬場でのレッスンはマンツーマンで、調馬索を使ったフォームの矯正なども合わせ、結構みっちり。バリ人のインストラクターは2人とも熱心で、しかも親切。

 海岸での外乗は、年末でビーチにやや人が多く、先回ほど思いきりというわけにはいかなかったが、それでも気分よく走れた。

 リゾートにはオープンエアのレストランもあり、東京の上等なホテルのダイニング並の料理が食べられる。ボルネオではお目にかかれないレベルの洗練されたイタリアン&フレンチは本当においしく(値段は東京の6から7分の1)、夕食は毎晩ここでとったがあきなかった。

 つれは5日間毎朝のレッスンと、1回たっぷり3時間半の外乗で、筋肉痛のガニ股歩きをしていた。それでも、乗馬の後はプールサイドでビールを飲みながらMacでネットサーフィンしつつ、「最高のヴァケーション」と満足そうだった。

 このリゾートは、オープンエアのレストランの席でも、プールサイドのテーブルでも、どこに行っても「馬の匂い」がする(笑)。動物好きでなければ滞在できないのは間違いない。

 全体が緑の庭園のような敷地には、馬だけでなく犬もごろごろしていて、見かけた子犬たちを手を差し出せば、転げるように走って甘えに来る。私的にはなんとも幸せな空間だった。

                  ☆

 たっぷり遊んだら、仕事に戻るのも待ちきれない(笑)。

                  ☆

Umalas Equestrian Resort

(今サイトをチェックしたら、パッケージが大幅値上げになっていた...。しかし馬好きなら、ここに滞在するだけでもバリに行く価値がある、と断言します)

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December 25, 2007

アニマル・ヒーリング・サークル

Fox














(「女神の狐」(水彩)王由衣 (C) 1995)

アニマル・ヒーリングサークルの背景

 私がずば抜けた動物好きであることは『アネモネ』などの雑誌に書いてきたこともあり、ワークショップに来る人にも知られていますが、動物を愛するということは同時にその病や死とも関わりながら生きることです。

 私自身、子供の頃からたくさんの動物たちとともに過ごし、その病気や事故、死にも直面し、心を痛め、時につらい決断を迫られ何度も涙を流しながら、同時にその経験によって生きることの意味をより深いレベルで教わり、成長させてもらってきました。

 動物たちと関わってゆくこと、そして人間と動物たちの間の絆を癒し、人間が動物たちとの絆の意味を理解し、彼らからの贈り物を最大限に受け取り、学んでいくための手助けをすることは、私のライフワークの一つです。

 ここから1997年、最初の「動物と人間の絆を癒すヒーリング・イヴェント」が生まれました。

 参加者の様々な質問に答え、動物の種を統合するデーヴァの口からは人間中心の視点とは異なる動物の側の視点から、生の意味が深い尊厳をもって語られ、その時の空間を満たしたパワフルなエネルギーとともに、参加者に深い影響を与えました。

 以来、数回におよぶこのシリーズのワークショップやヒーリングイヴェントを通して、参加する人間と動物たち(肉体をもっているものもエネルギーレベルに存在するものも)、そして動物のデーヴァや守護天使などのエネルギー存在たちの協力によって作りだされ積み重ねられてきたエネルギーレベルの「器(うつわ)」があります。

 それはこれらのイヴェントに参加したすべての人たちの開かれたハートから流れ出る愛、祈り、自らの生を通して人間たちを導く動物たちの知恵と勇気、それを支えるデーヴァやネイチャースピリットたちのエネルギーなどすべての集積です(これはエネルギーのレベルではまばゆく虹色に輝く光の柱を形成しています)。


ヒーリング・サークルの仕組み

 古来から幾つもの文化により受け継がれてきた癒しの伝統に、「Prayer Circle(祈りの輪)」があります。これは重い病気などエネルギーレベルで特別なサポートを必要とする人を中心に、参加者が輪(サークル)を作り、祈りを通して癒しや支えのエネルギーを送るものです。

 善意ある他者による祈りのエネルギーが病人の癒しにポジティヴな効果を与えることは、最近ではラリー・ドッシー医師を筆頭とするリサーチプログラムなどによっても明らかにされています。

 この伝統と方法論を応用し、さらに動物のヒーリングのデーヴァとパーン(牧神、自然神)、動物の守護天使やネイチャースピリット(自然霊)たちからの支えを加え、形成されるエネルギーレベルのネットワークが「アニマル・ヒーリング・サークル」です。

 アニマル・ヒーリング・サークルは、上記の過程によって築かれてきた器を土台に、プレヤー・サークルの形式を用い、定期的に助けを必要とする動物たちのために支えとエネルギーを送り届けます。

 ひとたび意識的に形成され確立されたエネルギーレベルの器は、意識的に壊されない限り存在し続けるのですが、月に1度、日にちと時間を決めて、参加を希望するすべての人が自分の祈りと癒しのためのエネルギーをこのサークルに送ることでその力は増します。

 同時に必要な人が同じ時間にこのサークルにアクセスし、助けの必要な動物の存在を指し示し、援助を以来することで、サークルの網を通して直接エネルギーを送るか、エネルギー存在たちの助けを借りて、必要な動物たちのところへ届けてもらうことができます。

 現在肉体を持っている動物、すでに肉体を去っている動物のすべてが祈りを送る対象になります。また動物との悲しい別れを経験したり、病気の動物の世話をするなどの状況で、支えを必要としている人も、他の同じように動物を愛する人たちからの愛のエネルギーに自己のハートを開くことで、エネルギーを受けとることができます。

 すでに多くの方々から、ヒーリングサークルに加わることで、同伴動物たちに変化が起きたり、癒しの支えとしての効果が見られたとの報告が入っています。


エネルギーワークの基礎知識

 エネルギーは意図の力によって動き、流れるエネルギーの量は本人のグラウンディングの度合いとエネルギーレベルの器の許容量により、質は本人の動機と意識の明晰度、ハートの開かれ方に左右されます。

 このような形のエネルギーワークに参加し、また最大限の効果を受けとるためには、普段からグラウンディング(しっかりと肉体の中に存在する能力)を鍛え、集中力を高め、自己を内省して明晰さと動機の純粋さを保つ生き方を心がけ、実行することが必要です。

 アニマル・ヒーリング・サークルはパワフルなエネルギーワークですが、人間レベルの個々の参加者の意図の明晰さ、ハートの開かれ方、エネルギーの容量が、エネルギー存在たちから得られるサポートのレベルとパワーをも規定します。

 また、このサークルに参加する人は、エネルギーレベルだけでなく、物質レベルでも何らかの形で動物たちのための行動を少なくとも一つ、自己の生活で実践することを勧めます。

 動物保護団体や動物愛護協会への定期的寄付、ヴォランティア、その他、方法はたくさんあります。

 内面の祈りと外面の行動を一致させることは、とくにライトワーカーとして道を歩むための大切な条件です。

☆ 日本で良心的な動物愛護活動を行っている団体 → (社)日本動物福祉協会 http://www.corcocu.co.jp/JAWS/ しっかりした動物保護の哲学に基づき運営され、地道かつ堅実に活動を行っています。


デーヴァたちからのメッセージ

ヒーリングのオーヴァーライティングデーヴァ

 「ここに表現されたヒーリングの本質についての見方は、基本的に正確だ。考えてもみたまえ。もし動物と人間との間に共有されるものがなければ、どうやって両者の間にヒーリングが起こるだろう? 共有されるもの? それは生命の土台であり、その中を流れまたそれを支える宇宙の普遍的法則だ。

 人よ、動物たちを助けたいと望むか? 自らと他生命との関係を、また母なる地球との関係を癒したいと? ならばまず自らを癒せ。他者を癒すのは行為を通して行なわれるものではない。行為はしばしば必要だがそれだけでは十分ではない。癒す力の本質にあるのは、存在の状態そのものだ。自らの存り方を通し、生命レベルの共鳴現象を通して、相手の中にある生命の本質との間につながりを結び直すのだ。

 人間という種の特質について考えてみるがいい。人間とは自由意志を持ち理性を通して自然法則から乖離し得る能力を持つ生命形態のこと。そして乖離能力があるのには理由がある。つまり、いったん「離れる」ことを通してのみ「帰る」ことを学ぶことが可能になり、そして初めて意識的な一体化が可能となる。法則から離れたことがなければ帰るということもわからないし、意識的な形で存在することもできない。そして人間が他の生命に与えることのできる最大の贈り物は、法則への意識的な帰順を通して形作られる。鍵は「意識的」ということだ。

 そしてそのための最高の道具を人間は備えている。すなわち、あらゆるエネルギーと存在のレベルにアクセスする能力だ。能力の土台はすでにそこにある。必要なのは意識的な形でそれを3次元の地球レベルの自我に統合することだけだ。これが巷で言われているアセンションということの本質なのだよ。

 このような形で人間がフルに自己を開くこと----これが人類がこの時代、この惑星において義務と責任を果たすための鍵であり条件だ。これがなされた時には、現時点では限られた人間との間にしか意識的に開かれていない人間とエネルギー世界とのコミュニケーションが、大多数の人に開かれることになる。遠い先ことだと思うか? だが、これがなされることが必要なのだ。仲介なしに、望むすべての人間が情報の源にアクセスし、またデーヴァの世界との共同作業に参加することが、水瓶座時代が顕現するために必要だ。」


生と死の巡りを司るデーヴァ

 「死とは、収穫の時期だ、と考えてみるがよい。生命が物質世界に形をとり、育ち、経験を積み重ね、そうしてたくさんの煩雑な経験をより分け、もっとも本質的な学びと智恵の精髄(エッセンス)を手に、次の成長段階へと旅立つための、その中継ぎ地点でもあると。

 あたたかな思い出、幸せの経験を、もう一度味わい直し、悔いの残る経験についてはそれがなぜか、今、それを変えることはできないかを振り返り、変えることのできないものは静かに手放し、変えることのできるものは変える最後のチャンスと。

 動物は自らの死の時期を知っている。そうしてそのタイミングを個体の経験と種の智恵を合せもって選ぶ。一見事故死や不測の死と見えるものも、多くは計画と選択によるものだ。だが人間は、とりわけてその動物を愛した人間は、この選択の意図や内容が見えない。そうしてしばしばその死にこだわりまた自らを責め、学ばれるべきレッスンは取り残されることになる。

 人よ。生を選んだその時点で、すべての生命は同時に、死を受け取ることに同意しているのだ。どうして自らの種のみが死について考え理解することができると考える? むしろ生命の智恵から切り離されていない動物たちは、よく死ぬことをも忘れていない。だがその過程、とりわけ病気が関る際に、その死の旅路を難しくするのは、人がその動物の生と死に込められた意味を読み取れない時だ。あるいはささいなことにばかり、自分の感情を投影し過ぎ、本質的なテーマを見落とす時だ。

 今も心を去らぬ動物との別れがあるだろうか。悲しい思い、つらい思い、また悔しい思いがあるだろうか。ならば、もう一度その思い出を訪れ、何が本質的なメッセージだったのかを自らに訊ねつつ、経験を再体験してみるがいい。

 自らのいたらなさから来る後悔? 後悔せよというのはその動物からの本質的なメッセージではなかったはずだ。わかっていながらするべきことをしなかった、そのような時に後悔の念は生まれる。ならば、メッセージは、自らの直感を信じ、なすべきことは実行せよ、ということだ。次にそのような場面に出会ったなら、同じ間違いを繰り返すな、ということだ。「こうしてあげることができたなら」と悔いるなら、次には悔いずにすむように、今目の前にいる生命に感じたままに愛情を注ぎ、ともに満ち足りて生きよ、ということだ。

 動物は生命の本質的な智恵に満ちている。だが彼らは言葉を通しては語らない。かわりに自らの体を、行動を、生と死を通して語る。そのような形で語られる智恵に耳を傾けよ。

 そうして痛みを、悲しみを恐れるな。愛する限り、深く感じる限り、これらはついてまわるもの。生が死と切り離されては存在しないように。愛さなければ、愛するものを亡くす悲しみも経験しないだろうが、それは死を恐れて生まれてくることを避けるようなものだ...」


