04. 旅行と生活(あと趣味も)

January 17, 2009

バリ島の乗馬リゾート

 12月の来日期間中は、ほぼ休みなしでがむしゃらに働いた(東京で講座 → 個人セッション → 九州大学で講義 → 福岡で講座 → 東京で個人セッション → ハンズオン・ヒーリング科のクラス → ヒーリング・クリニック)。

 その反動という訳ではないが、年越しはバリ島で。私もつれ(パートナー)も、基本的に放っておくといつまででも仕事をしているタイプ。すべてをまったりと穏やかなハート・エネルギーでつつみ、いやおうなしに脳みそを休業モードに引きずりこんでくれるバリは、理想の休養地だ。

 私にとっては5回目のバリ。先回はスミニャックに滞在し、その時、郊外にある乗馬クラブ兼プチ・リゾートを見つけ、そこの手配で海岸での外乗を楽しんだ。(「バリで乗馬」)

 さすがドイツ人のオーナー、たくさんいる馬のよく手入れされていること、調教ぶりのよいことが印象的だった。青々とした稲田の中に立つ、ヨーロピアン・スタイルの白亜の建物を見ながら、「次はここに泊まるぞ」と心に誓ってバリを去った(笑)。

 幸い、今住んでいるマレーシアとインドネシアはお隣同士。飛行機もほとんど国内線の感覚で、時差もない(実は言葉もマレー語≒インドネシア語)。先回初めて海岸での外乗を経験した「乗馬初心者」のつれも、「集中してレッスンを受けるいい機会」と、馬リゾートでの年越しに同意してくれた。

 (私としては、つれを1日5、6時間の乗馬トレッキングに耐えられるよう、鍛えようともくろんでいる。そのうちインドやチベットの乗馬ツアーに行きたいのだが、僻地のツアーでは「最低人数2名」というところが多いのだ(笑)。)

 バリに馴染みのある人は、日本円に換算した時の相対的物価の安さを知っていると思うが、昨年後半からのインドネシア・ルピアの暴落で、今回はさらにおそろしくお金の使いでがある。(町のスパで、上手なバリ式マッサージが60分400円とか、マッサージ+ルルール+フラワーバスの2時間パッケージが800円とか。)

 リゾートの宿泊に乗馬レッスンと海岸での外乗を合わせたパッケージも、日本の物価からは目をみはる安さだ。

 敷地の裏手には、レッスン用の馬場(野外・屋内)と、馬装や手入れをするためのエリアがある。客室のある建物は1階がたくさんの馬房に仕切られ、2階が客室で、つまりベッドルームの下に馬たちがいる。

 嵐の夜には、馬たちがずっと落ち着かなげに音を立てていることもあった。

 しかし、毎朝早くから馬が引き出され、カコンカコンと蹄鉄が石畳を踏む音をベッドの中で聞くのは、なんとも幸せな目覚め方だ。

 馬場でのレッスンはマンツーマンで、調馬索を使ったフォームの矯正なども合わせ、結構みっちり。バリ人のインストラクターは2人とも熱心で、しかも親切。

 海岸での外乗は、年末でビーチにやや人が多く、先回ほど思いきりというわけにはいかなかったが、それでも気分よく走れた。

 リゾートにはオープンエアのレストランもあり、東京の上等なホテルのダイニング並の料理が食べられる。ボルネオではお目にかかれないレベルの洗練されたイタリアン&フレンチは本当においしく(値段は東京の6から7分の1)、夕食は毎晩ここでとったがあきなかった。

 つれは5日間毎朝のレッスンと、1回たっぷり3時間半の外乗で、筋肉痛のガニ股歩きをしていた。それでも、乗馬の後はプールサイドでビールを飲みながらMacでネットサーフィンしつつ、「最高のヴァケーション」と満足そうだった。

 このリゾートは、オープンエアのレストランの席でも、プールサイドのテーブルでも、どこに行っても「馬の匂い」がする(笑)。動物好きでなければ滞在できないのは間違いない。

 全体が緑の庭園のような敷地には、馬だけでなく犬もごろごろしていて、見かけた子犬たちを手を差し出せば、転げるように走って甘えに来る。私的にはなんとも幸せな空間だった。

                  ☆

 たっぷり遊んだら、仕事に戻るのも待ちきれない(笑)。

                  ☆

Umalas Equestrian Resort

(今サイトをチェックしたら、パッケージが大幅値上げになっていた...。しかし馬好きなら、ここに滞在するだけでもバリに行く価値がある、と断言します)

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June 12, 2008

近況(ボルネオに引っ越し、修士課程の卒業準備)

 3月から5月にかけての放浪生活が一息つき、少し落ち着いて仕事の整理や書き物ができる生活に戻った。

 サイト・テキスト改訂、eBookのまとめと編集、今年後半と来年のスケジューリングその他、整理しなければならないものが山ほどある。

 修士課程の卒業準備にもかからなければならない。なにしろ師匠から「もう卒業させるから、早く準備しなさい!」と2度目の勧告を受けている(笑)。(「師匠」=ロザリン・ブリエール博士)

