ビミニの休暇から帰ってすぐ、研修のためにとんぼ返りでめったに陽も出ない零下のシンシナティで過ごし、身を切るような寒さの冬場のニューヨーク市に寄って帰って来ると、フロリダはすでにその大したことない冬を終え、春を飛び越えて、初夏になっていた。
フロリダぼけによる装備不足で、寒い思いをしながらシンシナティ、ニューヨークと過ごした後だったので、外は暖かそうだったが一応薄手の長袖で外出したら、さっそくスーパーのおじさんに「なんでまた長袖」と不思議がられてしまう。
確かに地元住民はみな元気に半袖で外を歩き回っている。2月の半ばにして日中の最高気温28度。
私は季節、とりわけ四季の巡りに対してこだわりがある。夏は暑く冬は寒いという自然の、そしてめりはりのある四季のリズムに合わせて過ごしたいといつも思ってきた。
そのため、多くの人から好まれる、季節間の気温差のあまりない「穏やかな」サンフランシスコの気候は肌に合わなかったし、暖かいには暖かいが四季のでたらめなフロリダの気候にも、あまり愛着はわかない。セントオーガスティンの町自体はとても好きなのだが。
暑い夏と寒い冬に育まれて自然が豊かに息づくヴァージニアの四季は好きだったし、一年中強い風の吹くニューヨークのロングビーチの海辺の四季も好きだった。
しかし現在の私の生活は、四季のリズムのパターンに乗らないどころか、それを全面的に打ち壊さざるを得ない方向にひたすら向かっている。仕事と神学課程の研修を中心に、便乗休暇も合わせて大陸規模で動くため、否が応でも安定した形で四季を経験することが許されない。
別の言い方をすれば、今の私には、1年を通して極暑から極寒の間を自由に行き来して対応できる能力が要求されている。
地球全体を自分の住居とし、異なる土地と季節の中を動き回りながら、心地よく生きることができる体とエネルギーの柔軟さと適応力が必要とされているのだ。ううむ、えらいことだ。
これが可能になるためには、逆説的だが、エネルギーと肉体の両レベルで自己の中心点をしっかりと据えなければならない。そうでないとまわりの環境に振り回され、環境の変化に対応することだけに大量のエネルギーと体力を消耗することになるからだ。
コンティニュアムで用いる手法の中に「対極性(ポラリティ)」というのがある。例えば陰性と陽性の呼吸を交互に重ねることで、体の固定されたパターンを破り、新しい柔軟性、流動性を引き出すという方法論だ。
日本とアメリカという地球のほぼ正反対にある国を頻繁に往復することも、対極性経験の一形態と言えないこともないかもしれない。少なくとも生体リズムの頻繁な攪乱であることは確かだ。
「長生きしたければ時差ボケを伴うような長距離の旅行はするな」というのは、ホリスティック医学系の医師の間での合意だが(通常の人間にとって頻繁な海外旅行は寿命を縮めるほどのストレスになるということ)、西と東を結びつけることを仕事の一端としている私としては、そうも言っていられない。
というわけで、ニュースレター(2001年春・夏号)の記事に書くような重武装的対策をとりながら、今年も飛び回る。
(2001年2月記)