ヒーリング・サークル

参加の手順

 邪魔の入らない静かな場所で一人、または友達とともに、ろうそくをともします。電気はつけたままでも消しても構いません。

 声を出して、あるいは意識を通して、動物のヒーリングのデーヴァとパーン(牧神、自然神)に、アニマル・ヒーリング・サークルに自分の高い自己と同居動物の高い自己をつないでもらうよう依頼します。動物のいない人は、自分だけをつなぎます。

 ヒーリングサークルに向けて、動物たちへの愛と感謝の気持ちや、動物と人間の関係に癒しがもたさられるようにとの祈りを送ります。同時に必要な人は自分の同居動物、あるいは他の癒しや支えを必要としている動物にエネルギーが送られるよう依頼します。

 エネルギーの網を通して直接、あるいは祈り手と直接個人的な関係のない動物の場合にはエネルギー存在たちの援助で、サークルのエネルギーが届けられます。

 時間がきたらアニマルヒーリングのデーヴァとパーン、動物とそのデーヴァたち、すべての参加者にお礼を言い、サークルとのつながりを閉じます。サークルとのつながりはそのままにせず、必ずいったん閉じてください。


スケジュール

毎月第2金曜日、いずれも日本時間夜11時〜11時半の間。


動物のヒーリング・セッション

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October 16, 2007

ヒーリング・セッション(動物)

動物のヒーリング・セッション

☆ ヒーラーのプロフィール

☆ このブログの「動物と一緒に」のカテゴリも

 訓練されたヒーラーは、ハンズオン・ヒーリングや遠隔ヒーリングを通して、クライアント(依頼者)が心身のバランスをとり戻し、病気や怪我からの回復が速やかでスムーズなものになるようサポートします。

 そして人間と同じように動物たちも、ハンズオン・ヒーリングや遠隔ヒーリングから効果を得られます。

 こよない動物好きである私は、1995年にヒーラーとして仕事を始めて以来、動物のクライアントを受け入れてきました。

 現在は教育活動の方に多くの時間とエネルギーを向けているため、臨床活動に向けられる時間は少なくなっていますが、ヒーリングのセッションは続けており、動物のクライアントも変わらず引き受けています。

動物のヒーリング・プロセス

 人間と同居している動物のヒーリング・プロセスには、幾つかつのパターンがあります。

(1)病気や怪我がシンプルに動物自身の体の問題である場合

 この場合には、動物は人間よりもはるかによくヒーリングに反応します。1回のヒーリングで、驚くほどの効果が得られることがままあります。

(2)動物が、同居する人間を感情的、エネルギー的に支えることに自分のエネルギーを使っている。そのために動物自身の生命エネルギーが慢性的に低下し、病気がちだったり、なかなか回復が進まない場合。

 この場合には、動物だけがヒーリングを受けても、大きな変化が見られなかったり、効果の出方が「三歩進んで二歩下がる」的になります。

 例 動物が、家族内の葛藤の緩衝役になり、大きなストレスを経験している。あるいは、ばらばらになりかけている家族を一つにまとめようとして、心身をすり減らしている場合など。

 動物のエネルギーのロスを防ぎ、動物自身の体の回復にエネルギーを向けることができるようにするために、人間の側で自分自身の問題や家族内の問題などを見つめ、必要に応じてヒーリングやカウンセリング、フラワーエッセンス療法などのサポートを受けることが必要になってきます。

(3)同居する人間の感情面での問題を、動物が行動化している場合。

 同居している人間が、自分自身の感情面での悩みや問題、葛藤などに気づかず、抑圧している場合や、家族内に抑圧された無意識の葛藤や感情の問題がある。動物はこの無意識のエネルギーに反応し、それを問題行動として表現している。

 例 人間の抑圧された怒りを、犬が吠えたり噛みつくことで表現するなど。

 動物の問題行動の悩みでは、これが当てはまるケースが多くあります。この場合は、何よりも人間の方が心理療法やカウンセリング、ヒーリング、フラワーエッセンス療法などを通して、問題に気づき、解決してくことが優先になります。

 (2)と(3)のケースでは、人間と動物の二人三脚で、時間をとってヒーリングを進めていくことが必要です。また、人間と動物にそれぞれ別のヒーラーやフラワーエッセンス・プラクティショナー、人間の場合は心理療法士がつくことが理想的です。

遠隔ヒーリングとハンズオンの違いは?

 私自身の臨床経験からは、動物のヒーリングで、遠隔とハンズオン・ヒーリングの治療効果に差はありません。ハンズオンで効果のでるものは、遠隔でも効果があります。

 動物は人間よりもエネルギーにはるかに敏感です。

 とくに猫などは、セッションの時間前になると、何かを待つようなしぐさをしたり、ひとりで静かな場所にもぐりこみ、セッションが終わる頃にさっぱりした様子で出てくるといった体験談を聞きます。

動物の遠隔ヒーリング・セッション

 セッションを希望する人は、次の要領で問い合わせてください。

(1)病気症状がある場合には、まず獣医師の診断を受けさせてください。

(2)セッション申込みのメールに、診断および治療の内容を書き添えてください。動物クライアントの病状とセッションを必要とする理由、獣医の診断があればその内容などを簡単にメール。必ず写真も添付してください。 → office-lifeschool@blue.nifty.jp

<重要> 重い病気の場合には、ヒーリングセッションと平行して必要な医療処置を継続してください。ヒーリングを受けることを理由に、症状の改善を見る前に、相談なしに獣医師の治療を中止しないでください。

(3)(遠隔)ヒーリング・セッションで効果が出せると判断された場合、折り返しセッション日時を通知します。旅行スケジュールなどにより、返信までに2〜3週間かかることもあります。

 また、(遠隔)ヒーリングが適切ではない、あるいは他のヒーラーやプラクティショナーとのセッションが望ましいと判断された場合は、そうお知らせします。

 セッション予約の確認メールを受け取ってから、セッションの前日までに、セッション費を振り込んでください。

(4)当日

 セッション時間は30分です。この間、動物には、邪魔されずに静かに休める環境を作ってあげてください。人間の方はとくに何もする必要はありません。

 動物の健康はしばしば、同居する人間の心理・感情面での健康と関係があります。ケースによっては、人間の方自身が他のヒーリング、心理療法やカウンセリング、フラワーエッセンス療法などを受けることを勧める場合があります。

(5) フォローアップのため、セッションから1週間後に、動物の状態をメールしてください。

 病気症状があって相談された場合は、セッションから しばらくおいて再び獣医師の診察を受け、診断内容をメールしてください。

 継続してセッションを希望する場合は、書き添えてください。

メール先  office-lifeschool@blue.nifty.jp

セッション費用

  遠隔(30分)  8千円

動物のハンズオン・ヒーリング・セッション

 来日時に動物向けのセッション枠がある場合には、このブログで告知されます。

*「ヒーリングってなに?」という人は、まずこちらの本を通読してください。

・ロザリン・ブリエール 『光の輪』


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February 27, 2007

バリ島で乗馬

 バリ島全般やハートチャクラ・アストラル文化については2月25日配信の『ヒーラー&アルケミスト』の方に書いているので、ここでは別の話をしておこうと思う。

 学生たちやメールマガジンの読者には既知だが、私は「馬バカ」のカテゴリに入る。

 父親が若い頃に障害馬術競技のアマチュア選手で、大きな大会で何度も入賞するほどの腕前だったこともあり、私も5歳くらいの頃から馬になじんでいた。(基本的には、乗馬クラブで父親が練習をしている間、馬の背中に乗せられほうっておかれた。)

 それからかなりのブランクがあったが、一昨年から乗馬のレッスンを再開して、普段は週に2回、4鞍くらい乗る。

 去年、北カリフォルニアで、山や海岸を1日7、8時間、6日間乗り続ける耐久レース的「休暇」に出かけた。その時には、2日目に山道のカーブを駆け上がる時に落馬で捻挫し、翌日腫れ上った足をそのままブーツにつっこんで残りの日程を乗り通すというバカもやっている。

 馬の背中に負担をかけないよう、痛み止めを飲んでぐいとかかとを落とし、ポスティングや急勾配の斜面の体重移動などもやり通したので、帰った時には足首の捻挫はしっかり悪化していた。(痛みが完全にとれたのは最近だが、馬に乗っている間だけは痛みを完全に忘れているというところが、また馬バカのゆえん。) 

 北カリフォルニアでのことは、メールマガジンの2006年7月配信号に詳しく書いているので、ここではバリでの話。

 「バリ島で乗馬」というのは意外なようだが、前から「乗れるらしい」という情報をつかんでいたので、現地に入って施設を探した。で、なんとドイツ人オーナーの乗馬スクールで、海岸での外乗も可というのを発見。

 「十台の頃に手ひどく落馬して以来、乗っていない」と、これまで乗馬につきあうのをかわしてきたパートナーをひっぱり、出かける。私としては「バリの海岸で乗馬」というロマンチックな設定を、若い頃の馬トラウマを克服してもらう絶好の機会と踏んだ(笑)。

 緑の稲田の中に立つ、白いバリ・ヨーロピアン・スタイルの建物。しっくい作りの厩舎には、30頭あまりの馬がいる。よく手入れされ、鍛えられているのが見てとれる。

 連れには初心者用という栗毛、私には経験者用の黒鹿毛の馬が選ばれ、バリ人のガイドと外に出る。白黒まだらのピントに乗ったガイドは、いかにもバリ風の穏やかな笑顔のおじさんで、片手で手綱を持ち、片手を腰に当てたウェスタン・スタイル。

 早朝のまだ涼しい稲田を通り、閑静な住宅街をくぐり抜け、やがて人気のない海岸に出る。しばらく試し走りをした後、「じゃあ、好きに走っていいよ」という。

 軽く足で合図を与えると、黒鹿毛は滑らかに走り出す。連れのことがあるので、しばらく速歩と短い駈歩を繰り返したが、連れを乗せた穏やかな雌の栗毛は驚くほどマイペース。のんびり適当なスピードでついてくるが、決して一定以上に速度を上げない。

 連れもさすがに中国武術で鍛えた足腰の強さとバランス、なかなかの安定した乗りっぷりで、駈歩に揺られながら「乗馬がこんなに楽しいとは知らなかった!」と満面の笑顔。

 そんな感じでしばらく海岸を走り、調子の出てきたところで少し速度を上げると、馬の方でも気分が高揚してきたらしい。みるみる速度を上げて、連れやガイドの馬を後に残し、走る走る。

 どこまでも続く海岸を風を切り、こんなに思いきり駈けたのは久しぶりで、最高に気分がいい。

 しばらくして遠くに人の姿が見えたので、速度を落とそうとするが、興奮した黒鹿毛は言うことを聞かない。さきほどまでのおりこうさんぶりはどこへやら、しばらく手綱の引き合いの末、ようやく足を止めさせる。

 追いついてきたガイドは、相変わらずののんびりした笑顔で言った。

 「その馬は競走馬だからねー。走り出したら止まらないかもしれないけど、砂の深いところに誘導するといいよ。砂に足を取られて、速度が落ちるから」

 そいうことは、先に言っておいてください。

Bali_horse1mini



 

 

 

 

 

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January 08, 2006

ちわわのゆめ

 12月のオープンレクチャーで、動物の魂について話をした。その中で、動物の夢についてもちょっと触れた。

 年末に実家に立ち寄り、両親の飼っているわんぱくチワワと遊んでやった。
 チワワが遊び疲れ、毛布の上で寝息を立て始めたので、小さな胸にそっと耳をつけて、どんな夢を見ているのか、確かめてみた。