 執筆中の論文と合わせて、クライアントのカルテを500件分提出しなければいけないので、過去のクライアント・データや記録をまとめて整理する作業に入っている。

 それでも、北ボルネオの生活は驚くほど快適です。

Kkeve1

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May 22, 2008

屋久島

 5月の前半、屋久島で小さな家を借りて半月ほど過ごした。

 これほど完璧な自然は稀だ。

 南国のあたたかな太陽。絶えることなく海から吹きこむ強い風。つねに島のどこかを巡っている豊かな雨と、それによって育まれる大小たくさんの透明で静謐な川や滝。そして島全体がどっしりとした花崗岩の大地。

 四大元素すべてが、文句のつけようのない安定したバランスを保つ。なんとまあパワフルな、としかいいようがない。

 その結果だろう、自然のエネルギーは澄みわたり、同時に密度が高い。

 ハワイのあまやかな豊かさとも違う、沖縄南部の濃密さとも違う、とにかくシンプルに生命エネルギーが濃い。

 エネルギーは濃いのだが、癖がない。エネルギー自体の個性を受けとり手に刻むのではなく、根源的な形で受けとり手の一部になって、それを内から育み支えてくれる感じだ。

 それは島の植物の豊富さ、果物の香りや蜂蜜の奥のある甘さ、わき水の味の濃さにも現れている。

 ウミガメの産卵地として知られる人気のない白い砂浜に立つと、青い空の下に広がる水晶のように透明な海。振り向けば、険しく気高い、霧におおわれた深緑の山々。

 南の島なのにはっきりとした四季があり、地域によっては冬に雪も降る。海辺の亜熱帯から山頂の亜寒帯まで、屋久島には日本の自然が丸ごと凝縮されている。

 屋久島といえば誰でも、苔むした杉の巨木を思い浮かべるが、屋久杉の生態にもこの島の個性(本質、エセンティア)が象徴されている。

 屋久杉は際立って寿命が長く、島で一番古い縄文杉は樹齢7500年とも言われる。何年か前にこの杉から折れた枝の年輪を数えたところ、枝だけで1000年を超えていることが確かめられた。これだけでも驚くべき生命力の表現だ。

 杉の中には、江戸時代に始まった伐採で切り倒されたものもある。その切り株から新しい芽が出て、再び大樹に育っている。また落雷などで倒れた木からも、再び若い芽が吹いて育っていく。

 「死んだ」古い杉から新しい杉が芽吹き、再び樹齢何百歳もの大樹に育つ姿に、仮の「死」を経て再生していく生命の力強さ、生まれ変わりの象徴性が感じられる。

 そんなふうに、個体をリセットし、新しい生命力を吹き込む力が、この島のシグニチャー(特徴的なしるし)だと思う。

 花崗岩大地の有無を言わさぬグラウンディング力と、生命を再生(Regenerate)させる緑のエネルギーは、体を休め生命力を賦活するにも、またヒーリングにもとても適した土地だと思う。

 

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January 31, 2008

マウイで雪

 ここのところ冷えるなと思っていたら、ハレアカラに雪が降りました!

 頂きに雪の冠をかぶっています。

 (写真は自宅の前から © 2008 Dean Ramsden)

Haleakala_snow








 

 

 

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December 30, 2007

チェンマイで年越し

 タイに来ている。

 年越しはタイ北部の都市チェンマイで。

 「北方の薔薇」とも呼ばれるチェンマイは、こじんまりとしているが歴史味にあふれ、人々もおっとりとしている。日本の京都にもたとえられるが、まさにそんな感じだ。

 北部タイ式の薬草サウナに入り、薬草の温湿布マッサージを受け、食事は毎日ホテル近くの中国風オーガニック&マクロビオティックのティーハウスでとって、しっかり今年の垢落とし中。

 来年の活動に向けて、英気を養っています。

 

 

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December 18, 2007

パソコンのトラブル

 朝起きたら、Macのハードディスクが死亡していた。

 前の晩までまったく正常で、寝る前にスリープモードにしてそのまま。

 朝、スリープから起こそうとしたら、シーンとしてハードディスクが稼働する音がまったくせず、グレーのスクリーンに「OSが見つかりません」を意味する「フォルダー?」マークが。

 今年買ったばかりのMacBookだし、それまでまったく故障の気配もなかった。それほど大きな問題ではないはずと思いつつ、夕方、銀座のappleストアに行くと、いくつかのテストの後、「ハードディスクがだめになっています。交換するしかありません」と宣告された。

 技術担当の若者は「ハードディスクというのは、突然だめになることがあるんです。お客様のご使用の方法が悪かったとか、そういうことではありません」とお悔やみを述べた後、まだ保証期間内なので、交換は無料だという。

 連れは「保証期間内でよかったじゃないか」と言うが、私としては、買っていくらも経たない保証期間内のMacのハードディスクが、前触れもなく突然だめになるということに納得がいかなかった。

 このMacは私にとって、SEから数えて7代目。空港で落っことして破損させてしまった先代のiBookチタニウムを除けば、Macを使い始めて15年、故障らしい故障は経験したことがなく、ハードディスクに問題が起きたことも一度もなかった。旅行に同伴して地球を何週か回り、何度もぶつけたり倒したりしたクラムシェルやiBookでさえもだ。

 しかしWindowsからMacに改宗し、数知れないハードディスク・トラブルを経験してきた連れにすれば、ハードディスクの突然死というのは「想定内」のことらしい。

 ここまでMacの耐久性をとことん信頼してきた私だが、回りを見ても、Macも含めたパソコンの故障頻度が大幅に増加しているように思う。悔しいが自動バックアップ用のアプリを入れて、外付けのハードディスクを旅行にも持ち歩くしかないのか。

