05. 地球をうろうろ

June 24, 2005

引っ越し(フロリダからハワイへ)

 ここのところ、2年に1度の恒例行事の感のある私の引っ越しだが、またその季節がやってきた。

 もっとも今度の行き先予定であるハワイは、仕事のロジスティクス的に考えれば必然とも言え、以前からのガイダンスもありながら私の方で意地を張って拒んでいた先だから、いったん移ってしまえば当面の定住拠点となる可能性が濃厚である。

 (その次に引っ越しをするなら、20年くらい先にヨーロッパへ... というのが密かな願いだ。)

 昔から世話になっている占星術師も、実は引っ越し先としてハワイを勧めていた。州のチャートと私のチャートの相性がきわめていいらしい。

 何年か前に言われた時には考えてもみなかったが、ここらで意地張りの代価として時間とエネルギーのロスを支払うのを止めて、おさまるべき場所に落ち着く時期でもあるようだ。

 やりたいことがあまりにありすぎて1日が48時間あっても足りない私としては、セーブできる時間とエネルギーはセーブするべき... と考えられるくらい大人になったとも言えるか(笑)。

(2002年4月記)

| | Comments (0)

四季のリズム

 ビミニの休暇から帰ってすぐ、研修のためにとんぼ返りでめったに陽も出ない零下のシンシナティで過ごし、身を切るような寒さの冬場のニューヨーク市に寄って帰って来ると、フロリダはすでにその大したことない冬を終え、春を飛び越えて、初夏になっていた。

 フロリダぼけによる装備不足で、寒い思いをしながらシンシナティ、ニューヨークと過ごした後だったので、外は暖かそうだったが一応薄手の長袖で外出したら、さっそくスーパーのおじさんに「なんでまた長袖」と不思議がられてしまう。

 確かに地元住民はみな元気に半袖で外を歩き回っている。2月の半ばにして日中の最高気温28度。

 私は季節、とりわけ四季の巡りに対してこだわりがある。夏は暑く冬は寒いという自然の、そしてめりはりのある四季のリズムに合わせて過ごしたいといつも思ってきた。

 そのため、多くの人から好まれる、季節間の気温差のあまりない「穏やかな」サンフランシスコの気候は肌に合わなかったし、暖かいには暖かいが四季のでたらめなフロリダの気候にも、あまり愛着はわかない。セントオーガスティンの町自体はとても好きなのだが。

 暑い夏と寒い冬に育まれて自然が豊かに息づくヴァージニアの四季は好きだったし、一年中強い風の吹くニューヨークのロングビーチの海辺の四季も好きだった。

 しかし現在の私の生活は、四季のリズムのパターンに乗らないどころか、それを全面的に打ち壊さざるを得ない方向にひたすら向かっている。仕事と神学課程の研修を中心に、便乗休暇も合わせて大陸規模で動くため、否が応でも安定した形で四季を経験することが許されない。

 別の言い方をすれば、今の私には、1年を通して極暑から極寒の間を自由に行き来して対応できる能力が要求されている。

 地球全体を自分の住居とし、異なる土地と季節の中を動き回りながら、心地よく生きることができる体とエネルギーの柔軟さと適応力が必要とされているのだ。ううむ、えらいことだ。

 これが可能になるためには、逆説的だが、エネルギーと肉体の両レベルで自己の中心点をしっかりと据えなければならない。そうでないとまわりの環境に振り回され、環境の変化に対応することだけに大量のエネルギーと体力を消耗することになるからだ。

 コンティニュアムで用いる手法の中に「対極性(ポラリティ)」というのがある。例えば陰性と陽性の呼吸を交互に重ねることで、体の固定されたパターンを破り、新しい柔軟性、流動性を引き出すという方法論だ。

 日本とアメリカという地球のほぼ正反対にある国を頻繁に往復することも、対極性経験の一形態と言えないこともないかもしれない。少なくとも生体リズムの頻繁な攪乱であることは確かだ。

 「長生きしたければ時差ボケを伴うような長距離の旅行はするな」というのは、ホリスティック医学系の医師の間での合意だが(通常の人間にとって頻繁な海外旅行は寿命を縮めるほどのストレスになるということ)、西と東を結びつけることを仕事の一端としている私としては、そうも言っていられない。

 というわけで、ニュースレター(2001年春・夏号)の記事に書くような重武装的対策をとりながら、今年も飛び回る。

(2001年2月記)

| | Comments (0)

June 23, 2005

秋が来た(フロリダ)

 北フロリダにも秋らしい(...)ものが来た。

 といっても木の葉が紅葉するわけでもなく、住んでいるアパートの裏にはるばる広がる湿地草原は、相変わらず青々と茂っている。

 遊びに来たフロリダ住民の友人は「ここにはワニがいるはず」と断言して帰ったが、その後の私の調査によれば、湿地の水は海に流れ込む水路につながっていて、つまり塩水の沼地で、ワニには好まれないらしい。

 大きな白いサギ(日本のツルのサイズ)がよく飛んできて、魚をとっている。
 ランなどの面白い植物が湿地草原にはよく見られるので、そのうち長靴を履いて、植生を調べに踏み込んでみようと思っている。

 「ワニが見たければ天気のいい日にここに来てみな。でっかいやつがひなたぼっこしてるよ」と、タクシーの運転手が空港からの帰途に回り道をしてつれていってくれたのは、うちからすぐ近くの淡水の池。

 日本では放し飼いにしている犬が家に帰ってこないと「車にでもひかれたのでは...」と心配するが、フロリダの人々は「ワニにでも食われたか...」と心配する(友人がしばらくそう言って騒いでいた)。

 フロリダのワニはアリゲーターで、クロコダイルよりも性質が荒い。人間も時々襲われる。

 さて、秋だ。

 北フロリダの秋は何によって象徴されるかというと、私の意見ではマナティ
(ジュゴンの仲間)の川登りである。水が冷たくなってくると、暖かい季節には海岸沿いに浮いている彼らが、ちょっとでも温かな水を求めて川を登ってくる。

 というわけで、この秋から冬の私のプロジェクトは、マナティといっしょに泳ぐことだ。

 野生動物としては人のよい(というより明らかによすぎる)彼らは、人間が泳いでいるのを見ると興味しんしん近寄ってきて、頬ずりしてみたり、ことに人間慣れしているやつはぺろっとお腹を見せて「かいて〜」などとやるらしい。英語で「海の牛」と呼ばれるジュゴンの姿を想像してもらえばわかるが、あの体格では自分で背中やお腹をかけないのは明らかでだ。

 セントオーガスティンの港の近くでも時々姿が見られるらしいが、彼らが集団で群れる川が2時間ほどのところにあるので、休みの日に出かける予定を立てている。

 こうして、仕事と趣味の境目が限りなく曖昧な私の数少ない本式の「休日」は、自然とのコンタクトに費やされる。

(2000年10月記)

| | Comments (0)