 夢の世界は、アストラル界とつながっている。
 そこでは、人間も動物も、自分の内的な世界と外の世界が、一つになる。

 アストラル界独特の風景というのがある。
 すべての色合いが不思議な鮮やかさと、輝きに満ちている。この世界の光は太陽の光ではなく、ものの内側から発せられる輝きだ。
 どこまでも続く、チワワの肩ほどの草丈の草原。
 たくさんのチワワがいて、群れになって蝶々や小鳥を追いかけたり、お互いにじゃれ合っていた。

 チワワはその大きさからもずいぶん特殊な犬種なので、そうか、もっとみんな他のチワワたちといっしょに遊ぶ機会が欲しいのだなと思った。

 それにしても、この光景はずっと頭に残ってしまいそうだ(笑)。

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November 05, 2005

海の生物の保護、Sea Shepard(海の牧者)の活動

 何年か前に、ガラパゴスでダイビング・ボートに泊まり込んでいた時、昼休みに海を見ていると、シー・シェパードの船が通りがかった。おそらく、ガラパゴス海域の違法なサメ漁を取り締まる任務を帯びた船だったろう。

 ポール・ワトソン船長に率いられ、「海の生き物を守るためならば命も賭ける男(そして女)たち」の存在は、違法漁業や捕鯨関係者の間で嫌われている。迅速な活動、逞しい行動力、そしてそれらが、どこからか湧き出るような寄付金によって支えられている。

 ボランティアとしての現場参加であれ、寄付金を通しての裏方参加であれ、海に対する愛情を行動を通して表現することのできる人々を見るのは、うれしいものだ。

 シー・シェパード(海の牧者)は、クジラやイルカ、カメ、アザラシ他のすべての海洋生物について、保護海域での違法な漁や殺戮の捜査、記録、訴追。それに公的権限を与えられている海域では、国際法やそれぞれの国の海洋生物保護法の順守強制などを行う。まさに、体を張って海の生き物の保護に取り組んでいる。

 1977年に創設されたNGOの非営利団体で、運営、船の管理、必要経費、そして実際の海の現場に赴いての活動も、すべて寄付とボランティアでまかなっている。宣伝活動にお金をかけることもないので、寄付金はきわめて効率よく実際の保護活動に回される。

 毎年、日本は捕鯨船を南極に送り出す。保護海域であるはずの南極の海で、絶滅に瀕しているミンククジラやイワシクジラなどのクジラを400頭、殺すためだ。これは明らかに国際捕鯨条約や南極の自然保護条約など、複数の国際法に違反するのだが、「法律の強制手段と資金の欠如」を理由に、それを止めようとする国も組織もなく、違法な捕鯨はこれまで放置されてきた。

 これに対してシーシェパードは、ワトソン船長率いる船と45人のボランティア乗員を南極に送り、保護海域での違法な捕鯨を阻止する準備に入っているが、そのための追加の資金(船の燃料費)や、船に積み込むための資材などの援助を必要としている。

 シーシェパードのウェブサイトには、船のメンテナンスに使う工具や機械油、浄水器のパーツなど、細々とした「Wish List(欲しいものリスト)」が掲載されているが、船に積み込む食料の項に、野菜やスープの缶詰、クラッカーやクッキーなどと並んで「トーフ(豆腐)」とあるのが泣ける。

 日本の捕鯨擁護論者はしばしば「アメリカ人は牛を食うくせに我々がクジラを食う権利を奪うのか」と騒ぐ。しかしアメリカで最も行動力に富むクジラや動物保護の活動家は、ベジタリアンなのである。

一人一人にできること

・捕鯨産業、フカヒレ産業、アザラシの毛皮産業に一切お金を出さない、回さない

・子供たちに、クジラやイルカは高い知性と感情のある動物であることを教える

・魚やサメを含む海の生物は賢明に保護していかななければどんどん数が減り、回復までに何十年もかかるか絶滅してしまうことを知り、それに応じた行動をとる。
 見栄張りのグルメでフカヒレを食べて喜んでいるなど、もっとも愚かしい行為の一つ。2枚の小さなヒレをとるために、サメ1頭が殺される。ナマコでさえも海底の浄化機能を司っているので、ナマコが乱獲された海はただちに汚れ始めるのだ。

・シーシェパードへの寄付
 http://www.seashepherd.org/
国際郵便為替なら
 Sea Shepard Conservation Society
 22774 Pacific Coast Hwy. Malibu, California 90265, USA
クレジットカードなら
 ファクス (アメリカ国番号=1)310-456-2488

「かわいいと思うだけでは十分ではない。かわいそうと思うだけでも十分ではない。愛を行動に移そう!」

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July 25, 2005

師匠の家は動物園

 私のヒーリングの師は南カリフォルニア在住だ。ご主人は空手6段の武道家で、20年近くロスで道場を開いていた。そのご主人からウェイトトレーニングの個人レッスンを受けるため、師匠のところにしばらく滞在した。

 私の動物好きは並ではないが、師匠のそれも並ではない。

 到着した最初の晩、師匠宅に足を踏み入れると、淡褐色のグレーハウンドが迎えに出た。半年ほど前に、グレーハウンド・レスキュー(ドッグレースからグレーハウンドを助け出すグループ)から引き取られてきたという犬だ。

 しゃがんで挨拶をすると、ぺろりと鼻をなめられた。「あらまあ」と師匠が驚く。この子は普段、人の顔をなめることをしない犬なのだそうだ。

 さらに二匹のアビシニアン猫たちが足下にすり寄ってくる。

 師匠はリヴィングで小さなオウムをかごから出すところだった。

 「4週間前にね、野生のオウムの巣から落ちたのを拾ってきたのよ」

 もとの巣を探して戻すことができなかったので、そのまま引き取って育てているという。ちびオウムを台所につれて行き、餌を食べさせ始める。

 もう一羽、昔からいる大きなオウムが、リヴィングの向こうからこちらを見る。

 「蛇は元気ですか。パイソンだったかな」

 「パイソンは少し前に死んだわ。今いるのはコーンスネーク(ナミヘビ)ね」

 アビシニアンはエジプト系の猫だが、一昨年まで、バセンジというエジプト系の犬もいた。師匠の趣味はエジプトとヒョウ柄だ(いや、エジプト学の研究者でもあるから、趣味などといってはいけないのだが)。

 このグレーハウンドも、首にヒョウ柄のネックバンドをしている。

 私はこの7年がた、グレーハウンドのレスキュー・グループを支援してきた。将来の夢も、救出されたグレーハウンドを何匹か(できれば1ダースくらい)引き取って飼うことだが、実物のグレーハウンドを見るのは実は初めて。見たこともない犬種になぜここまで入れ込んでいるのか、ずっとわからなかった。

 ヒョウ柄のクッションに寝そべる犬に目をやる。ぴんと耳を立てたその細表の顔... そのシルエットは、なんと、エジプトの犬頭の神アヌビスにそっくりではないか。ついでに目のまわりにはエジプト風の黒い隈取りまで入っている。

 「そうよ、アヌビスはグレーハウンドよ。グレーハウンドの姿はエジプトやローマの壁画にも残ってるわ」

 アヌビスはエジプトの神々の中でも私がとくに好きな神様だ。小学校の頃に百科事典の写真を見て、しきりにアヌビスの姿を模写していたのを覚えている。グレーハウンドへの愛着はこんなところにつながりがあったか。

 夕食の後、師匠とグレーハウンドと散歩に出た。

 耳の内側に刻まれた入れ墨によれば、この子は3歳。それそろレースの盛りを過ぎ、レスキュー・グループに助けられていなければ、殺されていたところだった(「グレーハウンドを救え」)。

 だが、今、彼女は優しい保護者のもとにある。そしてその余生をゆったりと、幸せに過ごせるだろう。

 夕暮れの学校の広いグラウンド。日暮れの光の中を風のように駆けるグレーハウンドの姿は、美しかった。

 翌日、まっ白なグレーハウンドが連れられてやってきた。後ろ足にはギプスが巻かれている。レース中に足を骨折し、そこをレスキューグループに引き取られてきた犬だ。骨折をしたグレーハウンドは、ただちに処分の対象になる。

 この子の里親がしばらく留守にするため、師匠宅で子守りを引き受けたのだという。

 とても人なつこい性格で、一生懸命こちらの顔をのぞき込み、ぴったり体を寄り添わせて甘えてくる。本当に過酷な生を歩んできた犬なのに、どうしてこんなに人を信頼し、こんなに愛情深いのだろうと切なくなる。

 その夜は師匠とご主人、それに私で、ハンズオン・ヒーリングをした。起きかかっている炎症を抑えるためにリンパ系を浄化し、骨折の治りを早くするため、骨にもたっぷりエネルギーを入れる。

 適切なハンズオン・ヒーリングは、骨折のような怪我の治癒時間を最大、半分にまで縮めることができる。自分の体重より重いバーベルを持ち上げるご主人のエネルギーは、骨を内側から生命力で満たすパワフルで密なエネルギーだ。

 (そう、私がウェイトトレーニングのレッスンを受けているのは、健康管理という以上に、ヒーラーとしての腕を上げるためである。)

 翌朝には白いグレーハウンドは驚くほど元気を取り戻し、熱も下がって、ギプスをものともせずに家や庭を歩き(時に走り)回るようになっていた。

 その日の午後、トレーニングを終え、カルマヨガとしての庭仕事を終えて、2匹のグレーハウンドと庭に座っていると、師匠が出てきて植物に水をやり始めた。パティオののきからは、たくさんの観葉植物がバスケットに入ってつり下げられている。

 その中の一つ、シダ系の葉っぱが植わっているバスケットに、朝からキジバトが座っていた。キジバト独特ののんびり、まったりした様子で、黒く大きくつぶらな目をしてバスケットに納まっている。近づいても逃げる気配もない。

 と、水の出るホースを手にした師匠がそのバスケットの下に立ち、じっと見上げている。

 師匠、それは鳥です。

 しかし師匠、何を思ったか、おもむろにホースをバスケットに向けた。

 鳥はゆっくり立ち上がると、ちょうど小鳥が水浴びをするように羽を広げてぱしゃぱしゃと水を受け、それからまた何事もなかったかのようにちょんと座り込んだ。

 「あっはっはー 鳥に水をやっちゃったよ!」

 師匠の笑い声が響いた。

 翌朝、見ていると、もう一羽のキジバトがやってきて、先にいた鳥と交代してそのバスケットに座った。そうか、卵を産んで温めているのだ。このバスケットを巣にしてしまったのである。

 そのことを師匠に告げると、やれやれといった顔をした。実はしばらく前に別のキジバト夫婦が他のバスケットを巣にして子育てをしていった後だという。雛がいる間は水をやるわけにいかなかったので、そのバスケットの植物は枯れてしまったらしい。

 「きっとエネルギーレベルで『見捨てられた動物、保護の必要な動物はここに来るべし』なんて看板が立ってるのよね」

 そう言って師匠は笑った。

 
 

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June 27, 2005

ねずみ物語

なぜ私はネズミが好きか

 私のワークショップに来る人は、私が「動くもの」なら何でも好きなことは知っているが、当然、ネズミもその範疇に入る。しかもネズミは一般の人間から不等に嫌われているという思いがあるので、思い入れはさらに強い。

 さらに私はワナにかかっている生き物を見ると逃がしてやるという習性を持って生まれついているので、当然、ネズミとりなどという専用のワナを発明され、迫害されているネズミに対する同情はひとしおだ。

 ちなみに最初にワナにかかっているネズミを見つけて、逃がそうと金属製のねずみ取りに手をかけたのは5才の時。その時は大人に見つかり果たせなかったが、あの時の悔しさは今でも忘れない。

 カリフォルニアで住んでいた家には、ネズミがいた。日本で言えばクマネズミに近い、小さい可愛いやつだ。

 ちょうど動物愛護協会の捨て犬引き取り所から子犬を引きとって来た頃で、台所の床には、皿に入れたドッグフードがおやつ用に置いてあった。

 ある夜、台所の机で書き物をしていると、小さなネズミが壁に丸くくりぬいた穴からたっと走り出た。そして皿にかけよってドッグフードを1つくわえると、うれしそうに戻っていった。