 さて、問題は、旅行と移動の忙しさにとりまぎれ、ファイルのバックアップを10日ほど怠っていたので、この間に作業した内容が消えてしまったこと。インストールしてあったアプリも、すべて古いディスクとともに消滅。再インストール用のDVDはハワイの自宅だ。

 セッションの予約リストなどは、サーバに保管のメールから再作成できる。しかしこの10日ほどの間に書き進めていたメールマガジン用の原稿や、原稿資料用に集めたブラウザのブックマークはどうにもならない。

 ワープロはダウンロード購入版だったので再インストールできたが、サイト作成・更新用のGoLiveはそうはいかず、結局、Dreamweaverに買い替えた。このため、サイトのすべてのページを整理し直さなければならず、サイトの更新がしばらくスローダウンするかもしれないが、そういう事情です。

 


 


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October 05, 2007

近況(2007年10月) ヨーロッパ帰り

 9月半ば、東京での仕事を終えて、ヨーロッパへ飛ぶ。

 南ドイツで神学課程の研修に参加。その後、先にイギリスに入っていたパートナーと落ち合い、8日ほどかけてグラストンベリーの聖堂跡やトール、チャリスウェル、ストーンヘンジとエイヴベリーのストーンサークルなどを回ってきた。

 私自身のお気に入りはやはりグラストンベリー周辺とチャリスウェル。

 パワフルなレイライン上に位置するグラストンベリー聖堂隣の宿に3泊し、チャリスウェル(「聖杯の井戸」)から汲んできた聖水を飲みながら、土地のエネルギーを存分に味わった。

 グラストンベリーはもちろん、私の敬愛する希代の魔術師、ディオン・フォーチュン縁(ゆかり)の土地でもある。

 イギリス聖地巡りの経験については、『ヒーラー&アルケミスト』に特集記事を書きます。

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May 13, 2007

マウイに引っ越し

 またまたやってきました、引っ越しシーズンが(笑)。

 私の引っ越し歴を知っている人は、だいたい2年に1度のペースで動いていることを覚えていると思うが、今回もほぼそのパターンで新居に移る。

 といっても、移動は再びハワイ内でのことなので、過去の大幅異動とはちょっとパターンが違う。

 正直、これも中継ぎだろうと考えているが、まあ世の中何が起きるかわからない。もしも世の中の情勢が落ち着いてくれば、このままマウイにしばらく定住というのもあり得るかもしれない。

 ただ仮住まいといっても、生活はこれまでにくらべてずっと安定するので、仕事に向けられる時間とエネルギーは増える予定だ。

 トレーニングの学生たちを迎えてのマウイ島合宿や、連れ(パートナー)と共同で、カップル向けのリトリートなども考えている。

 とりあえず、マウイは緑でいっぱいのハート・エネルギーに満ちた島です。


 

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February 27, 2007

バリ島で乗馬

 バリ島全般やハートチャクラ・アストラル文化については2月25日配信の『ヒーラー&アルケミスト』の方に書いているので、ここでは別の話をしておこうと思う。

 学生たちやメールマガジンの読者には既知だが、私は「馬バカ」のカテゴリに入る。

 父親が若い頃に障害馬術競技のアマチュア選手で、大きな大会で何度も入賞するほどの腕前だったこともあり、私も5歳くらいの頃から馬になじんでいた。(基本的には、乗馬クラブで父親が練習をしている間、馬の背中に乗せられほうっておかれた。)

 それからかなりのブランクがあったが、一昨年から乗馬のレッスンを再開して、普段は週に2回、4鞍くらい乗る。

 去年、北カリフォルニアで、山や海岸を1日7、8時間、6日間乗り続ける耐久レース的「休暇」に出かけた。その時には、2日目に山道のカーブを駆け上がる時に落馬で捻挫し、翌日腫れ上った足をそのままブーツにつっこんで残りの日程を乗り通すというバカもやっている。

 馬の背中に負担をかけないよう、痛み止めを飲んでぐいとかかとを落とし、ポスティングや急勾配の斜面の体重移動などもやり通したので、帰った時には足首の捻挫はしっかり悪化していた。(痛みが完全にとれたのは最近だが、馬に乗っている間だけは痛みを完全に忘れているというところが、また馬バカのゆえん。) 

 北カリフォルニアでのことは、メールマガジンの2006年7月配信号に詳しく書いているので、ここではバリでの話。

 「バリ島で乗馬」というのは意外なようだが、前から「乗れるらしい」という情報をつかんでいたので、現地に入って施設を探した。で、なんとドイツ人オーナーの乗馬スクールで、海岸での外乗も可というのを発見。

 「十台の頃に手ひどく落馬して以来、乗っていない」と、これまで乗馬につきあうのをかわしてきたパートナーをひっぱり、出かける。私としては「バリの海岸で乗馬」というロマンチックな設定を、若い頃の馬トラウマを克服してもらう絶好の機会と踏んだ(笑)。

 緑の稲田の中に立つ、白いバリ・ヨーロピアン・スタイルの建物。しっくい作りの厩舎には、30頭あまりの馬がいる。よく手入れされ、鍛えられているのが見てとれる。

 連れには初心者用という栗毛、私には経験者用の黒鹿毛の馬が選ばれ、バリ人のガイドと外に出る。白黒まだらのピントに乗ったガイドは、いかにもバリ風の穏やかな笑顔のおじさんで、片手で手綱を持ち、片手を腰に当てたウェスタン・スタイル。