 直径1センチのドッグフード1つでここまでうれしそうにできるネズミのかわいさに私は魅いられ、以来夜の書き物は台所でするようになった。毎晩1度か2度姿を現すチビネズミを見るためだ。

 貧乏時代のウォルト・ディズニーのアパートに出入りしたネズミがミッキーマウスがモデルだったというのは伝説的な話だが、ディズニーの気持ちはよくわかる。ネズミのあの小さな体は、無邪気さと一生懸命さで満ちている。

 その家はやがて引っ越したのだが、借り手が決まる前に、空き家になったその家に忘れ物をとりに戻った時、ドアのガラス部分から中をのぞくと、ネズミが1匹、ぽつりと居間の真ん中でたたずんでいた。いっしょに住み慣れた人間も子犬たちも去ってしまって呆然としているようで、心が痛んだ。

 さてこのような経緯もあって、私とネズミ族の間には一種の友情が成立していることは疑ったことはなかった。

 何度目かに住んだ家にはやはりネズミがいる気配があった。姿は見えないが、戸棚の奥にしまった食品の箱にかじり跡がつく。

 引っ越してすぐのこと、何週間か旅行で家をあけなければならず、ネズミのデーヴァに話をつけることを思いついた。お腹が空いたら手を付けてもよいものとして、ちょっと古くなったビスケットやチョコレートの箱を指定して、それ以外にはいたずらはしてくれるな、と頼んだ。

 旅行から帰って来て戸棚を開けた私は、笑った。指定した食べ物だけがちゃんと食べられていたからだ。箱や袋に穴を開けて中がからっぽになっていた。その一方で、あらそうとおもえばたやすくあらせたであろう他の食品には、一切手をつけていなかった。

 疲れていた私は横になろうと寝室に行き、ふとんをもち上げて一瞬きょとんとした。枕の下にチョコレートが2切れ、ちょんと並んでいた。

 アメリカやヨーロッパのちょっとしゃれたホテルに泊まったことのある人は「お休みのチョコレート」の習慣に出会ったことがあるかもしれない。メイドがベッドメーキングをした後に、まくら元に小さなチョコレートの包みを置いていくあれだ。

 メイドが置いていくのと異っていたのは、チョコレートは包み紙をむかれてあった。とり上げてよく見てみると、包みをはがすのについたらしい小さな歯形がついている。ネズミの仕業であることに思いいたり、大笑いした。

 台所から寝室まではかなり離れている。ネズミは私の留守中にチョコレートの箱を開け、包みをむき(その方が自分たちにとっては具合がよいので、人間もよろこぶと思ったのだろう)、それをくわえて寝室まで旅し、ベッドによじ昇り、ちょうど枕とかけぶとんの境目によいしょとチョコレートを置き、ふたたび台所に戻って2切れ目をくわえてもって上がり、そのとなりに並べて帰ったのである。

 ネズミの「おかえりなさいチョコレート」であった。

 しかもこのコミュニケーション成立以来、台所のものに手をつけることもいっさいなくなった。野鳥用に置いていたヒマワリの種などを袋から少ししっけいして満足しているらしかった。

 爾来ネズミへの愛着が深まったのは言うまでもない。

(2000年記)

ネズミは親戚(最近のリサーチから)

 科学雑誌『ネイチャー』に掲載された、米国と英国の科学者によるマウス・ゲノムのリサーチによると、ネズミと人間の遺伝子構造は99%類似していることが分かった。ネズミと人間の差は、およそ3万の遺伝子の1%に当たる約300の遺伝子によって決定されるという。

 研究チームのアラン・ブラッドリー教授は「ネズミと人間の遺伝子は、少なくとも80%が完全に一致し、99%が類似していることが分かった」とし、「遺伝学的類似性だけから考えると、人間を『尻尾のないネズミ』と言っても過言ではない」と言う。

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遠くの愛犬

 私は熱狂的な犬類好きだが(狼を含む)、いくらなんでも今の旅行ずくめの生活では犬を飼うことができない。というわけで、今は動物愛護団体の「Adopt-a-pet」制度を使って犬を援助している。

 捨てられたり虐待的な環境から保護されてきた犬で、さらに慢性の病気などの事情で、新しい飼い主を捜すことができずに保護団体のケアのもとに余生を過ごす犬たちがいる。

 それを「養子」として引き受け、月々の食費や医療費を負担するシステムだ。犬の面倒自体は保護団体が見、「里親」は自分の犬の様子について、時々手紙や写真で知らされる。

 こうして私には今は4匹の「愛犬」がニューヨークの2つの施設にいる。

 この他に、保健所などで保護期間が過ぎて殺される寸前の犬や猫を助け、ユタ州の自然の中の施設で余生を保証するBest Friendsや、ドッグレースで虐待されるグレーハウンドを救い、ドッグレースの廃止活動に努めるGrey2K USA、そして過激な動物保護団体PETA(People for the Ethical Treatment of Animals、動物の倫理的扱いを求める人々の会)、海洋動物の保護にこれまた体を張って取り組むSea Shepardなど、幾つかの動物保護団体に支援金を送っている。

 気がつけば、PETAなぞとは20年来の付き合いだ。本部のあるワシントン近郊に住んでいた頃には、ボランティアをしたこともある。

 私の場合、収入の7〜8%くらいは動物保護関係の活動に寄付している勘定になる。動物の保護のために送り出すお金は、自分にとってのタイジングの一部でもある。(タイジングについては別記事で)

(2004年9月記)

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June 26, 2005

グレーハウンドを救え ドッグレースをボイコットする

 美しい流線型の肢体、もの悲しそうにさえ見える大きな瞳。犬の中でももっとも純粋な血統を保つグレーハウンドは、高貴とも言える一種特別な存在感をもっている。
 だが、そのグレーハウンドを使ったドッグレースが、大量のグレーハウンドたちの死の上に築かれていることを知る人は少ない。レースに勝てなかった犬、少しでも脚力に衰えの見えた犬、怪我をした犬、2から3歳という短い盛りを過ぎた犬は、すべて「用済み」として処分されるのだ。

 以下はグレーハウンド保護団体、GREY2K USA の資料から引用する。

 「ドッグレース業界は、グレーハウンドを毎年何千頭も繁殖させ、かつそれと同じくらいのグレーハウンドを殺している。

 グレーハウンドの悲劇はNational GeographicsのTV番組『Running for Their Lives(死にものぐるいで走る)』で報道されたにも関わらず、いまだ大多数の人々がその悲劇に無知であるのをいいことに、ドッグ・レース業界はその行いを改めようとしていない。

 昨年5月、フロリダ州のドッグレース場は大量のグレーハウンドをアラバマ州に送り、そこで業者は1頭10ドルで犬たちを撃ち殺し、その遺体を埋めたてた。何千頭の犬が殺されたのか、いまだ捜査中である。

 ニューハンプシャー州のハインズデール・グレーハウンド・パークでも大量のグレーハウンドの骨が発見され、レース場の管理者は犬を殺したことを認めている。

 グレーハウンド・レースでは10頭に1頭の犬がレース中に、骨折、脊椎損傷、麻痺などの大きなけがをしたり、突然卒倒して死亡する。1年に殺されるグレーハウンドの数は数千頭に及ぶ。グレーハウンド・レースが全米で廃止されるまで、この悲劇は続く。」 (GREY2K USAのニュースレターより)

 殺されることを免れた場合でも、同じくらい過酷な運命が待っている。

 グレーハウンドはその純粋な血のために、犬の中での「普遍的血液ドナー」として重宝される。大学の獣医科や動物病院などに売り渡されたグレーハウンドは、手術などで輸血用の犬の血液が必要とされるたびに血を提供する「血液製造器」として利用されて余生を送ることになる。

私たちにできること

・観光でアメリカや香港に出かけても、ドッグレースには行かない。事情を知らない知人に誘われたりしたら、なぜドッグレースをビジネスとして成り立たせることがよくないのかを説明する。

・以下のグレーハウンド保護/ドッグレース廃止活動団体に寄付をする。
 GREY2K USA, PO Box 442117, Somerville, MA 02144, USA
 http://www.grey2kusa.org

「かわいいと思うだけでは十分ではない。かわいそうと思うだけでも十分ではない。愛を行動に移そう!」

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クジラと泳ぐ(ドミニカ共和国、シルバーバンク)

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シルバーバンクのザトウクジラ Photo: 王由衣 2003 (C)

 これまでにイルカやアシカの話はしたが、クジラの話をまだしていないので、少し書いておこうと思う。

 野生のクジラ(ザトウクジラ)に触れる機会があるたびにいつも感じるのは、イルカたちとの違いだ。

 騒がし屋で好奇心旺盛で、「驚く」なんて言葉は辞書になく、気分が乗っている時にはそれこそ体当たりの勢いで寄ってくるイルカたちに比べ、クジラは驚くほど繊細でデリケート。

 クジラを見つけて小舟を近づける間、船底をばたばた歩いて音を立てたりするだけでそれを感じ取り、神経質なクジラや用心深い子供連れのメスは、すっと泳ぎ去ってしまう。

 スピードが勝負のイルカたちとの水遊びと違い、クジラに近づくためには、できるだけ静かにするりと水に入って水面に浮かび、相手が落ち着いてくれるのを待つ。それからゆっくりと間合いをとって近づいていく。決してクジラに向かって一直線に泳ぎよるようなことはしてはだめだ。

 大人のザトウクジラは体長14メートル前後、重さ30トン。しかし長く白い胸ビレをゆったり動かしながら水の中を泳ぎ回るその姿は、優美の一言に尽きる。

 初めて水中でクジラを見たドミニカ共和国沖のシルヴァーバンク。青緑の水の中、白くぼんやりと輝くような胸ビレを広げ、体を回転させて踊る姿を見た時、まるで水の中に羽を広げた天使のようだと思った。

 クジラたちの行動は性格や年齢、役割に応じてさまざまだ。

 時に「ダンサー(踊り手)」と呼ばれるクジラに出会うことがある。求愛モードに入っているカップルのダンサーたちに出会うことができたら、幸運だ。

 まるで人間の恋人たちのように愛する相手のことしか目に入らない彼らは、まわりを泳ぐ人間の存在に気づきはしても眼中にない。ゆっくりと繰り返し繰り返し、その巨体を優雅にひねり、回転させ、時にまるで手を取るように胸ビレを合わせたりしながら、踊り続ける。その姿はうっとりするほど美しい。

 日によってはクジラたちの姿があまり見えず、代わりに歌だけが聞こえてくる時もある。

 こんな日はクジラたちはみな深いところに潜り、互いの歌に耳を傾けているかのようで、ボートを長距離、何カ所かに移動させても、やはりかすかに響く歌だけが聞こえてくる。水の中に入ると、イルカのソナーのハイピッチとはまったく違う、深く響くような振動が体にぶうんと響く。

 胸に響く求愛の歌を、長く尾を引くように歌うオスクジラたちは、「シンガー(歌い手)」と呼ばれる。

 だが、何にもましてクジラたちと関わることの喜びを満喫させてくれるのは、好条件の中で子供クジラと出会うことができた時。

 シルヴァーバンクスはメスのザトウクジラたちにとっては子育ての場所で、オスたちにとってはそのメスたちに出会い求愛する場所だ。子供を連れたメスのクジラには、必ず「エスコート(護衛役、同伴役)」と呼ばれるオスのクジラが付き添っている。

 子供連れであっても母親が神経質だったり、エスコートが攻撃的であったりすると、船を近づけただけて泳ぎ去ってしまうか、エスコートに阻まれて母子クジラに近づくことができない。

 今でも忘れることのできない出会いは、とても鷹揚な性格の母親が、これも紳士的で穏やかなエスコートに付き添われ、天真爛漫で好奇心いっぱいの赤ん坊クジラを伴っていた時。

 体がまだ黒くなりきらない幼いクジラは、体長5メートルほど。母親のおなかの下に隠れ、母親がそれを白い胸ビレで抱くようにして泳いでいる姿が、胸を打つ。

 呼吸をするために母子が水面近くに上がってきたところで、お母さんのあごの下から頭をのぞかせていた子クジラと目があった。

 手をひらひらさせておいでおいでをすると、子クジラは興味を引かれたようで、母親の下から出てこちらに近づいてきた。

 それはいいが、生まれて間もないクジラは、実は体のコントロールが十分にきかない。ちょっと近づいて見てみるつもりできたのだろうが、動き出したら突進状態になって止められない。

 あやうく頭突きを食わされそうになるところをよけて、そこで子クジラと見つめ合った。

 もしかしたら、私はこの生まれてあまり間もない子クジラが初めて見た人間だったかもしれない。小さな丸い目の中に、「目の前に浮いてるの、生き物なんだ!」と認識したかのような、発見の喜びが輝く。あの子クジラの表情は今でも忘れられない。

 そしてその喜びを体に表すかのように、子クジラは体をひねって踊り出した。
 まだよくコントロールのきかない小さな白い胸ビレで水面をたたき、尾ビレを振り回し、体を回転させながら水中を上下したり、お母さんに抱きついたり、それからまたこちらに近寄ってきたりする。

 動きをよく見ていないと突然、子供とは言え2メートル近くある尾ビレでひっぱたかれそうにもなる。

 子クジラに気をとられていると、自分の真下に母親の巨体があって、それが呼吸のために水面めがけてせり上がって来ているのにふと気づき、あわてたりもする。

 そして子クジラが人間と遊び回る間、エスコートは少し離れたところで静かにそれを眺めていてくれた。

 途中、本当にわずか数センチのところで、踊る子クジラの体当たりを交わした私とダイブマスターは、どちらともなく水面に顔を出し、シュノーケルをはずして大笑いした。

 元気いっぱいのちびクジラのスタミナや恐るべし、途中の授乳をはさんで3時間近くも踊り浮かれていた。

 やがて母クジラはそろそろ移動することに決めたようで、その泳ぎのペースに人間が着いていけなくなると、子クジラも母親のおなかの下に戻っていき、エスコートとともに泳ぎ去った。

 「10年以上この海に通い詰めているが、こんな経験は初めてだ」と同じボートに乗っていた一人が言っていた。私にとっても、水の中で過ごす最高に幸せな人生の1日だった。

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 この時は、その翌日にイルカ責めに合うというおまけも付いた。

 シルヴァーバンクでは探すのはクジラなので、イルカにはとくに注意を払うわけではない。しかしイルカの方から勝手にこちらを見つけて、追いかけてくることがある。

 「遊んでいけよ!」とまるで挑発するようにボートのまわりを取り囲んではね回る。

 クジラを相手にする時のように神経を使う必要は何一つなく、口笛を吹いたりボートのヘリをかんかんたたいて「わかった、遊びに行くぞ」とシグナルを返し水に飛び込めば、大喜びのマダライルカたち数十頭のお出迎えだ。

 この日は延々1時間あまり、イルカと泳ぎ回ることができた。

(2003年2月記)

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June 25, 2005

ガラパゴスの海

sealions1 シンシナティからホノルルへタッチダウンし、とんぼ返りでガラパゴス行き。

 自分としても相当尋常でないスケジュールだが、船の予約は1年前から入れてあったので、後から追加でどんどん仕事ができても、物事には優先順位というものがある(笑)。

 出発当日、空港へ向かう時間ぎりぎりまでできる仕事を済ませて、えいっと飛び出た。

 ガラパゴスの海の豊かさ、ダイナミックさはダイバーたちの間では伝説的で、その経験は文章や写真だけで語り尽くせるものではない。ただその手触りをちょっとでも感じてもらえるようなエピソードを、幾つか書いておこうと思う。


ガラパゴスの海(昼)

 ガラパゴスはエクアドルの領内にあり、空港のあるバルトラ島を除いて、諸島全体が国立海洋保護区域になっている。

 エクアドル政府が諸島の自然保護にかけている努力は大変なもので、その賢明さと徹底した姿勢には頭が下がる。

 自然に与える人間の影響がこれだけ厳しく制限、管理されている場所だからこそ、海も陸の生き物たちも、こんなに親しげな顔を向けてくれるのであることは疑いがない。

sealions2

 泊まり込みのダイブボートで回るガラパゴスでのお目当ては幾つかあったが、アシカはなんと言ってもそのトップに入る。

 島の岸壁沿いにダイヴィングをする間、何度もアシカたちが水中バレエを披露に来た。

 ダイヴァーを見つけると猛スピードで水中を急降下してきて、すばらしく優雅な曲線を描いて目の前を通り過ぎる。こちらの視線を捕まえたことを確認すると、自由自在に体をひねり、くるくる回転し、八の時を描いて飛び回り、見事な水中サーカスを披露してくれる。

 一区切りがつくと、まるで「どう?」と反応を確かめるようにゆっくりこちらの顔をのぞき込みながら、大きな目をくりくりさせて通り過ぎる。

 大型の水中カメラを構えた写真家が照明を向けたりしようものなら、大喜びでそのまわりを飛び回り、カメラをのぞき込む。それからダイヴァーには手の届かないような遙かな深みに向かって、すうっと降りていく。

 プラザ島の浅瀬では、船の上からアシカの姿が見えたので、スキューバの代わりにシュノーケルで水に入った。

 向こう側の岸に大きなオスが、何頭かのメスや子供たちといる。アシカのオスはハーレムを形成して縄張り性が強く、テリトリーを侵すものは、他のオスはもちろん、人間でも容赦しない。

 たまに不注意にテリトリーに踏み込んで噛まれる人があって、重さ何百キロの巨大なオスに噛まれたりすれば、運が悪いと何十針も縫うようなはめになる。

 岩場のオスの様子を時々うかがいながら辺りを泳いでいると、案の定、好奇心いっぱいのメスたちが人間を見つけてかまいにくる。

 水面を追いかけたり追いかけられたりして遊んでいると、突然、膝におかしな痛みを感じた。「??」と思いながら手を伸ばすと、ひげ...? 猫のひげを十倍くらい太く、固くしたようなひげが手に触れる。

 振り返ったら、メスのアシカが膝にかぶりついていた。いたずらをする時の子犬のような無邪気な顔で、膝にかじりついたまま、こちらの顔を見ている。

 「そういうことをしてはだめよ」という目で見つめ返すと、口をはなす。で、目を離すと、今度は肘にかぷり。相変わらず大きな目をくりくりさせて顔を見る。見つめ返すと、また口をはなす。

 これで一応、「肘や膝にはかじりついてはだめ」ということを理解したようで、今度はフィン(足ひれ)をかじりにかかる。

 フィンぐらいなら歯形をつけられてもどうということはないので、好きにさせていると、海底にダイバーを見つけて、お茶目アシカは急降下。全然気が付いていないダイバーを上から急襲し、カメラのレンズにかぷり。

 このダイバーは後で「アシカの口の中の写真をとったしまった」と言っていた。

 アシカたちの好奇心の旺盛なこと、いたずら好きなことは目を見張るばかりで、それは同時にかなり高い知性の働きを示している。

 バルトロメ島の近くでガラパゴスペンギンとシュノーケリングする機会もあったが、こちらはとにかく早い。体長30センチの小さな体で、ぴゅんぴゅん水の中を飛び回る。姿を見つけて水に入ると、次の瞬間には7、8メートル先を泳いでいる。

 フンボルト海流の流れ込む冷たい海をペンギンを追いかけて夢中で泳いでいると、突然、海イグアナがつつ〜っと横を泳いでいく。

 目標を切り替えてこっちを追いかけてみるが、これも結構なスピードだ。ひれがあるわけでもないハ虫類のイグアナが、波に揺られながら水を切って泳いでいく姿はかなり不思議でもあり、なんだか妙に気分がなごむ。

 水の中では大急ぎのペンギンも、いったん陸にあがってしまうと実にのんびりしている。岩の上にあがってくつろいでいるところに水際からポルトガル人の写真家が近づき、顔から10センチのところにカメラを近づけたりしても、全然意に介さない。

 水際からというのは陸から近づく方法がないためで、近くまでパンガ(大きめのゴムボート)で行って、そこからペンギンのいる岸壁まで泳いでいく。

 言うまでもないが、ガラパゴスは肉体派のための行き先であって、楽をして観光して回りたい人には向いていない。体力のない人には、赤道直下の刺すような紫外線だけでもずいぶんつらいだろう。

 ダーウィン島の近くでは、予期していなかった幸運にありついた。

 乗船中は朝6時起床、6時半には1本目のダイブ開始というスパルタ式スケジュール。その日の午前中の2本は、悪名高いガラパゴスの急流の中を岩にしがみつき、フジツボだらけの岩にぼこぼこ打ち付けられながら匍匐前進しつつハンマーヘッドシャークや他の大物が通りがかるのを待つというもので、さすがに消耗したダイバーの半数が午後の3本目を休むことにした。

 気を利かせたダイブマスター兼自然観察員がバードウォッチングを提案。

 パンガに乗って島の岸壁の鳥たちを見て回り、ダーウィンズ・アーチと呼ばれる岩礁に向けて進んでいると、突然、大量の小さなクジラのような生き物に囲まれていた。

 「Melon-headed whales(カズハゴンドウ)!」ダイヴマスターが興奮した声で叫ぶ。「ガラパゴスでもとても珍しい。最後に見たのは何年も前だ」。

 ハンドウイルカよりも小柄なちびクジラたちが200頭くらいの群で、ボートを取り巻いて泳いでいる。群にはマイルカも混じっていて、時々水からジャンプする。

 みんなはしばらくパンガの上から写真をとったりしていたが、そのうち「もうこれはたまらん」ということになり、急いで船にシュノーケリングのギアをとりに戻った。

 それから先ほどのポイントに向かい、幸いもう1度、群を見つけなおすことができた。

 水に入ると、カズハゴンドウたちのおしゃべりが聞こえてくる。イルカのにぎやかなおしゃべりとも、ザトウクジラの音楽的な歌とも違う、ハイピッチで均一な感じの声だ。

 群の中でもさらに数頭づつがぴったりよりそい、小さなグループを作って並んで泳いでいる。ハンドウイルカのように口先が突き出ておらず、頭に丸みがあって、小柄なこととも合わせて何ともかわいらしい。

 水の上から200頭くらいと見たのだが、遙かに深いところにもたくさんいるようだ。後で調べたら、カズハゴンドウは通常数百頭から時に千頭以上の群で動くらしい。

 以前、海好きのスタッフが「ジャック・マイヨールの本に出ている、南洋のタヒチの辺りにいる不思議な生き物」と教えてくれ、「そのうち探しに行くか」などと話していたのだが、まさかガラパゴスで出会えるとは思わなかった。

 海は広く、そして限りなく予測がつかない。

ガラパゴスの海・夜

furseal ガラパゴスの海を特徴づけるのは、暖流と寒流が同時に流れ込むことで形成される複雑な海流の流れと、プランクトンの多さから来る透明度の悪さだ。

 同じ11月の日でも、ポイントや水深によって水温は22度〜28度と開きがある。

 プランクトンの多さはしかし魚の豊富さと、それを食べるサメやマグロなどの大型魚類の多さを意味し、またマンタやジンベイザメのようなプランクトン食性の魚たちをこの海域に集めることにもなっている。

 しかし時に見通しが3、4メートルを割るような透明度の悪さと予測のつかない潮の流れは、「ダイバーが流される海」としての評判の元にもなっている。海中で、あるいは浮上後に流されてしまい、船に拾い上げられるまで数時間海を漂う羽目になった人の話なども聞くし、何年か前に日本人ダイヴァーが4人流されて帰ってきていないなどという話もある。