 早朝のまだ涼しい稲田を通り、閑静な住宅街をくぐり抜け、やがて人気のない海岸に出る。しばらく試し走りをした後、「じゃあ、好きに走っていいよ」という。

 軽く足で合図を与えると、黒鹿毛は滑らかに走り出す。連れのことがあるので、しばらく速歩と短い駈歩を繰り返したが、連れを乗せた穏やかな雌の栗毛は驚くほどマイペース。のんびり適当なスピードでついてくるが、決して一定以上に速度を上げない。

 連れもさすがに中国武術で鍛えた足腰の強さとバランス、なかなかの安定した乗りっぷりで、駈歩に揺られながら「乗馬がこんなに楽しいとは知らなかった!」と満面の笑顔。

 そんな感じでしばらく海岸を走り、調子の出てきたところで少し速度を上げると、馬の方でも気分が高揚してきたらしい。みるみる速度を上げて、連れやガイドの馬を後に残し、走る走る。

 どこまでも続く海岸を風を切り、こんなに思いきり駈けたのは久しぶりで、最高に気分がいい。

 しばらくして遠くに人の姿が見えたので、速度を落とそうとするが、興奮した黒鹿毛は言うことを聞かない。さきほどまでのおりこうさんぶりはどこへやら、しばらく手綱の引き合いの末、ようやく足を止めさせる。

 追いついてきたガイドは、相変わらずののんびりした笑顔で言った。

 「その馬は競走馬だからねー。走り出したら止まらないかもしれないけど、砂の深いところに誘導するといいよ。砂に足を取られて、速度が落ちるから」

 そいうことは、先に言っておいてください。

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February 11, 2007

日本、バリ、シンガポール

 1月、東京での仕事を終えて、連れと京都・奈良の寺社巡り。

 その後、充電と下見をかねてバリ島に滞在。

 バリ滞在はこれで4回目になる。最後に訪れたのが3年前で、その時にもすでに911や爆破テロの影響で観光客の数が激減していたが、今回はさらに閑散としていた。

 もう一つ気づいたのが、バリのエネルギーのアストラル度がずいぶん薄まっていたこと。近代化の影響がここまで来たかという感じで、どっぷりとハート/4チャクラ系のエネルギーで包まれていたバリのエネルギーに、3チャクラの光が差し込み始めた感じだ。(それがいいことなのか悪いことなのかは別にして。)

 (チベットの人たちのエネルギー・システムはいまも多くがチャクラ6つ型だし、私は日本人も比較的近代までチャクラ6つ型民族だったと考えている。)

 バリからカリフォルニアに戻る中継ぎに立ち寄ったシンガポールは、これまた見事な3チャクラ・エネルギー圏で、同じアジア圏の中でも日本、バリ、シンガポールの対比はとても面白かった。

 それにしても、バリ島はこの何年も経済的に非常に困窮しているのに、人々は変わらず優しくこまやかで、心打たれた。

 来年くらいになると思うが、バリ島でリトリート、やります。

 (詳しい旅行雑記や、3チャクラと4チャクラの分化の話などは『ヒーラー&アルケミスト』次の号で。)

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November 09, 2006

ホノルル・カリフォルニア・シンシナティ

 ホノルルに戻った翌日、ハワイ島の大地震。揺れの10分ほど前に目が覚めた。

 ベッドで大きな横揺れを感じながら、自分がまだ日本にいるのかと思った。丸1日近い停電以外、被害はなし。

 エアコンを入れないと仕事ができない暑さのホノルルで10日過ごし、すでに秋めいたカリフォルニアのベイエリアへ。2週間ほどカリフォルニアで過ごして、その後、神学課程の研修のために零下のシンシナティへ。

 今回のシンシナティ研修では、長年の友人が卒業、聖職者としての叙階を受けた。今年唯一の卒業生だ。彼女が研修に費やした時間は12年以上。

 この半年、卒業が近づくにつれて彼女の通過していく変化を見、これほど長い時間をかけて準備したイニシエーションのパワーについて思った。

 私自身、そろそろ卒論の準備に入らないといけないので、友人の叙階式に参列するのは励みにもなり、気も引き締まる。

 

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June 27, 2005

飛行機でお屠蘇

 1月1日の便でホノルルに戻る。

 元旦に飛行機に乗るような人はあまりいないと思うので報告しておくと、お屠蘇が出た。で、お屠蘇というものを生まれて初めて飲んだが、ほんのり生姜の香りがしてなかなかおいしかった。

 着いたホノルルは雨のやみかけた曇り空。空港から高速道路を走るタクシーの中、知らず知らずに目でピラミッドを探す。もちろん目に映るのは、カイロの高速道路から見える煉瓦造りのアパートや畑や牛小屋やその向こうに見えるピラミッドではなく
て、コオラウのしっとりとした山並みとその山肌に並ぶたくさんの家々。

 帰り着けたのがエジプトだったらどんなにうれしいだろうと、ぽつりと思う。エジプト滞在の余韻はまだ抜けていない。

 多分ずっと抜けないだろう。

 次はスキューバのギアを持参して、アレクサンドリアの海底遺跡を潜ると決めている...。

(2005年1月記)