 そんなところで真っ暗な夜の海の中に降りていくのは、穏やかなハワイ島の海でのナイト・ダイブとはひと味違う。

 夜になってやや荒れ始めた海を、ウォルフ島の北側に向けてパンガが進む。

 月もでていないあたりは星明かり以外、完全な暗闇だ。その闇の中を水に飛び込み、手元のダイブライトだけを頼りに潜行する。

 アラスカから来た2人のダイバーがそのフロンティア精神を発揮してどんどん先に進んでいくので、後を追う。

 突然、目の前を横切ったのは、ハンマーヘッドシャークの流麗な姿。

 昼間のダイブでは40メートル以上の深いところを泳いでいることが多く、なかなか近くで見ることができなかった。しかしここでは、15メートルほどの深さを行き来して、繰り返しダイブライトの光の中にその姿を浮かび上がらせた。

 何しろ水が濁っているので、4メートルより先にあるものは見えない。姿が見えた時には、それは目の前にいるのだ。

 ダイブプランで指定された50分が過ぎたので、浮上を始める。水面に出ると、海は先ほどよりもさらに荒れ模様で波が高く、流れも速くなっている。

 30メートルほど先にパンガの姿を見つけ、ライトでシグナルを送ってこちらの姿を確認したのを確かめると、流されないように待つ。波が高く、他のダイヴァーを引き上げるのに苦労しているようで、時間がかかる。

 冷たい海に浮かびながら波をかぶりつつ空を見上げると、満点の星空だ。

 やがてパンガに引き上げられて、船への帰路をたどる。パンガの運転手が時々、岸壁にライトを投げかけて位置を確かめる以外、互いの顔も見えない。

 顔を上げれば左手にカシオペア、右手にプレアデスの散開星団が目に入る。視線を海に落とすと、パンガの立てる波がプランクトンの生物発光でちらちらと光る。

 波の中に光っては消える、はかなげな光は海の星...。

 風に吹かれながら空の星と海の星を見つめ、これまでで最高に詩的なダイヴの1つだと思った。

 もう一つ、これと並んで印象深い経験になったのは、イサベラ島北側のポイントでの夜のダイブ。

 暗い海の中、透明度も例によってきわめて悪い。深さ10メートルほどの浅瀬で底が砂地になっているところを進んでいくと、大きなものがさっと体の横を通る。

 あわててライトで追いかけ、それがアシカであることに気づくのに一瞬、間があった。真っ暗な海の中をさえこんなに自由に泳ぎ回っているのかと、さすがに驚く。

 あっちへこっちへと何頭ものアシカがライトの中を横切り、ただでさえ透明度の悪い水の中を砂を舞い挙げるので、ダイブライトの光も放散状に乱反射して、あたりをぼんやりと照らすだけ。

 限りなく無重力に近い中性浮力の状態で水の中に浮かびながら、ぼんやりとした光の中を突然目の前に現れては消えるアシカの姿、ライトの光を反射して光るその大きな瞳は、限りなく夢の経験に近かった。

「語りかけ」   
(オライア・マウンテン・ドリーマーの詩)

おまえが生活のためにどんな仕事をしているのか、そんなことに興味はない。おまえが何に、痛むほど焦がれるのかを知りたい。魂が渇望するものに出逢うのを夢見ることができる、そんな勇気があるのかを。
おまえの歳がいくつであるか、そんなことに興味はない。愛、自分の夢、生きるという冒険のために、愚か者のように見える危険をおかすことができるのかどうか、それを知りたい。
おまえの月がどんな惑星と角度を作っているか、そんなことに興味はない。知りたいのは、おまえが自分の悲しみの核に触れたことがあるのか、生の裏切りによって切り開かれたことがあるのか、さらに訪れる苦痛から逃れようと身を縮めて自分を閉じてしまったことがあるのかどうかだ。おまえは、私とおまえ自身の痛みに耐えることができるのか、それを隠したり、偽ったり、なおそうとしたりせずに。おまえは、私とおまえの喜びに耐えることができるのか、荒野で踊りながら歓喜が指先からつま先まで満たすのを許すことができるのか、注意を促したり、現実的になれと警告したり、人間であることの限界を思い出させようとしたりせずに。
おまえの話が本当であるのかどうか、そんなことに興味はない。知りたいのは、おまえが自分に忠実であるために他の人間を失望させることができるのかどうかだ。裏切り者ととがめられても、自分の魂を裏切らずにいられるのか。おまえは信じるということができるのか、そしてそのことによって信頼に値するのか。毎日がきれいなものでない時にも美を見ることができ、その存在から自らの生を汲み上げることができるのか。おまえは、おまえと私の失敗に耐えられるのか、そうしてなお湖の端に立ち、銀の月に向かって「Yes!」と叫ぶことができるのか。
おまえがどこに住み、どれだけの金があるのか、そんなことに興味はない。知りたいのは、おまえが嘆きと絶望の夜を過ごした後に起きあがって、疲れ切り、骨まで打ちひしがれてなお、子供たちのためにしなければならないことをすることができるのかどうかだ。
おまえが誰であるのか、どうしてここにきたのか、そんなことに興味はない。知りたいのは、おまえが私といっしょに炎のまっただ中に立って、なお縮みあがらずにいられるのかどうかだ。
おまえがどこで、なにを、誰から学んだか、そんなことに興味はない。すべてのものが崩れ落ちる時、おまえを内側から支えるのは何なのか、それをこそ知りたい。そしておまえが自分自身とともに孤独であることができるのか、すべてが無に帰する瞬間に、ともにあるものを本当に好きでいられるのかどうかを。
(訳:王由衣)

(2002年11月記)

All photos by Yui Wang (C) 2002

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マンタとダイビング(ハワイ島)

 ハワイ島でのドリームワーク・リトリートが終了。グループのエネルギーが、ダイナミックな火山性の大地、豊かな風と優しい海のエネルギーに呼応し、土地の神々の恵みと好意もあって、これ以上願えないほどの充実したリトリートだった。

 参加者の創造性が刺激され、絵や歌など様々な形で表現されるのを見るのもすばらしかった。私も島の自然の豊かさに触発されて、島の花からフラワーエッセンスを2種類、グループのために作った。

 海岸沿いの溶岩性の岩が海の水に洗われる場所で太陽の光を受けさせたため、とくに赤紫のラン(デンドロビウム)はハワイ島の火と水の環境エネルギーが強く入ったコンポージットのエッセンスになり、太陽のように中心部から黄色い光の広がる白のプルメリアは、夏至の日の太陽のエネルギーを受けて、そのあまやかな香りがハートと額のチャクラを開き潤すエッセンスに仕上がった。

 作りたての生のマザーエッセンスをがぶ飲みするなどという不謹慎なこともして、あげく熱を出した(笑)。

 さて、5日間がまるで1日のように過ぎてしまったリトリートの後、参加者の多くはアフターのアクティヴィティとして火山(ペレ女神)詣でに出かけた。私は3名の海娘(シュノーケラー)を連れて、ダイビングに出た。メインは夜のマンタ・ダイブ。

 1本目の夕暮れダイブも、ヘラーズ・バラクーダの大群や数匹のカメ、2mサイズのマンタ1匹(本当は1枚と数えるらしいのだが、どうもなじまないので「匹」とする。特大のやつは1頭と数えたい)、3匹のマダラトビエイの編隊と出会うなど文句なし。

 船の上から夕日が沈むのを見終わり、あたりが真っ暗になってから2本目を潜る。あらかじめダイブマスターが水中ライトを設置しておいた砂地に集まり、注意しながら砂の上に膝をつく。なにしろこのあたりはウツボが多いので、踏んづけたりするとえらいことになる。

 暗い水の中でそれぞれのダイブライトを上に向けると、光に引きつけられてプランクトンが集まり始める。このプランクトンを食べようとマンタがやって来るのだ。

 やがて他の船のダイバーたちも集まり始め、十分な量のライトで互いの姿が見えるまでになる。篝火のようにライトを上に向けて膝をつき、しきりにあたりをうかがうダイバーたちの姿は、まるで神の訪れを待ちこがれる海の村人のようだ。

 待つことしばらく、2度ほど中サイズのマンタの姿がぼんやりと見えたが、すぐに闇の中に姿を消してしまう。

 昨日は1匹も現れなかったそうだから、今日も... と思いかけた時、巨大なマンタが悠然と姿を見せ、ゆったりと頭の上を通り過ぎた。

 ダイバーの輪の端まで泳ぎすぎると、ゆっくり踊るように体を翻し、再び頭の上を、大きな口を開けてプランクトンをすくっていく。人間をおそれる様子はまったくなく、ぶつかっても別にかまわないといった角度で至近距離を泳ぎすぎる。

 目の前に迫ってくるのにぶつからないよう後ろにのけぞり、後ろ向きに倒れながら、顔の前すれすれを通るマンタの腹部に両腕を広げて測って見たが、差し渡しは4m以上、おそらく5mはある。

 ライトの光で準備される食膳が気に入っているのか、それとも「海の神」を拝むダイバーたちの魅入られた様子を楽しんでいるのか、マンタはこうして50分あまりも舞い続けてくれた。

 上を見ると水面に見えた3つの光は、シュノーケラーたちのライトだろう。

 「光とダイバーの泡の中を、マンタが遊んでいるように見えた」と一人は後で言っていた。

 やがてエアや電池の切れたダイバーたちが少しずつ去って行き、あたりが再び暗くなり始める。1時間を過ぎたところで私のライトも電池が切れ、エアはまだたっぷり残っていたものの、船に戻ることにする。

 船の上でウェットスーツを脱いで、風に吹かれながら空を見上げると、満月。帰途、港へ向けて揺られながら見つめる夜の海にイルカが1頭はねた。

 夢の中の光景と現実の光景が一つにつながることがある...と最近、よく思う。

 それもいいか。夢はもう一つの現実そのものなのだから。

(2002年6月記)

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海、ジャック・マイヨール...

 ジャック・マイヨールの訃報を目にしたのは12月の暮れ、ヒーリングトレーニングのクラスの朝だった。

 私は普段から、この世とあの世の区別は幻の壁一枚と思って生きている人間なので、人の死も「向こう側への帰還」、「魂にとっての活動の拠点が、こちら側から向こう側に移動すること」と思っている。

 こちら側の世界で仕事の途中、志半ばで倒れた人の死はもちろん悼まれる。しかし比類ない人生を74歳まで生きて、死の直前までライフワークであった海との交感、そして人と海をつなぐ仕事を続けていたマイヨールの死は、その生がこれ以上何一つ付け加える必要のないものであったという意味で、一つのよい終わりであったと思う。

 「理由不明の自殺」と報道されたが、70年、海とともに生命の波に揺られて生きてきたマイヨール。少なくとも彼の魂にとっては、最後まで自己の生のリズムを知っていて選んだ「帰還」のタイミングだったと信じて疑わない。

 作家であり世界的フリーダイバーとして知られる彼は、フランス人の両親のもとに中国で生まれ、日本を含むアジアの国々をゆりかごとして育った。

 初めてイルカを見たのは10才の時に九州の唐津の海で、と自伝にある。

 人生を通じアジアで過ごした時間は長く、日本の禅寺にこもって修行をし、インドでヨガ行者についてプラナヤーマを学んでもいる。

 20代は新聞記者・編集者として活動し、30才の時マイアミ水族館でクラウンと名付けられたイルカと出会い「恋に落ちる」。彼女との交流を通してマイヨールは、子供の頃に身につけていた素潜りの技術を洗練し、イルカのように長時間、息を止めて水中を自由に動き回ることを学んだ。

 そして1976年、素潜り(フリーダイブ)で初めて水深100mを超える世界記録を作った(この時なんと49歳)。

 生理学者によって不可能とされていた100メートルの水深の壁を越えることで、彼は人間の肉体に関するそれまでの科学の常識をうち破り、その後、数限りない生理学リサーチの実験台になっている。(映画『グラン・ブルー』は彼をモデルに描かれている。)

 近年はカリブ海のタークス&カイコスとイタリアのエルバ島を住居として行き来しつつ、日本でも多くの時間を過ごしていた。

 後進フリーダイバーのトレーニング、鯨やイルカとの交流、水中出産プロジェクト、海のドキュメンタリー製作などの活動を続けながら、70歳を越えても毎日のように海に潜った。