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June 26, 2005

フォスター植物園(ホノルル)

 日本での長い過密スケジュールを終えて、ホノルルに戻る。
 アパートが決まってからすぐにカリフォルニアに向かい、折り返してそのまま日本で夏を過ごしたので、4日以上のまとまった時間をここで過ごすのは、実は初めて。
 何しろ7月にハワイに住所を移してからまだ一度も海に入っていない。

 たまっていた山のような雑務に手を着けながら、合間を見てトレッキングの計画を練る。
 ハワイの植物との付き合いを始めるのに、まず手始めにオアフで一番古いというフォスター植物園に出かけてみることにする。
 地図で場所を調べたら、歩いて5分のところにあることを発見(笑)。チャイナタウンからアパートに向かって帰る時、「向こうに見える大きな森は何だろう」と思って眺めていたのが、どうもそれらしい。

 園内は土曜日だというのに人気もなく、樹齢2000年をゆうに超えているだろう巨大なバオバブから、たくさんの熱帯性植物や樹木、ハーブガーデンなどの間を静かに散策することができた。
 日本では温室の中でしか見られないたくさんの種類のランが、ごく普通の植物のようにそこここで鮮やかな花を咲かせているのも、ハワイらしい。
 陰影のあるイギリスの気候で育ったイングリッシュ・レメディ(バック・エッセンス、バッチ・レメディ)は、日本人の心の陰影によく合う。氷と炎のぶつかるダイナミックなシエラネヴァダ山脈の自然から生まれるカリフォルニア・レメディ(FESエッセンス)は、魂の変容を促し、創造性を刺激する。

 これに比べて、オアフのまぶしい陽光とあふれるほど豊穣な自然の中で育つ花々は、その豊かさと光で魂を包み、潤してくれるだろう。
 「ハワイ病」と呼ばれ、定期的にハワイに行かないとすまない病気にとりつかれる人が増えているらしい。ハワイの自然の豊かさには、現代日本の大きなテーマであるオーラル性やリジッド性を、おおらかに包んでくれるところが確かにある。
 加えて、南方海洋性の島のエネルギーは、日本民族の魂の深いところに眠っている海洋縄文系の血に呼びかけて、海と風のリズムに沿って暮らしていた頃の古(いにしえ)の記憶を刺激する。
 そんなエネルギーを土壌に育つ植物にも、日本人の魂の古層に呼びかける力があるだろう。

 日本では今、民族の魂(Folk Soul)と土壌から乖離した形で心身両面の西洋化が進みすぎ、民族としての生命力が枯渇しつつある。
 民族の魂と、それを育てた海と土にもう一度つながりを結び直すこと、そこから個人と集団の両レベルで自己のアイデンティティを再確立することが、切実に必要とされている。

 植物たちの間を散策しながら、自分の目の前にある大きな計画の形が、ちらりほらりと目に入る。

(2002年9月)

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June 25, 2005

ホノルルの朝

 アパートのラナイからホノルル湾の青い海を見渡しつつ、茶粥に梅干しと岩海苔で朝ご飯を食べていたりするのが限りなくミスマッチ。

 もっとも茶粥を炊くのには中国茶のラプサンスーチョンを愛用しているので、京都の人からは怒られるかもしれない(笑)。

 梅干しはホノルルのダイエーで入手した紀州梅、仕上げは新鮮なトロピカル・フルーツと豆乳で作るシェーク。

 今日もいい朝... と言いたいところだが、空を飛び回る軍用ヘリコプターがやかましい。ハワイまで巻き込むアメリカの戦時体制下では、ゆっくり朝食もとれないのか。

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とりあえず(ホノルル)

 ホノルルのアパートに戻る。

 フロリダを出たのが7月はじめでも、この11月までに実質ここで過ごすしたのは合計1ヶ月ほど。

 カリフォルニアの港湾ストで引っ越し荷物が遅れたこともあり、荷開きと整理、煩雑な役所の諸登録、部屋の中の要素の微調整なども含めて、仕事の合間に進めながら、完了までに1ヶ月ほどかかった。しかしアパートの住み心地も、至便きわまりない環境も、きわめて満足。

 フロリダでもニューヨークでも、銀行、郵便局、事務用品、果ては最寄りのスーパーマーケットすら、どんな用を足すにも車で20分は走らねばならなかった。

 だがここではすべてが歩きの範囲だ。車に頼らず生活できることへのこの開放感は、日本に住む人にはわかるまい(笑)。

 アパート(「賃貸マンション」)には基本のケーブルチャンネルがついているが、少額の追加料金を払って日本語放送チャンネルを足してもらった。これでNHKのニュースが見られるので、時差なく日本の時事についていくことができる。

 東北の初雪のニュースを見る。ちょっぴりうらやましい。

 以前住んでいたニューヨークのウッドストックは日本の北海道と同じ緯度で、冬には一晩1メートルのどか雪にが降り込められたこともある。

 季節の巡りにめりはりがあって、とりわけ冬から春に移り変わる自然が美しく、春先に姿を見せる野生の鹿や熊の子供たちの姿にも心を躍らせたものだった。

 ハワイにはあいにく大きな野生の動物はいない。

 だがオアフの生活は、せわしなく飛び回る私の生活に不思議な恒常感を与えてくれる。いつ帰ってきても、同じ顔でハイビスカスが咲き、コオラウの山並みはしっとりした緑に覆われ、青い空を真っ白な雲がかすめるように流れて行く。

 そんなことを思いながら、明日はまた冬のシンシナティに向けて飛び立つ。

 11月に入っても昼間はクーラーを入れないと知的労働がしにくいホノルルで、クローゼットから冬物のコートを引っぱり出す。

 シンシナティではもう、湖に厚い氷が張っている頃だ。

(2002年11月、ホノルルにて)

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秋...?(ホノルル)

 ホノルルのアパートはチャイナタウンの向かいだ。

 フロリダに比べれば、どんなところに移ろうとそれ以上食糧事情が悪くなるわけはないのだが、ホノルルのチャイナタウンは「オアフの台所」と言われている。

 本土から来たアメリカ人は「ハワイは食費が高くつく」と口々に言うが、チャイナタウンに食料の調達に出かける限り、そんなことは感じない。

 朝の7時前にはもう大にぎわいの市場通りを歩いていけば、色とりどりの新鮮な食材が、本土のスーパーなどよりずっと安く手に入る。

 これまではいつも、日本を訪れるたびにちょっとうらやむことがあった。それは、アメリカでは望むべくもなく豊富で新鮮な旬の野菜や果物が並ぶスーパーの野菜売場だ。

 しかしここに到ってそのうらやみは解消された。

 まあ日本の四季の風情ある野菜とはちょっと違うのだが、代わりにニガウリ、ハヤトウリ、パパイヤ、マンゴー、まだ正体をつかみきっていない南方系の野菜や果物、食用花、それにニンニクの花芽やリュウガン、ライチといった変わりものも含め、華僑御用達の野菜や果物が豊富で、とにかく安い。

 自炊に飽きたら、これもチャイナタウンの周辺に林立するアジア系の店へ。中華だけではなくタイ、ヴェトナム、韓国、フィリピン系など、にぎやかだ。

 例によって(日系のお店ではそんなことできないのだが)、中華のお店では食べたいものがメニューになければ「これとこれを入れてこんな感じで」と頼めば、好みの料理を作ってくれるし、韓国系のお店ではやっぱりビビンバを肉抜きで作らせてしまう(笑)。

 フードコートのテーブルで、肉抜き海草入りのビビンバを食べていると、顔見知りになった屋台のおじいちゃんが「飲みなさい」とコーヒーを勧めてくれる。

 こんな風にアジア文化圏の肌触りの中に浸っていると、ふと自分がどこにいるのかわからなくなる。ここが台北の市場の屋台街であっても、ソウルの食堂の片隅であってもおかしくない、そんな感じがする。

 一年中大して気候の変化のないハワイ、八百屋の店先にはずっと熱帯、亜熱帯系の野菜が並ぶのだろうなと思っていたら、新鮮そうな銀杏を発見。日本のよりかなり大粒のやつが、網袋に入って並んでいる。2キロの袋を5ドルで買い求めてご機嫌。

 それから隣の店に足を運ぶと、お... 栗? 特大サイズの大きくずっしり重いやつらが箱盛りになっている。黒光りして新鮮そうな初物... と思って、そこで初めて今が9月の中旬過ぎであることを思い出した。

 栗が出回るのを見てようやく今が秋であることを思い出す... ハワイで浦島太郎状態。

 時差による体力の負担を軽くし、来日を容易にしようと考えハワイにアパートを借りたが、逆にアメリカ本土への移動は長距離になるので、割が合っているのかどうかよくわからない。

 だが、住んでみれば、当初心配した「脳天気に浮いたリゾートの雰囲気」はワイキキ周辺(それに観光客の集まる高級ショッピングセンター)に限られていることがわかってきた。

 そしてワイキキ自体、観光を最大の資源とするハワイ州が、したたかな経済戦略に基づき作り上げた「人工的な観光リゾート地区」であって、オアフの本当の顔は別のところにあるのが見えてくると、島での生活がおもしろくなってくる。

 窓の外に広がるダウンタウンのビル街、そしてその向こうに青く光る海は、ここが大海原の真ん中にぽつりと浮かぶ文明圏だということをつねに思い出させる。

 ホノルルは世界でもっとも孤立した都市と言われる。距離的に、ヨーロッパはもちろん、アメリカ、アジア、他のどんな都市から訪れるにも遠いのだ。

 だが等分に遠いということは、その真ん中に位置するということでもある。

 アジアとアメリカの間に位置し、幾つもの顔を使い分けて、独立、繁栄と独自の文化圏を保つ「国」。

 楽園の恵まれた自然環境の上に、日系移民の勤勉さと華僑の経済能力が手を取り作り上げた経済とインフラストラクチャー。そしてそれをポリネシア系のおおらかな「アロハ・スマイル」で包んで、外にはシンプルな楽園としての顔を向ける。

 オアフの懐は思いのほか深いなと思う。

(2002年9月記)

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ボストン美術館の秘密

 ナムカイ・ノルブ・リンポチェの伝授会に出るため、久々に訪れたボストン。

 ここには文明がある(フロリダに比べて、というか、アメリカの都市としては、というか)。

 カフェに座ってお茶を飲むなんていうのは、2年前にニューヨークを出て以来だ。紅茶を頼めば、キーマムの茶葉を熱々のお湯で陶器のポットで入れて出されたりするのが、お茶好きの私にはことにうれしい。