 昨年アメリカで自主出版され、Independent Publisher賞を受賞した自伝、論文、写真を組み合わせた大著『Homo Delphinus』が遺作となった。

 私は国と民族のアイデンティティとは何かという疑問に、子供の頃から余儀なく直面して育ってきたので、国と文化の壁を越えて「地球的に生きる」ことについていつも考えている。

 その経験から、マイヨールは、東洋と西洋、多くの土地、国、文化を、単に知って理解するだけでなく、そこに降りていって肌で呼吸することを知っていた、真の「地球人」だったと思う。

 そして彼と様々な土地との仲介になっていたのは、いつも海であった。

 マイヨールのあらゆる生命への共感力の深さは、精神世界でイルカを追いかけることがファッションになるはるか前に、イルカの中に知性と魂の輝きを見、同時に野生の動物にあいふさわしい敬意を払うことで、人間とイルカの種の壁を超えた対等な交流を持つことを可能にしていた。

 マイヨールがイルカを見つめる目は愛にあふれているが、イルカを完全無欠の神様として拝みあがめるニューエイジ系のうるんだ目ではない。

 ある時、気分を損ねた友達のイルカたちに「ぼこぼこに」され、もう少し頸動脈に近いところを打たれていれば死んでいたほどの怪我をしたこともある彼は、イルカが畏怖にも価するパワフルな野生の動物であることを忘れなかった。

 少年のような感性にあふれる葉祥明の絵をこよなく愛したマイヨールは、ある意味では偉大な夢見人だった。

 だが、作家・映画製作者としての知性とヴィジョンを備え、フリーダイバーとして肉体の能力と意志の力を磨き、魂からほとばしる情熱によって、精神と肉体の可能性を最大限に追求して生きた。

 「腹立たしいほどに気ままで、いつも美しい女性たちに囲まれていた」と回顧する友人の言葉からも知られるように、人生を存分に楽しむことも知っていた。

 イルカを愛し、夢と海に導かれ、国と文化のみならず、人という種を超えた「一つの生命」として生きた...。

 ジャック・マイヨール(1927〜2001)

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June 24, 2005

月の蛾

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写真 アパートの裏庭の湿地草原を飛び交うアメリカトキコウ Photo: 王由衣 (C) 2001

 今日も夕方からスコール。まぶしく晴れていた空が突然暗くなり、雷が鳴って、日本の土砂降りを3倍量にしたような雨がふる。

 ほとんど毎日のようにスコールに見舞われ、アパートのバルコニーから見える湿地草原は、飛び交う大型のサギの姿とともに、雨期のアフリカみたいな趣だ。

 夜、ばたばたと大きなものが、仕事机の前の窓にぶつかる。羽虫かと思ったが、見ると尋常な大きさでない。やがてそれは窓ガラスに張りついて落ち着くことにしたようで、これ幸いと顔を近づけて観察する。

 定規で測ってみると、羽の差し渡しが18センチあり、厚手の白いヴェルヴェットをまとったような体は人差し指ほどの太さ。

 ほんのりと薄緑を帯びて青白く輝く大きな羽がじつに美しく、長く優雅なドレス飾りのような尾のついた羽の形といい、暗闇にきらきらと光る赤い目といい、神秘的な雰囲気を漂わせている。昆虫図鑑を引っぱり出して調べると、絶滅に瀕しているヤヤマユの一種「ルナ・モス」と分かる。

 貴重な「月の蛾」の姿をしばらく飽きずに眺める。

(2001年7月記)

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サメとダイビング(バハマ、ダイブクルーズ)

 ナイトロクスのライセンス取得を兼ね、フロリダの裏庭、バハマで潜る。

 船に乗っているのは経験のあるダイバーばかりで、ダイブマスターは水の中へ同伴しない。ダイバーの側は地形や海の深さ、潮流についてのブリーフィングを受け、各自でプランを立てて、ダイブコンピュータを使用しながら自己責任で潜ることになる。

 普通は強制されるバディ制度もあってなきがごとしで、ソロ(単独)ダイブもOK。私はこういう機会を待っていた。

 以前から海の中でコンティニュアムをしてみたいと思っていたのだが、ガイドやバディ付きではこれは不可能だ。水の中で普通ではない呼吸や体の動かし方をしていたりすれば、窒素酔いか何かと勘違いされて「救出」されかねない。

 20メートルほどの深さに潜り、流れのない静かな場所を見つけて、まずは呼吸法を試みる。

 どうもうまくない。

 フーブレスと呼ばれる呼吸法をしようとすると、口に入れているレギュレータが奇妙な音を立てる。何しろ呼吸に反応してエアを供給する精密機器でもあり、第一、ひとりで潜っている時にレギュレータを壊したりすれば、それこそ本当の緊急事態だ。

 というわけで、呼吸法の方はあきらめ、そのままウェーブモーションに入る。何しろ本物の波に揺られながらのウェーブだ。呼吸法で油をまわさなくとも、体の中の波と外の波を同調させるのはたやすい。

 中性浮力さえきちんと調整しておけば限りなく無重力に近い水の中に浮いて、体を海と一体化させるのは極楽そのもの。

 波に揺られながら休息中の魚の群を見つけ、紛れこませてもらう。黄色地に青縞の鮮やかなフレンチグラントたちはちらりと私を見、「無害」と決めたようで、そのままいっしょに浮かばせてくれる。

 そばの岩についているイソギンチャクも、マイクロムーヴメントのウェーブモーションだ。これこそコンティニュアムの原点...。

 こうしてソロ・ダイブを堪能し、合間にナイトロクス(酸素濃度を高めに調整した気体)をダイビングに使うための試験にパスし、おまけでついてきたのがシャーク・ダイブだった。

 このポイントは昔はブルシャーク(オオジロザメ)やタイガーシャーク(イタチザメ、辞書には「人食いザメ」とある...)がよく出たそうだが、最近はどこでもよく見るリーフシャークとホワイトチップシャークがもっぱらという。

 まず参加するダイバーは(アメリカ人と南アフリカ人の女性ダイバーは参加を拒否)、先に海底まで潜って、指定された砂地の上で姿勢を低くして待つ。この時点で、そろそろ周辺にサメたちが集まり始める。

 そこへダイブマスターが魚のぶつ切りをつけたサメ寄せの道具をもって降りてくる(ダイヴマスターは「スシ」と呼んでいた。アメリカ人にとっては生の魚はすべて「スシ」である)。

 そして魚の血の臭いにひかれたサメたちがすごい勢いでエサをむさぼり、そのアクションを目の前で見るという、まあ、きわめてアメリカ的な趣向だ。

 リーフシャークなど普段から見慣れているダイバーたちも、エサに興奮したやつらが至近距離で飛び回る見るのは初めての結構なアドレナリン・ラッシュで、みなエアの消費量が急上昇。

 アクションが終了した後もサメたちはあたりを徘徊していて、近寄ってきた1匹とお互い見つめ合いながら(?)しばらくいっしょに泳ぐことができた。

 しかし、サメとはお互いに目と目があっても、コミュニケーションが成立したような気がしないのは私の偏見か。単に「なんだか動いている、たぶんエサではないらしいもの」としてしか、こちらを見ていてくれないようなのである。

 ところでこのポイントには「オスカー」君と愛称のついた名物魚(Jewfish、ハタ)がいて、ダイバーたちを見ると、その中から一人お気に入りを選んで後をついてまわる。

 この時も噂のオスカー君(体調60センチくらい)が現れ、私の隣に陣取っていたドイツ人の長老ダイバーの頭の上に浮いて、一緒にサメ見物をしていた。魚の中にも時々こういうふうに、妙に愛着のわくパーソナリティをもったのがいる。

(2001年5月記)

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イルカと泳ぐ&ダイビング(ビミニ島)

dolphins1写真:ビミニ島のマダライルカ Photo: 王由衣 (C) 2001

 ためていた休日をバハマのビミニ島で過ごす。

 「趣味と仕事の境目が限りなくあいまい」と以前書いた。実際、家にいる時は深夜まで机に向かっていることも珍しくなく、土日も関係なく仕事をしているので、まとめてとる休みには強制休養の意味がある。

 もう一つ、ダイビングは私にとって唯一、仕事と関係のない趣味らしい趣味なのだが、このところ日本に出かけるたびに持ち帰ってはやたら長引く気管支炎の治療に効果があるのを発見している。東京滞在の後にダイビングの日程をはさむことを試みているが、具合がいい。海につかりながらレギュレータを使ってのリズミカルな深呼吸が、肺の掃除に効果的なようだ。

 カリブ海周辺はハワイ同様、いかにもリゾート地という感じがして敬遠していたが、イルカに会える水域を探していくと、どうしても行き着くことになる。

 もっともビミニ島は一応バハマ国内だが、地理的にはどう見てもフロリダの一部で、北ビミニまではマイアミから飛行機で20分かからない。私の住む北フロリダのセントオーガスティンからなら、東京から九州に出かけるほどの感覚だ。

 北ビミニへの飛行機は小型の水上発着機で、なぜ水上発着かというと、島には空港も滑走路もないから。小さな飛行機は淡いターコイズブルーの水に滑り込み、そのままごとごとと浅瀬を走り、航空会社(外見はどう見ても普通の民家)の庭をアスファルトで固めた駐機場に乗り上げる。そばに立っている小屋が入管兼税関の検問所だ。

 形式ばかりの検問を済ませ、そのまま歩いてダイブショップへ。とにかく小さな島で、その気になれば端から端まで歩いて回れる。

 実際、島での主要な交通手段は、徒歩以外にはゴルフ・カート。海沿いの道路をとろとろとカートが走り回る光景には(どれくらいとろとろかというと、駆けていく子供たちに追い抜かれる)、いやがおうでも心が和む。

 意外なことに、ビミニはリゾート地の浮いた雰囲気はなく、もっぱら大物狙いの釣り好きが集まる漁村という感じで、居心地はきわめてよかった。ヘミングウェイがいたく気に入って晩年ここに住んだというのも納得できる。

 初日の午後はさっそくイルカ探しに。常夏の島ながら1月末から2月は一応「冬」のオフシーズンということで、船にはスタッフ以外に客は8人のみ。

 船での移動中、ビミニ沖のイルカの生態や、コンタクトのルールなどについてのブリーフィングを受ける。港からイルカの「なわばり」水域まで1時間弱、その後2時間ほどクルージングしてまわったが、この日はイルカの姿は見られず。

 イルカ探しに船が出るのは週に3回だけなので、翌日は朝から潜る。

 しかしいくらオフシーズンとはいえ、船に乗っているのはキャプテンとダイブマスター以外には私と連れの友人のみ。まだライセンス取得途中の友人は、きまじめなショップのオーナーの方針でシュノーケリングしかさせてもらえず、潜るのは私とダイブマスターの2人だけ。

 これは残りの日程すべてそうで、さらに私のエア持ちがよく、潮流の強い沈船ポイントをスムーズに潜りこなして技術も信用してもらえた2日目以降は、かなり自由に行動させてもらった。まったく人気のない海を自分のペースで探索して回れるのは、大量のダイヴァーで込み合う中をガイドの後を追いかけなければならない、ハワイの沿岸ダイブとは雲泥の差だ。

 当初、ビミニはイルカと泳ぐこと以外に大きな期待はしていなかったのだが、明るいターコイズブルーの海のずば抜けた透明度と、魚の種類と数の多さはすばらしかった。

 熱帯性のきれいな魚と、ロウニンアジなどの大きな回遊魚がいっしょに見られる大盤振る舞い。ついでに初日から大きなエイは出る、カメは出る、体径が大人の太股ほどの巨大なウツボはいる、大きなバラクーダ(オニカマス)も群れている、続いてサメまで出してもらう。

 岩の下でお休み中の体長1.2メートルほどのカメを見つけ、のぞき込んでいると、島出身のダイブマスターが「さわれ、さわれ」と身振りをする。私は一応「生物は向こうからコンタクトしてくるのでない限り手を伸ばさない」というルールを守っているのだが、この時はお言葉に甘え(?)、状況を把握せずにまだ寝ぼけまなこでぽーっとしているカメの甲羅をなでさせてもらう。