 アメリカで紅茶と言えば普通、沸ききらないお湯を入れたカップにリプトンのティーバッグを添えて出される。

 もっともお茶やスープが舌をやけどするほど熱いのは、ニューイングランドの気候とも関係あるだろう。5月だというのに凍えるほど寒く、人々はダウンジャケットやロングコートで歩き回っている。

 着いて二日目の夜には雪がちらついた。こんな気候では、体を芯から暖めてくれる飲み物が生活の必需品だ。

 オフの時間を使って美術館に出かける。

 ボストン美術館と言えば世界的に有名で、日本でも時々ここの所蔵品を借りて展覧会が開かれるので、名前を憶えている人も多いだろう。

 が、ここので私のお気に入りは絵画ではなく、考古学系の所蔵品(とくにエジプトとシュメール文明のもの)である。

 ボストンを訪れることのある人のためにこっそり教えておこう。

 エジプト関連の展示は1階と2階に分かれていて、2階がメインの展示だが、展示エリアに入ってすぐの右手に小さな小部屋がある。ほとんどの人はこの部屋に気づかず(またはある理由で)通り過ぎる。

 1歩足を踏み入れてみればわかるが、この部屋の中は一種の「別次元空間」になっている。4000年前に建てられた、マアト女神の礼拝堂の壁をそのままエジプトからもってきて、もとの礼拝堂の形を再現するよう小部屋の四方の壁にはってあるのだが、何をどうしたものか、実際に内部がエジプトの礼拝堂の空間になっているのである。

 しっとりとして静謐なエネルギーは、10分もその中にひたっていると、もう外に出たくなくなる。

 しかし普通のアメリカ人はこの空間を「異質なもの」と感じ、心地悪く思うらしい。私が部屋の中で静かな黙想状態に入っていた30分ほどの間、何十人もの人が展示エリアに入ってきたが、大部分はこの部屋を素通りしていった。

 アメリカ人は珍しいものは何でも見たがり頭をつっこみたがって、それはうっとおしいほどだが、奇妙なことにこの部屋だけは素通りしていく。まれに部屋の存在に気づいた人も、1、2歩足を踏み入れかけただけで、変な顔をして引き返していってしまうのは、本当におかしいほどだ。

 この部屋の中でしばらく時間を過ごしてから外に足を踏み出すと、その空間の質の落差にはちょっとしたショックを憶える。

 ちなみに展示エリアの左手にも同じように再現された別の礼拝堂があるのだが、こちらは「はずれ」で、ただの「展示物」である。

 アメリカ有数の都心の中に、数メートル四方の古代エジプトの神聖な空間が存在している、というのはなかなか幻想的だ。

(2002年5月記)

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June 24, 2005

ホノルルのアパート

 ようやくホノルルのアパート(「賃貸マンション」)が決まった。

 日本でのハワイのイメージはとても限られていて、「ハワイ」と言えば「ワイキキ」、「ビーチ」「サーフィン」と続き、これ以外のイメージはほとんどもっていないのではないだろうか。(あと「免税店」というのがあるか)

 ホノルルのダウンタウンが、高層ビルが立ち並び、幾つもの大学を擁する大都会だということを思いつく人はあまりいないだろう。

 そしてまた、オアフ島の自然の本当のおもしろさは、海にではなく山にあるということに思い至る人もあまりいないだろう。

 ハワイ諸島の中ではカウアイ島に次いで古く、高度によって複数の気候帯にカバーされるオアフは、四季咲きのハイビスカスからランの自生する熱帯雨林、そして美しい松や杉の常緑樹林までを擁する植物の宝庫だ。

 固有種も多いが、アジア圏から帰化した植物も多くある。

 観光客に潜られ過ぎて珊瑚礁など傷みの激しいオアフの海には、あまり潜ろうとは思わない。それよりも、豊かなオアフの山をトレッキングして回ることに私の意欲はそそられる。

(2002年7月記)

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引っ越し(フロリダからハワイへ)

 ここのところ、2年に1度の恒例行事の感のある私の引っ越しだが、またその季節がやってきた。

 もっとも今度の行き先予定であるハワイは、仕事のロジスティクス的に考えれば必然とも言え、以前からのガイダンスもありながら私の方で意地を張って拒んでいた先だから、いったん移ってしまえば当面の定住拠点となる可能性が濃厚である。

 (その次に引っ越しをするなら、20年くらい先にヨーロッパへ... というのが密かな願いだ。)

 昔から世話になっている占星術師も、実は引っ越し先としてハワイを勧めていた。州のチャートと私のチャートの相性がきわめていいらしい。

 何年か前に言われた時には考えてもみなかったが、ここらで意地張りの代価として時間とエネルギーのロスを支払うのを止めて、おさまるべき場所に落ち着く時期でもあるようだ。

 やりたいことがあまりにありすぎて1日が48時間あっても足りない私としては、セーブできる時間とエネルギーはセーブするべき... と考えられるくらい大人になったとも言えるか(笑)。

(2002年4月記)

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四季のリズム

 ビミニの休暇から帰ってすぐ、研修のためにとんぼ返りでめったに陽も出ない零下のシンシナティで過ごし、身を切るような寒さの冬場のニューヨーク市に寄って帰って来ると、フロリダはすでにその大したことない冬を終え、春を飛び越えて、初夏になっていた。

 フロリダぼけによる装備不足で、寒い思いをしながらシンシナティ、ニューヨークと過ごした後だったので、外は暖かそうだったが一応薄手の長袖で外出したら、さっそくスーパーのおじさんに「なんでまた長袖」と不思議がられてしまう。

 確かに地元住民はみな元気に半袖で外を歩き回っている。2月の半ばにして日中の最高気温28度。

 私は季節、とりわけ四季の巡りに対してこだわりがある。夏は暑く冬は寒いという自然の、そしてめりはりのある四季のリズムに合わせて過ごしたいといつも思ってきた。

 そのため、多くの人から好まれる、季節間の気温差のあまりない「穏やかな」サンフランシスコの気候は肌に合わなかったし、暖かいには暖かいが四季のでたらめなフロリダの気候にも、あまり愛着はわかない。セントオーガスティンの町自体はとても好きなのだが。

 暑い夏と寒い冬に育まれて自然が豊かに息づくヴァージニアの四季は好きだったし、一年中強い風の吹くニューヨークのロングビーチの海辺の四季も好きだった。

 しかし現在の私の生活は、四季のリズムのパターンに乗らないどころか、それを全面的に打ち壊さざるを得ない方向にひたすら向かっている。仕事と神学課程の研修を中心に、便乗休暇も合わせて大陸規模で動くため、否が応でも安定した形で四季を経験することが許されない。

 別の言い方をすれば、今の私には、1年を通して極暑から極寒の間を自由に行き来して対応できる能力が要求されている。

 地球全体を自分の住居とし、異なる土地と季節の中を動き回りながら、心地よく生きることができる体とエネルギーの柔軟さと適応力が必要とされているのだ。ううむ、えらいことだ。

 これが可能になるためには、逆説的だが、エネルギーと肉体の両レベルで自己の中心点をしっかりと据えなければならない。そうでないとまわりの環境に振り回され、環境の変化に対応することだけに大量のエネルギーと体力を消耗することになるからだ。

 コンティニュアムで用いる手法の中に「対極性(ポラリティ)」というのがある。例えば陰性と陽性の呼吸を交互に重ねることで、体の固定されたパターンを破り、新しい柔軟性、流動性を引き出すという方法論だ。

 日本とアメリカという地球のほぼ正反対にある国を頻繁に往復することも、対極性経験の一形態と言えないこともないかもしれない。少なくとも生体リズムの頻繁な攪乱であることは確かだ。

 「長生きしたければ時差ボケを伴うような長距離の旅行はするな」というのは、ホリスティック医学系の医師の間での合意だが(通常の人間にとって頻繁な海外旅行は寿命を縮めるほどのストレスになるということ)、西と東を結びつけることを仕事の一端としている私としては、そうも言っていられない。

 というわけで、ニュースレター(2001年春・夏号)の記事に書くような重武装的対策をとりながら、今年も飛び回る。

(2001年2月記)

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June 23, 2005

秋が来た(フロリダ)

 北フロリダにも秋らしい(...)ものが来た。

 といっても木の葉が紅葉するわけでもなく、住んでいるアパートの裏にはるばる広がる湿地草原は、相変わらず青々と茂っている。

 遊びに来たフロリダ住民の友人は「ここにはワニがいるはず」と断言して帰ったが、その後の私の調査によれば、湿地の水は海に流れ込む水路につながっていて、つまり塩水の沼地で、ワニには好まれないらしい。

 大きな白いサギ(日本のツルのサイズ)がよく飛んできて、魚をとっている。
 ランなどの面白い植物が湿地草原にはよく見られるので、そのうち長靴を履いて、植生を調べに踏み込んでみようと思っている。

 「ワニが見たければ天気のいい日にここに来てみな。でっかいやつがひなたぼっこしてるよ」と、タクシーの運転手が空港からの帰途に回り道をしてつれていってくれたのは、うちからすぐ近くの淡水の池。

 日本では放し飼いにしている犬が家に帰ってこないと「車にでもひかれたのでは...」と心配するが、フロリダの人々は「ワニにでも食われたか...」と心配する(放し飼いにしている愛犬がしばらく帰ってこなかった時、友人がしばらくそう言って騒いでいた)。

 フロリダのワニはアリゲーターで、クロコダイルよりも性質が荒い。人間も時々襲われる。

 さて、秋だ。

 北フロリダの秋は何によって象徴されるかというと、私の意見ではマナティ
(ジュゴンの仲間)の川登りである。水が冷たくなってくると、暖かい季節には海岸沿いに浮いている彼らが、ちょっとでも温かな水を求めて川を登ってくる。

 というわけで、この秋から冬の私のプロジェクトは、マナティといっしょに泳ぐことだ。

 野生動物としては人のよい(というより明らかによすぎる)彼らは、人間が泳いでいるのを見ると興味しんしん近寄ってきて、頬ずりしてみたり、ことに人間慣れしているやつはぺろっとお腹を見せて「かいて〜」などとやるらしい。英語で「海の牛」と呼ばれるジュゴンの姿を想像してもらえばわかるが、あの体格では自分で背中やお腹をかけないのは明らかでだ。

 セントオーガスティンの港の近くでも時々姿が見られるらしいが、彼らが集団で群れる川が2時間ほどのところにあるので、休みの日に出かける予定を立てている。

 こうして、仕事と趣味の境目が限りなく曖昧な私の数少ない本式の「休日」は、自然とのコンタクトに費やされる。

(2000年10月記)

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