 そしてきわめつけは、2日目に港へ帰る途中の遭遇。

 船を操るオーナがなにやら興奮して叫んでいると思ったら、ジンベイザメの子供がそばを泳いでいる。あわててシュノーケルをくわえ、船がエンジンを切るのを待って水に飛び込む。子供とはいっても体長6メートルはあった。

 水深20メートルほどの真っ白な砂の海底を背景に、きれいなまだら模様の若いジンベイザメが泳いでる姿は、夢のように美しかった。

 ビミニでジンベイザメとは期待していなかっただけに、いっそう忘れがたい思い出になった。

 広い海では、生き物との出会いはすべて運。人間の側でいくら見たいと思っても、海の方でそう選ぶのでない限り、お目通りはかなわない。

 メキシコのラパスで出会ったオーストリア人のビジネスマンは、ひたすらマンタが見たくて中南米から中近東まで様々な場所で100本以上潜っているのに、まだ1度も見たことがないと嘆いていた。

 ラパス沖の海はマンタがよく見られることで知られている。しかし彼が船に乗っていた3日間、マンタたちは姿を隠してしまい、「いつもここにいるのになあ」と、おきまりのポイントでマンタが見られないことにダイブマスターも首をかしげていた。

 最後のダイブを終え、船の上で昼食をとりながらビジネスマン氏は「今回もだめだった。次はヤップにでもいくしかないか」とあきらめきっていた。昼食を終えた彼は、腹ごなしのシュノーケリングに水に飛び込んだ。

 と、なんと100本あまりのダイヴィングを通して一度も彼に姿を見せなかったマンタが、それも5メートルはありそうな大きなやつが、挨拶をするようにゆうゆうと彼の真下を泳いでいったのである。

 オーストリア人は日本人と同様、感情表現が控えめなので、アメリカ人ならしたであろう大騒ぎはしなかった。しかし水から上がった彼の顔は、喜びでゆるみまくっていた。

 さて、3日目は2度目のイルカ探し。

 イルカのなわばり水域に入って1時間半ほど過ぎた頃、5匹のマダライルカたちが現れ、船と一緒に泳ぎ出す。船の作り出す波に乗って、ご機嫌な様子だ。

 しばらく船上から観察した後、水に入る。イルカたちは待ってましたというようにまわりを泳ぎ回り、いかにもこちらに見せるためのちょっと格好をつけた泳ぎっぷりを見せてくれる。イルカたちのソナーのエコーが水に響き、なんとも体に心地いい。

 少し離れたところで楽しそうに泳いでいる若い2匹にカメラを向けると、「わ〜い」とせりふでもつけたくなるような様子でいっさんに私(あるいはカメラ)めがけて寄ってきて、イルカ・スマイルを捕らえることができた。5頭のイルカたちと存分に遊ぶことができて満足。

 3回目、最後のイルカ探し。マダライルカの群や親子連れ、ハンドウイルカのカップルなどが寄ってきては船の舳先の波に乗って遊ぶのだが、人間が水に入るととたんに離れていってしまう。

 水から上がるとまた近寄ってきて、人間が水に入るとまた向こうへ行ってしまうということを3回繰り返し、この時点で今日は気分が乗らないらしいと判断。イルカたちの意志を尊重し、船の上から見るだけに決める。

 と、とたんに何頭もが船にぴったりついて水面すれすれに踊るように泳ぎ出し、時々ジャンプするなどしながら、夕暮れまでかなり長い間、目を楽しませてくれた。「今日は水には入らず見てちょうだい」の日だったらしい。

 個人的には二度と足を踏み入れたくないグアム、イルカとクジラが見られるという以外にとくに愛着のわかないハワイと比べ、ビミニは文句なく肌に合う。

 「またあの海に潜りに行く時間を作るために」と考えるだけで、仕事をはかどらせる気力が沸く。イルカたちと泳げるという点を除いたとしても、豊かでダイナミックなビミニの海とそれをとりまく環境そのものが、自分の体とエネルギーしっくりくる。アーキタイプ心理学的な表現をすれば、ビミニの海の魂と私の魂の間にリソナンスが感じられる、と表現できるかもしれない...

 そんなことを考えながら、たまたまテレビのDiscovery(科学番組専門)チャンネルをつけたら、お世話になったダイヴショップのオーナーが映っていた。『まだ解き明かされない世界の謎』という番組で、ビミニ沖の海底にある、明らかに人工の石畳のように見える構造物が海底に沈んだアトランティスの遺跡の一部か...という話で、その海底ガイド役を務めていた。

 次はあそこに潜らせてくれるよう、ねだるぞ。

(2001年1月記)

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June 23, 2005

マナティーと泳ぐ(フロリダ)

manatee1フロリダ州クリスタルリヴァーの野生のマナティ(Photo: 王由衣 (C) 2000)

 11月、ようやく時間を作ってマナティのいる入り江に出かけた。

 朝早く、雨空の中をダイヴショップの船で自然保護区までつれていってもらう。

 ダイヴマスターによれば「そろそろ目を覚まし始める頃だから」というが、朝7時過ぎにならないと起きてこないというのは、野生動物としてはずいぶん寝坊だ。

 ブイとロープで仕切られた向こうは州のマナティ保護水域なので、人間は入ってはいけない。保護水域から離れたところに船をつけ、とりあえずシュノーケルと足ひれをつけて水の中に入るが、水は薄緑ににごっていて、雨空であることと合わせて視界はきわめて悪い。

 2メートル先が見えるかどうかというほとんど沼状の水の中を泳いでいると、突然目の前に白っぽい岩のようなものが見えた。水底の岩かと思ったら、それがするすると動き、最後にぷっくりした「しっぽ」が視界に入って、初めてマナティーなのだと気づいた。大きい、というより巨大(!)。

 マナティーはジュゴンと同じシレニア(海牛)目に属し、姿形はよく似ているが、厳密に言えば別の種。ジュゴンよりもかなり大きく、しっぽが厚手のうちわのようにまるくてぷっくりしている。ジュゴンのしっぽはイルカのように分かれている。

 突然目の前に現れたやつは4メートル近くあったと思うが、すぐに濁った水の中に消えてしまった。その後40分近く水の中をうろうろしていたが、愛想のいい子供の(といっても1メートル半はあった)マナティーをなでることができた以外、遭遇はなかった。

 肌寒い天気の中を3mmのウェットスーツのみという軽装だったので、さすがに体が冷え、この日はそれ以上の探索はあきらめる。「今日はやつら、まだ寝ているみたいだ」というダイヴマスターの言だった。

 翌日はうって変わっての晴天。この日はマナティーたちが確実に起きている時間を狙い、9時過ぎにボートに乗る。

 保護水域の近くまで来ると、何頭かのマナティーがまるで待ちかまえていたように泳ぎ寄ってきた。

 「船のロープをかむのが好き」というダイヴマスターの言葉通り、錨を沈めるやいなや、子供づれのお母さんまで含めて、みんなで集まって船から下がっているロープやアンカーラインをかじりだす。

 人間が水の中に入ってきてもロープかじりに夢中である。驚かさないようにそっ
と近寄ると、こちらの姿を認めて親しげにすり寄ってきた。「マナティの側からコンタクトを主導するのでない限り、マナティにさわってはならない」というフロリダ州条例はこれでクリア。

 頭や背中をなでてやると、大きな体を驚くほどなめらかにくるりと回転させてお腹を見せ、まるで犬のように「お腹かき」をねだる。

 手触りは、言っては悪いがぼろ雑巾と革ジャンのあいのこのよう。この手触りに陸上の動物で一番近いのはゾウかサイだろう。事実、マナティは分類学上、ゾウの遠い親戚だ。ぽこっとしたひれ足の先にはゾウのような爪がついている。

 イルカの皮膚はぴかぴかつるつるだが、それは2時間に1皮というペースで皮膚が生え替わるためで、手でこすってやるとぽろぽろ垢がでる。これは人間の垢擦りと同じでイルカにとっても気持ちいいらしい。

 マナティの場合はコケは生えているは、フジツボを山のようにくっつけているのもいるわで、皮膚の生え替わりはかなりスローペース。そし大概、体のどこかに傷跡がある。これはほとんどが、のんびり水の中を浮いているところを、水上を飛ばしていくモーターボートのプロペラでやられたものだ。

 マナティの唯一の天敵は人間であり、とくに保護条例が敷かれてマナティを傷つける一切の行為が禁止されているフロリダで、病気以外にマナティの死傷を引き起こすのはモーターボートだ。このため、保護水域の近くではすべての船に徐行が義務づけられ、州のパトロール員による監視も行われている。

 しかしお人好しのマナティたちは、相変わらず船を見れば寄って来るし、止まっている船のプロペラにかじりついてみたり、こちらがやきもきするぐらいにのんきだ。

 幸い厳しい保護策が功を奏し、マナティを愛する人たちによる怪我をしたマナティの救助努力なども実って、いまだ絶滅状態であることに変わりはないものの、フロリダのマナティの数は少しずつ増えている。

 それにしても、体長3〜4メートル、重さ半トンはある動物たちに水の中で取り囲まれるのはちょっとした経験だ。姿が見えなくなったかと思うと、体当たりしてくるのがいたりする。もちろん向こうは遊んでいるつもりなのだが、突然、下から(そおっとではあるが)この巨体で突き上げられたりすると、最初はちょっとあせる。

 根っから遊び好きの彼らは、寝ているワニにもちょっかいをだしたりするそうだ。

 正面から見るマナティの顔は、はっきりいって相当のへちゃむくれだ。
 しかしあるのかないのかよくわからない小さな目は、のぞき込むと、何とも言えない思慮深さと独特の知性、それに茶目っ気が秘められている。研究者によれば、この点のような目で視力は結構よく、色も見分けるという。ゾウの親戚なら、おそらく記憶力も相当いいだろう。

 ダイヴマスターの話では、マナティたちはブイとロープで仕切られた保護水域のことを理解していて、人間にかまわれたくない(あるいは人間をかまいたくない)時には、ロープの向こう側にひっこんでいるらしい。

 子供のマナティがお母さんの脇に頭をつっこんでいる。この子は何をしているのか...と思ったら、後から読んだ本に「マナティの乳首は脇の下にある」と書いてあった。

 浅いところで水底近くに浮かび、短いひれ足をぽんと付きだしてじっとしているのがいる。近寄っても動かない。よく見ると目を閉じて、これは明らかに寝ているのであった。

 マナティはイルカと同じで、脳の半分づつで眠りをとる。5分くらいして息継ぎの時間になると、水上に浮かび上がり鼻先だけ出して空気を吸い、またぽよぽよと水底に沈んでいく。

 1時間半ほど水の中で遊んだ後、引き上げることにする。船がそろそろと動き出すと、子供のマナティが「もういっちゃうの」という顔で水の中から頭を出してこちらを見上げる。その様子が明らかに寂しそうで、後ろ髪を引かれる。

 人間たちと遊ぶことがほんとに楽しいらしい。

 1度マナティと泳いだ人たちはマナティのことを愛さずにいられないというが、事実に違いない。

 イルカの場合、人間とのつきあいは友好的ではあれ、わりと淡々としているのだが、マナティの場合は明らかに愛着的である。

 私がイルカにあこがれてきたのは子供の頃からだが(ダイヴィングのライセンスもイルカに近づきたいというただその一念でとった)、これでマナティも私の胸の中に住み込むこととなった。

 異なる種の動物と種の境界を超えて、互いに対等な形で一つの経験を分かち合うことができる時、そこには他のどんな経験からも得られないよろこびがある。

 それは、自分という命が確かに他の命とつながっているのだという生命の普遍さが、まぎれもない真実として自分の中で実感される時、そして生命そのものへの限りない愛しさを覚える瞬間だ。

(2000年11月記)

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